灰色の心臓は友達を望む

木ノ宮

プロローグ

 遥か昔のことです。ノワールという黒血の男と、ブランという白血の女の間に、灰色の血をもつかわいい女の子が生まれました。

 黒血は、触れた者を死なせてしまう呪いの血です。

 白血は、触れた者の傷や病を癒やす奇跡の血です。

 ふたつの色がまざって生まれた灰色の血には、触れた者を怪物にしてしまうおそろしい力が宿っていました。

 女の子は、その力を使ってたくさんの人々をみにくい怪物の姿に変え、みんな自分のおもちゃにしてしまいました。


 とてもすてきね。わたしといっしょにあそびましょう。


 もの言わぬ怪物となった人々の前で、女の子はそう笑っていたそうです。

 そんな娘をおそれた両親は、そのからだをばらばらにして、暗闇の中に閉じこめてしまうことにしました。

 ガストン、ヴラド、マリー、ロム、リデルという五人の黒血と白血の協力により、ノワールたちは女の子の封印に成功しました。

 閉じこめられるとき、女の子は自分を仲間外れにした世界のすべてを憎み、涙をながしました。

 その涙が雨となって世界中に降りそそぎ、あの化け物を生み出す呪いの芽を育てたのです。

 


 **


 

「──友達が欲しかったのかな」


 ベッドの背にもたれ、開いた本のページを指で撫でながらカルマは言った。


「友達?」


 その傍の椅子に座る黒髪の少年が、抑揚のない声で聞き返す。自分が読んでいた本を静かに閉じ、彼はカルマに視線を移した。


「〈灰色の子〉はどうしてみんなを怪物にしたんだろうって。みんなが自分と同じになれば仲良くなれると思ったのかな」

「ああ、だから友達か」


 カルマは頷き、哀しげに涙をこぼす少女の挿絵をじっと見つめた。

 ヘレネの悲劇。今からおよそ四百年前、ヘレネという村を中心に起こった大規模な災厄の名だ。その伝承を記した『創灰神話』には、発端となった少女の生い立ちと、彼女が生んだ灰色人グレースケールという化け物の起源が綴られている。

 〈灰色の子〉と呼ばれたその少女は、人間の姿をしながら、ただの人間とは言いがたい恐ろしい力を持っていた。

 彼女の中には、灰色の血が流れていた。黒血という呪われた血と、白血という奇跡の血がかけ合わさることで生まれた、中途半端な色の血だった。

 その血に触れた者は、みな醜い怪物の姿になってしまったという。

 灰色の血を使い多くの人々を恐怖に陥れた少女は、両親とその協力者たちによって封印され、永遠の眠りにつく運命を辿ることになった。

 そんな哀れな少女が、最後の抵抗として世界中に自身の魔力を放ったことで生まれた化け物。それが灰色人グレースケールだ。


「そんなまともな動機があるとは思えないな。ただ彼女に猟奇性があったというだけの話だろう」


 長い睫毛を静かに伏せた少年が、自身の眼鏡を指で押さえながら答えた。

 猟奇性。相変わらず難しい言葉を使う。同じ十二歳とは思えない友人の返しに、カルマはぱちりと瞬きをした。


「えっと、ただ残酷なことが好きなだけだったってこと?」

「先天的な障害なのか、その特殊な生い立ちから人格が歪んでしまったのかはわからないけどね。いずれにせよ責任は両親にある。禁忌に触れ、生んではいけない子を生んでしまったのだから」


 無感動に、それでいてどこか含みのある言い方をする少年に、カルマは目を見開いた。

 ああ、と思った。彼は同情しているのだ。

 自分と少女が同じだから。


「……生まれてきちゃいけない人なんて、いないよ」


 鈍い痛みにしめつけられる胸を押さえ、カルマは訴える。うつむくと、涙を流す挿絵の少女が目に入った。赤でも、黒でも、白でもない血を持ち、世界中から嫌われてしまった少女の姿が。


