13.地下クラブ(スティーブ)
7時ちょい過ぎに目が覚めると、俺の身体には羽毛布団が掛けられていた。ベッドを見遣れば、すでにマエルがいなかった。
「あれ? どこいったんだろ……」
上体を起こして、少しだけ痛む首筋を揉みほぐす。やっぱソファの肘掛けはちょっと高いわ。
ダイニングに出たら、すでにストーブが着火されており、部屋は暖かかった。そして、ハーフアップに髪を結んだマエルが、キッチンに立っているのを発見する。
白いワンピースに身を包み、昨日貸したエプロンを腰に巻いている。ばあちゃんはまだ寝てるっぽい。
「おはよう、マエル」
眠気まなこを擦りながら挨拶すると、マエルが振り返った。フライパンを片手に、何かを焼いているようだ。
「あ、スティーブさん、おはよ! ごめん、キッチン勝手に借りちゃってるね」
彼女の透き通った声を聞くだけで、なんだか元気が湧いてくる。
「なんか悪いね……夕飯に引き続き、朝食まで作ってもらっちゃってさ」
「いいのいいの! お世話になってるんだもん、このくらいやらせてよ」
「助かるよ。ってか、めっちゃいい匂いするけど、何作ってるだい?」
「エッグブレッドだよ! 少し硬くなったパンがあったから、卵とミルクを混ぜた液に浸して焼いてるんだ」
マエルの背後からフライパンを覗き見する。
厚めに輪切りにされた黄色いパンが、香ばしい焼き目を付けてジュウジュウと音を立てている。その隣では、具沢山の野菜スープが煮込まれていた。
「おー、超美味そう!」
「えへへ、エッグブレッドは簡単だけど、私の得意料理なんだ。スープもすぐ出来るから、もう少し待っててね!」
「うん!」
フライ返しを持ち、にこやかに説明したマエルが前を向く。俺はそんな彼女が料理する後ろ姿を、“ホントに健気で良い子だなぁ”と思いながら、しばらく見つめていた。
『結婚していきなり
不意に、別れた元カノのセリフが脳裏をよぎる。
くそ……何でこんな時に、嫌なこと思い出さなきゃいけないんだ――。
歯を磨き終えてダイニングに戻ると、すでにばあちゃんが席に座っていた。血圧が低いせいか、動く気配が全く感じられない様相だ。
「ばあちゃん、今朝は具合どう?」
「……見りゃわかんだろ。すこぶる元気だよ」
「普通にめっちゃ顔色悪いんだけど。目の下にクマ出来てるし」
「そんな煽てられても、何も出やしないよ」
「いや褒めてないわ」
なんだ?
昨晩は早く寝付いてたはずだから、寝不足ってわけじゃなさそうなんだけどな。やっぱり、癌のせいなのか。
そんなやり取りをしていたら、笑顔のマエルが「お待たせしましたー」と、皿を持ってテーブルにやってきた。ガチで可愛過ぎ。
そこへ、ばあちゃんが目の前に置かれたエッグブレッドに、ゆっくりと視線を落とす。
「……おや? ワタシの大好物じゃないか」
驚いたマエルが目を丸くする。
「本当ですか!? え〜良かったぁ。私も大好きなんですよこれ」
「砂糖とシナモンを後にまぶすのは、こっちの地方とは違うね……どこで習ったんだい?」
「私が幼い頃はまだ料理人を雇ってて、よく作ってくれてたんです。その方がビュートンハム出身だったので……」
どこか寂しげな面持ちで語るマエルに、ばあちゃんは小声で「そうかい」とだけ返して、ため息混じりに頬杖をついた。
「ワタシゃ同情なんてしないよ。貴族の間じゃ、また政略結婚が再加熱しているようだが、今更躍起になったって無駄やろがい。アンタ
途端にマエルが姿勢を正して「は、はい、承知してます……!」と顔を強張らせる。
「当主が悪あがきしたところで、それに振り回されて苦労するのは令嬢だけなのさ。未だにそんなことも気付かないなんて、馬鹿にしか思えないね」
「……テレさんの……仰る通りです」
マエルが困惑するように神妙な顔をして、立ったまま俯く。何の話をしてるのかサッパリだった俺でも、堪らずばあちゃんを睨んだ。
「ばあちゃん、もうよせよ。マエルが困ってんだろ」
「スティーブさんいいの。テレさんが話してることは、正しいから」
俺が「でもさぁ」と言いかけても、マエルは首を横に強く振って遮ってきた。
「ほ、ほら、冷める前に早く食べよ! スティーブさん」
「そうだそうだ! 空気読めこのマヌケめ!」
何でばあちゃんが便乗すんだよ。
ツッコむ気力も失せた俺は、エッグブレッドと野菜スープ、最後にマエルが淹れてくれたコーヒーを前にして、ナイフとフォークを手に取った。
「いただきまーす!」
早速、楽しみにしてたエッグブレッドに食らいつく。
サクサクの外側にゴールデンブラウンの焼き色、中は卵のリッチな味わいでふんわり!
