12「Tears To Stand」

 澪からのメッセージに、思わず

「え?」

と声を上げる流雫。

「2人のデータも活用して、クローンを量産する……?」

「それだけじゃないわ」

と澪は打ち、更に忙しなく画面の上に指を滑らせる。

 「……大事なのは、量産した次の段階よ」

「次?」

「人工的生命体を、自然的生命体にする必要が有る。そうすることができる、唯一の手段……」

その言葉に、手に汗が滲み始めた流雫の目が、送られてきたメッセージを捉えた。

「……クローン同士で繁殖させる。その母胎確保のため……」


 プリィがシャワーを浴びている時のこと。2人きりの部屋で詩応が切り出した。

「澪は流雫とは、未だキスだけ?」

「へっ!?」

と声を裏返した澪は、3秒経って撃沈した。無意識に出た溜め息が、断末魔の叫びにも聞こえる。

 相変わらず弱い……と思う詩応に、澪は

「……その先も……時々妄想はしますけど、未だ早くて……」

と頬を紅くしたまま返す。

 ……流雫に処女を捧げ、そして2人の子を産む……?未だ想像できないが、何時かはそうなると……。

 ……子を産む……?

「……あ……」

と小さい声を上げたボブカットの少女は、一瞬で普段の、否、刑事の娘らしい表情に戻る。

「澪?」

「……クローンが産んだ子は、自然な人間なの……?」

そう呟く澪に、詩応は

「……クローンとは云え、母胎から産まれるなら、自然な人間だろうね……」

と言葉を返した。その瞬間、散らばっていたパズルのピースが動き始め、瞬く間に合わさっていく。

 「……クローンを増やして交配させ、出産させる……。それが増えていけば……」

「あ……!」

詩応が声を上げる。

 思い出すのは、ディナー後のリビングで流れていたニュースの話題。少子化の歯止めが掛からない問題を特集していた。

 「行き着く先は、外国人の移住定着に依存しない少子化対策。そのための母胎のデータが必要だった……。母胎のバリエーションを増やすために」

澪は言った。

 当然、可能性の一つでしかない。しかし、可能性として有り得る以上、排除できない限りは疑うしかないのだ。そしてこれが、今の澪にとって、最も現実味が有る理由だった。

「……妄想。そう言えればいいのに」

と詩応は言った。しかし、彼女も知っている。その願いは、どれだけ女神に祈っても叶わないと。


 脳に痺れが走った流雫は、画面から目を逸らすことができなかった。

 ……可能性は限りなく低いし、恋人の妄想だと思いたい。しかし、もしこれが真実なら。プリィのDNAが、見知らぬ人を助ける医療技術の進歩に貢献するのではなく、人口を増やすための母胎として扱われるのならば。これほどに、命を軽視される残酷なことは無い。

 画面が滲んだ流雫は、思わずスマートフォンを耳に当てる。

「流雫?」

と声が聞こえた瞬間、目を閉じた流雫は

「澪……」

とだけ、小さな声を絞り出す。

「泣いていいよ……。あたしが、ついててあげるから」

と、澪は囁くように言った。

 ……名を呼ぶ声の微かな違いだけで、最愛の少年が今何を思っているのか、何となく判る。そして今は、怒りと悲しみが混ざって、苦しんでいる。それだけ、見捨てられない人のために必死になっている証左だ。

 「サン……キュ……、……澪……」

流雫はその言葉しか出ない。声を殺して泣いていた。……スピーカー越しでも、最愛の少女の存在を感じられるななら、それだけで救われる。

 澪は何も言わない。

 ……今は一頻り泣いていい。余計な言葉は要らない、ただあたしが全て受け止める。

 泣いた後で、流雫はその足で立ち上がれる。流雫が泣くのは、立ち上がるために邪念を洗い流すため。迷いを混ぜた溜め息を吐き捨てるのと同じだった。

 ……そのことを、あたしは誰より知っているから。


 翌朝、ホテルのモーニングを部屋で平らげた2人は、出発の準備を始めた。

 アルスは、夜中に流雫が泣いているのに気付いていた。詰まらせた声で恋人の名を呼んでいたのも知っている。

 しかし、アルスは何も言わなかった。何がきっかけかは知らないが、ルナが抱える悲しみをベストな形で受け止めてやれるのは、ミオだけだからだ。

 しかし、その少年が少しヘアスタイルに手を付け、女子になっている。違和感が拭えないアルスの隣で、

「僕はルーン……」

と呟く流雫。

 月はフランス語でルーン。ルナも元々月の意味で付けられただけに、これが最も自然だった。

 因みに名字はクラージュ。母アスタナの名字で、かつての流雫のミドルネームでもある。日本では使えないから封印しているが、今でも大好きな名前だ。

 パリからのボーイッシュな女子高生、ルーン・クラージュ。それが今の宇奈月流雫だった。

 少し早めにチェックアウトを済ませる2人。しかし、建物を時間差で出た。

 先に出た流雫は、少し歩くと既に背後に気配を感じる。少し高そうなグレーのスーツを着る男。眼鏡を掛けているが、未だ20代ほどに見える。

 その相手は少なからず困惑しているだろうか。もし昨日までの容姿が目印だとされているなら、ターゲットは全くの別人だ。あれは本当にプリィなのか?しかしトラッカーは反応している。まさか、トラッカーを盗まれたのか?