「〈灰色の子〉はその血で人々を苦しめた。僕たち黒血も、生きているだけで他人を傷つける可能性がある。生まれてきてはいけない人間というのは存在するよ」

「そんなことない。だってナナギは」


 おれの友達だろ、と。

 膝にかけた布団を強く握りしめ、カルマは言った。


「ナナギは、やさしいよ。カンパニュラだって。黒血にだっていい人はいるんだ」

「本人の意思や人格は関係ない。その身に危険な血を宿していることは変えようのない事実なんだ。正当な差別だよ」


 さしたる感慨もない様子で、少年は言い切る。

 正当な差別。そんなものはないとカルマは思った。あってはならないと。

 だが、短い人生のほとんどを屋敷の中で過ごしてきた世間知らずの自分が、実際にその差別を受けている彼にかけられる正しい言葉を持たないこともわかっている。


「カルマくん」


 顔を上げると、真っ直ぐに自分を見つめる少年と目が合った。


「生まれてきてはいけない人間はいる。それは事実だ。けれど、僕は自分が生まれてこなければよかったとは思っていないよ」


 黒い縁に彩られた眼鏡の奥で、少年の目に穏やかな光が灯る。


「君に会えたからね」


 深い夜を映したような紺色の瞳。この半年ですっかり見慣れた、カルマの心を幸福にする彼の色だ。


「仮に〈灰色の子〉が友達を求めていたのだとしよう。相手を自分と同じ化け物にしたところで、友人と呼べる存在が生まれるわけじゃない。彼女は方法を誤ったんだ」


 少年がゆっくりと瞼を伏せる。闇のように黒いさらりとした髪の毛が、微かに揺れた。


「大切なのは結果じゃなくて過程だよ。人と人が心を通わせるには相応の過程が要る。君と僕がそうだったように」


 淡々と少年は言う。緩慢に開いた瞼の下から、カルマを映す凪いだ瞳が現れた。


「僕ら黒血や〈灰色の子〉のような特殊な存在は、その過程における困難が人より多いというだけだ。己の人生を悲観しているわけでも、君の好きなカンパニュラを否定しているわけでもないよ。だからそんな顔を──」

「ナナギ」


 ベッドの上から少年の顔を覗き込み、カルマは笑った。


「ナナギのそういうところ、おれは好きだよ」


 ぜんぶ言葉にしてくれるところが好きだ。

 飾りのない意見を述べながら、相手の気持ちをないがしろにしない彼の在り方を好ましく思う。


「だから……これからも友達でいてくれる?」


 少年がはっと目を見開いた。

 その大人びた表情に年相応の色が浮かんだことに満足し、ふふ、とカルマは喉を揺らす。いたずらが成功した幼子のような気分だった。


「──ああ」


 やがて少年が口許をわずかに緩めた。平素はあまり表情が豊かとはいえない彼だが、最近では時々こうして微笑んでくれることがある。


「約束が増えていくね。世界をいっしょに旅することとか、妹さんに会わせてもらうこととか」

「後者を了承した覚えはない」

「えー」


 すん、といつもの無表情に戻った少年に、カルマは不服の声をもらした。

 彼の家庭に複雑な事情があることは理解している。けれど、妹に会うことくらいは許してくれてもいいだろう。なにせ彼の妹なのだ。やさしい子にきまっている。


「……機会があったらね」


 少年が、彼にしては珍しくどこか気まずそうに目を逸らすのに、カルマははてと首をかしげた。

 ナナギは、外の世界を知らないカルマにできた初めての友達だった。彼がこうして頻繁に屋敷を訪ねてきてくれるおかげで、カルマは日々の孤独から解放されている。

 カルマとナナギはちがう。カルマの中には、彼と同じ黒い血は流れていない。反対に白い血も。〈灰色の子〉のような灰色でもない。

 だが、カルマ自身もナナギの言うところの「困難が人より多い」側の人間なのだろう。

 幼少期から身体が弱く、屋敷の外に出られない。黒血でも白血でもないが、は持っている。そんなカルマのこれまでの味方といえば、ただ一人の家族である叔父と、彼に与えられた本だけだった。


(──けど、いまはナナギがいてくれる)


 彼との過程がいつまでも続けばいい。

 そんな想いを込めて笑いかけると、夜空色の虹彩に、星のようなきらめきが宿った。

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