甘い香りのシナモンとほんのりバニラがアクセントになり、朝のコーヒーに最適な甘さと食感のハーモニーが口いっぱいに広がる。
「……うんまーいッ!」
バンザイして歓喜したら、マエルが緊張気味な顔を綻ばせてクスッと微笑んだ。傍では、ばあちゃんも満足げな表情でエッグブレッドを口に運んでいた――。
エンゴロの元へ向かう支度して、紺のパーカーを羽織る。ばあちゃんに対しては、一応“仕事に行く”と伝えておいた。
「じゃあ、行ってくるわ!」
玄関先で振り返ると、見送りに来たマエルが俺のマフラーを握りしめて、とても不安そうな顔をしていた。
「本当、無事に帰ってきてよね? 事故とか起こさないでよ?」
手渡されたマフラーを受け取り、首に巻きつける。
「大丈夫だって! 相棒の調子も万全だし! マエルこそ、ばあちゃんのこと頼むな……」
正直、自分のことよりマエルの方がよっぽど心配。 今朝の様子からしても、ばあちゃんはマエルを責めてるように見えた。
胸に手を添えたマエルが「うん、任せて!」と頷く。どこか後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、俺は扉を開けて外に出た――。
曇り空の下で車を1時間ほど走らせ、エンゴロ宅がある住宅街付近まで到着する。車を知られてるため、出来るだけ離れた場所に路駐した。
歩いてエンゴロ宅を、建物の死角から遠目で眺めてみる。今日は土曜日で、普通なら仕事は休み。時刻は9時を回っているが、朝が苦手なあいつなら、まだ自宅にいるはずだ。
監視なんてやったことないからなぁ。けっこう緊張するぞ……。
妙な胸騒ぎと高鳴る鼓動を感じつつも、エンゴロの出発を見逃さないよう、じっと身を潜めて監視を続行した――。
その後しばらく経ち、腕時計を見ると12時前。
ぬぉ〜、何の音沙汰もないと、かなり退屈だぞ。
マエルは、ばあちゃんと上手くやってんのかな。
これといって目立った動きもないまま、腹が減り始めた頃だった。突然、一台の黒い車がエンゴロの自宅前に停車し、運転していた男が降りてきて玄関の扉をノックした。
……誰だ?
注意深く見ていたら、扉を開けてエンゴロが顔を出してきた。やつは咥えタバコで男と少し話をすると、一緒に車に乗り込んだ。
ヤベ、後を追わないと!
俺は焦るようにしてすぐさま車へ戻り、2人が乗る車の追跡を開始した――。
向かった先は、様々な商店が立ち並ぶ繁華街。服屋や装飾品店、飲食店が賑わう中、エンゴロ達は車を大通りに路駐して降りた。
他にも何台か路駐されている中に紛れ、俺も数台後ろに停車させる。
買い物でもしに来たのか?
そう思いきや、2人は店に寄る素振りも見せず、建物の間にある路地へと入っていった。勘付かれないよう角に立って路地を覗くと、昼間なのに薄暗い道を進む2人が、下へ続く階段を降りていくのが見えた。
見るからに怪しいな……。
俺は警戒しつつ、パーカーのフードを目深に被り、マフラーで口元を隠して階段を降りた。ところが2人の姿はそこになく、一瞬見失ったかと思った。
よく見ると、階段下のすぐ横には扉があり、道もそこで途絶えていた。扉の上には[BAR]という木製の看板が掲げてある。
これ、地下クラブだろ。
地下クラブは基本的にバーを営んでいるが、それは仮初の姿であり、実態は賭博場と化していることか多い。もちろん、そこに出入りする連中なんてロクな奴らじゃない。
う〜ん、あんま入りたくないな……。
若干躊躇いながらも、取手を回してゆっくりと扉を開けた――。
「ギャハハハハ」
「シャレになんねぇ〜よ〜」
入った矢先に聞こえてくる笑い声。天板に緑色のフェルトが敷かれるテーブルが5つ配置されており、各々の真上にはテーブルを照らす傘付き照明があった。満席で賑わう連中は、トランプでポーカーらしきものをやっている。
テーブル席以外は、ほとんど顔も分からないほど暗い店内の脇には、バーテンダーがいるカウンターがある。そこでは、ちらほらと酒を飲んでいる人がいた。
え〜と、エンゴロはどこいった?
不審に思われないよう、カウンター席に向かいつつ辺りを見渡す。すると、一番奥の席にエンゴロが座っているのを確認した。会話が聞こえる距離まで近づき、背を向けてカウンターに座る。
「いらっしゃい。あんたはやんないのか?」
席へ着くなり、グラスを磨くバーテンダーが話しかけてきた。
「いや、人と待ち合わせてさ」
「そうかい。何か飲むか?」
「えっと……んじゃ、ソーダを一杯くれ」
軽く頷いたバーテンダーから、ソーダが注がれたグラスを受け取る。それを一口含み、背後の会話に耳を澄ませてみる。すると、周囲の雑音に紛れながらも、徐々に覚えのある声が聞こえてきた――。
「エンゴロ。お前最近相当負け越してるよな? よく毎日こんなとこに顔出せるな」
「あ? 金を生む
「魔法? 偽札でも作ってんのか?」
「やるかよそんなもん。株だよ、株」
「ふん、嘘こけよ。お前に株なんて到底無理だろ」
「実際やるわけねぇじゃん。適当に
馬鹿……?