 ただ、犯人がどう思っても、流雫にとっては襲われれば戦うだけだ。

 地下鉄の改札を通るが、追跡の気配は消えない。此処までは予想通り。

 どんなに形振り構わないとしても、密室で犯行に及ぶほどバカじゃない。アルスに

「秋葉原で」

とだけメッセージを入れた流雫は、無意識に手首のブレスレットにキスをした。……意図的に遠回りを選び、後に出たアルスを先回りさせる。

 合流地点は秋葉原。交通の要所で、どのルートでも比較的行きやすいのが、選んだ理由の一つ。列車で近寄られることは無かったが、随時監視されている感は否めない。

 列車を降りた流雫が駅前広場に立つ。通り掛かる人が、突然現れたセーラー服の美少女を見ながら通り過ぎる。

 午前中だが、既に駅前は人が多い。だが、空港でもアフロディーテキャッスルでもプリィを狙った連中だ。何時また狙ってくるか判らない。

「どう出てくる……?」

と流雫は呟く。その瞬間、流雫のオッドアイはブロンドヘアの少年を捉えた。

「フレンチカフェがこの辺りに有るらしいが、場所知ってるか?」

「あ、ボクも探してたんだ」

と言葉を返した流雫に、男は

「一緒に行くか。どうせだし、見たところ同郷っぽいし」

と言い、隣に立つ。

 その一部始終、ブルーの瞳はスーツの男を視界の端に捉えていた。近寄ろうとして、ナンパと云う邪魔者が入った……苛立ちを感じているだろうか。しかし、違和感が有る。

 予定通りの合流だったが、あのアドリブは流石に無い、そう流雫は思った。

「こう云うナンパ、有るのかよ……」

と流雫が言った隣で、

「ルナ」

と名を呼んだブロンドヘアの男……アルスは言う。

「あの男……気になる」

「ホテルから追ってきてる。やはり、ネックレスは正しかった……」

と答える流雫。しかし、同時に自分たちの方が有利だと思っていた。

 ネックレスは、プリィの居場所を示していない。流雫をプリィだと誤認しているなら話は早いが、もしそうでないとすれば、敵にとっては謎が絶えない。プリィの捜索は困難になる一方で、何故流雫がネックレスを持っているのか……。

 「ルナ、どうする?」

「……行ける所まで行って、死ぬべき場所で死ね」

と流雫は答えた。精一杯やれ、と云う意味のフランスの言事だ。流雫が覚悟を決める時の口癖でもある。

「……正しくは」

「でも死ぬべき場所は此処じゃない」

そう言った流雫は微かに笑い、アルスも口角を上げた。


 一通り着替えた3人は、リビングで少し話すことにした。

「ルナのところには、私とセブ2人揃って寄宿舎にいる、と言っていたようだけど、実際は教会にいたの。どうして家族がそう言ったのかは判らないわ。私は教団と教会の未来のためにと、その方針に従うだけだった」

「セブもその意味では同じだった。でも、2週間前に日本へ旅立った。表向きは、かつて教団が標的になった一連の事件の影響を確かめるため。……本来は大聖堂が直接すべきなのに、中央教会に任された。その理由は、私にも判らない」

と言ったプリィは、アルスの言葉を思い出していた。

 「お前の教団の中枢で、何が起きてる?」

何が起きているか、それは私が知りたい。そう思っていたプリィに、詩応は

「メスィドール家の秘密を知っていた……?」

と続く。

「まさか……」

とプリィは言った。クローンに対して否定的な立場の太陽騎士団のことだ、アリスがクローンだと知っていれば、聖女に選出するハズが無い。それどころか、教団から追放されているだろう。

 「……日本でセブの足取りは掴めていないわ。メッセンジャーアプリも通話もできない。単なる影響の調査なのに、連絡が付かないなんて……」

そう言ったプリィは、ふと最悪の事態を思い浮かべる。曇るフランス人の表情に

「セブは生きています」

と言ったのは澪だった。

「姉が信じてあげなくて、誰が彼を信じるんですか?」

 「ミオ?」

「愛することは、どんな時だって信じること。あたしはそう思って、何時だってルナを信じてます。ルナを孤独にさせたりしない……」

そう言って澪は、昨日引っ叩いたプリィの頬に、掌を軽く押し当てる。

「それと同じ。今のプリィには、あたしもシノもついています。だから、プリィはセブを信じていて……」

そう言った澪は慈悲に溢れていて、しかし悲しそうな目をしていた。

 プリィは気付いていた。人を信じることそのものが、澪の拠り所になっていることに。逢った時から、信じると云う言葉を頻りに使っているからだ。

 セブの無事を信じる、それがミオを信じることに直結する。彼女の偽り無き思いを受け止める、セブだけでなく、私を信じる全ての人のために。プリィはそう決めた。

「……信じるわ、ミオ」

とだけ答えたプリィは、凜々しくも優しい表情を見せる。それに目を奪われた澪は言った。

「ありがと、プリィ」

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