「上手くいくのかそれ? 本当に株が値上がりしたらどうすんだよ? 『利益よこせ』とか言われちまうだろ」
「何の銘柄を買うかは明かさねぇでおくのさ。『こっちで利益出そうなのを選別して購入する』とか言っときゃ、馬鹿はまんまとハマるって感じよ」
嘘だろ……?
「悪ぃ人間だな、お前……」
「騙される方が悪いんだって。普通、大事な金を他人に預けねぇだろ」
俺のグラスを持つ手は――怒りでプルプルと震えていた。今すぐにでも殴りたい衝動が押し寄せてくる。
エンゴロは、俺を騙してたんだ……。
でも俺だって、空き巣で物を盗もうとしたんだ。未遂で見逃してもらったとはいえ、奴を殴る資格なんて、俺にはないじゃないか……!
それに、やつが言った大事な金を他人に預けたこと自体、俺にも責任がある。
憤りと罪悪感が複雑に入り混じり、椅子から動けずにいた時だった。エンゴロが再び話し始める。
「そういや、つい最近なんて、『ばあさんに贅沢させたい』とか抜かしてた奴がいてよ。先の短い老害相手に貴重な金使うか普通? マジで笑っちまうよな〜」
老害だと……?
まさか、俺のばあちゃんのこと言ってんのか……!
ばあちゃんを侮辱された俺は、押さえ込んでいた怒りが一気に爆発し――ブチッと頭の血管がキレた。
「エンゴロッ!」
椅子が吹っ飛ぶほどの勢いで立ち上がり、奴の名を叫ぶ。フードを取って顔を露わにした俺を見て、エンゴロの目が点になった。
「な、なんだよ……! 誰かと思えば、
「俺のこと騙しといて、何が親友だ! 50ポンド返せよッ!」
唐突に始まった口論で、周りも何事だと言わんばかりにシンと静まり返っている。
畜生……あの時の言葉はなんだったんだ!
『そういうことなら、お前のばあさんのために俺が一肌脱いでやるよ』
『え、でも大変だろうし、悪いよ……』
『水臭ぇこと言うなって。俺たち親友じゃねぇか――』
こいつのこと、心底信じてたのに……!
力一杯に唇を噛み締めたせいか、口の中で血の味が滲み始めた。エンゴロが呆れたようにほくそ笑んで、両手をヒラヒラさせる。
「おいおい、聞いたかよみんな? 親友に向かってヒデェこと言ってんぞこいつ。別にさっきの話は、他のやつの事だったんだけどさ」
「ばあちゃんを老害呼ばわりしといて、言い逃れすんな! それに、株券も見せないで、俺をその気にさせてきただろ! お前が自慢げに語ってた手口と、同じじゃないか!」
「ほ〜う……少しは調べてきたってわけか。ただ残念だけど、株券は全部捨てちまったんだわ。今頃騒いだって後の祭りなんだよ。分かる? っていうか、騙したって証拠は?」
エンゴロの言い訳に対し、俺は「く……!」と怯んだ。
怒りに身を任せて、勢いよく突っかかってはみたものの、奴を言い負かす根拠も材料もない。悔しさで尻込みする俺に、エンゴロが薄ら笑いを浮かべてくる。
「はぁ〜、せっかく善意で助けてやろうとしたのになぁ。親切な俺を疑ってくるとは、もうお前なんか
エンゴロが周囲に同意を求めると、それに応えるように、みんなが俺を白い目で見つめた。困惑した俺がキョロキョロと見渡す。
「な、なんだよ……! 何でみんな、お前の味方みたいなツラしてんだよ……!」
「相変わらず空気読めねぇやつだな。場をシラケさせてんのが、まだわかんねぇのか? ここはみんなが楽しむ場所なんだ。その
「くそ……ふざけんなッ!」
我慢の限界に達した俺は、ついにエンゴロへ殴り掛かろうとした――ところが、振りかざした拳をバーテンダーにガシッと掴まれてしまう。
「ここで暴れられると困るんだよ。出禁にするぞこの野郎」
「うるせー、放せよッ!」
と、強引に腕を引き離そうとしたら、別の男に後ろから思いっきり羽交い締めにされた。何とか振り解こうと抵抗しても、今度は2人目に掴まれて、全く身動きが取れなくなる。
それを見兼ねたように、エンゴロがゆっくりと立ち上がった。
「こりゃダメだわ……おい」
真顔になったエンゴロの号令で、周囲の連中がゾロゾロと俺を取り囲み、押し潰されるように床へ膝をつかされた。
辛うじて見上げると、照明の逆光で影になった男達が、不気味にニヤリと口角を上げた。
『本当、無事に帰ってきてよね? ――』
マエル……ごめん。
どう考えても、無事に帰れそうにないわ――。
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