5.夢心地(マエル)
「俺はマエルのこと……信じるよ」
スティーブさんが、俯いて涙する私にダウンコートを掛けてくれた途端――時が止まったかのように感じた。
指先で涙を拭いながら顔を上げたら、彼が青く澄んだ綺麗な瞳で、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
やだ……く、苦しい……。
あったかいコートに包まれる中、胸がギュウーッと締め付けられる感覚に襲われ、声が出ないほど息が詰まる。
『どうして信じてくれるの?』なんて、聞き返す必要がないくらい――彼の言葉が心に重く、強く響いていた。
「あ、ありがとう……」
「辛かったな……」
これ以上、スティーブさんと目を合わせていられず、そっと視線を逸らす――。
しばらくの沈黙が続いていたら、彼が「そういえば、両親はどこへ?」と質問してきた。
「……え、えっと、し、親戚のところへ出掛けたんだよ。私の引越し先を相談しにね」
スティーブさんが「引越し先?」と片眉を上げる。
“浮気で婚約破棄をされた”という醜聞は、あっという間に社交界で周知されてしまっている。
絶望的な私の処遇に悩んでいた両親が向かった先は、
「な、何で海外なんかに引っ越す必要あんの!?」
「だって、もう国内の貴族社会に私と結婚してくれる人なんていないもん……仕方ないよ」
「いやいやダメだろそんなの〜!」
と、スティーブさんが立ったまま、表情を歪めて頭を抱える。
「な、何で貴方がそんなに落ち込むの?」
「え? だってマエルは浮気してないんだろ? 可哀想過ぎるって」
「そんなこと言われても、もう私は自分の運命を受け入れたから……」
運命を受け入れたとは言っても、そんな簡単だったわけじゃない――。
婚約破棄された日を堺に食は細くなり、幾度となくキリアンと過ごした日々が頭を過って、その度に胸がズキズキと痛んだ。
彼をこんなにも想っていたなんて――と、失ってから初めて自分の気持ちに気付かされる。
こんなに辛いなら、海外へ移住して心機一転する他ないと思った。言葉の壁や文化の違いに苦労するかも知れない。けど、何かに集中していれば、少なからず痛みは忘れられるはず。
そうやって無理矢理にでも納得しようと、自分へ言い聞かせてきた――。
「今日だって、これから“一人旅”に出ようかと思ってた矢先に、貴方が入ってきてすごい焦ったんだから」
「一人旅……? あ、だから両親と行かずに屋敷にいたんだ?」
「ううん。留守番してたのは、一緒に行く気になれなかっただけ。旅しようなんて思ったのも昨晩なんだ。なんか……3日も屋敷に独りで居たら、余計思い詰めて気が滅入っちゃいそうでさ」
眼を瞑ったスティーブさんが「なるほどね……」と腕を組む。椅子から立ち上がって壁の鏡で自分を見たら、燃えるように顔が赤くて、急に恥ずかしくなった。
「……だ、だからこんなところでゆっくりしてる時間ないんだって。とにかく、空き巣は未遂に終わったことだし、貴方のことは咎めたりしないから……もう帰っていいよ?」
スティーブさんが「え、でも、不法侵入しちまってるんだが……」とオドオドし始める。
「不法侵入は“住人が訴えなければ罪に問われない”の! もういいから出てって! とっくに支度し終えて、これからタクシー呼ぼうとしてたんだから!」
スティーブさんの背中を押して寝室から押し出そうとしたら、彼は「おーちょっと待てって!」と踏ん張ってきた。
「もう、何?」
「ここにいますけど? タクシー運転手」
「……え?」
そうだった。
サラリと聞き流してたから、ウッカリ忘れてた――。
「待って、こんなところに車停めて侵入してきたのッ!?」
荷物を持ってくれたスティーブさんに案内された私は、彼が乗る少し古い型式のセダンを見て唖然としていた。道の反対側とはいえ、門のすぐ近くに置かれていたからだ。
「はぁ……もうちょっと目立たないところに置くとか、何でしなかったの?」
「いや〜衝動的に忍び込んだから、何も考えてなかったんだ……あははは」
と、彼が苦笑いしながら後部座席のドアを開けてくれたので、嘆息しつつ車へ乗り込む。
バンッとトランクが閉まる音が聞こえた後に、スティーブさんが運転席へ座る。そして、振り向き様に「これ、寒いから使いなよ!」と毛布を手渡してくれた。
「え? ……あ、ありがとう」
トランクから出してきたであろう毛布を広げ、膝から下を覆っていると、スティーブさんがチラリと横顔を見せてきた。
「さてと……お客さん、どちらまで行かれますか?」
「何その話し方? 急になんか変」
「おいおい変とか失礼なこと言うなよ〜! 一応仕事的な感じで接客してんだから」
どうやら、スティーブさんはこの車で仕事をしているらしい。改めて見ると、小綺麗にされた車内に感心する。
「実は、まだ行き先とかちゃんと考えてないんだ。
彼は「そうだったの!?」と意外そうな反応をして、少し考え込むように間を置くと「あ、良いところあるよ!」と微笑んだ。そこへ私が勘繰るように目を細める。
「……何かやましいこと考えてない? まさか、ホテルとかに連れて行く気だったりして」
「ははは、そうしたいところだけど、残念ながら違うんだ! 今の君にとって、ピッタリな場所へ連れて行ってあげる!」
私の少し意地悪な口振りにも、冗談気味に屈託のない笑顔で返すスティーブさん。本当に……優しくて良い人。
「ピッタリな場所って?」
と訊いてみても「着いてからのお楽しみさ!」と濁されてしまう。
正直、若干不安ではある。けど最悪危険を感じたら、減速した時に“ドアを開けて飛び降りよう”と思った――。
しばらくして、スティーブさんの運転が上手いことに気付く。
タクシーはそれなりに利用してきたつもり。でも大体の人が急発進や急ブレーキ、ギアを変更する時のガクンッみたいなノッキングが起きたりするのに対して、彼はそういった乗り心地の不快感が一切ない。
「運転、すごい上手だね」
「え、そうかい? 君に褒められるなんて嬉しいなぁ〜!」
逞しい腕でハンドルを握る彼とそんな会話をしていたら、急に眠気が襲ってきた。
ここ最近は夜に悶々とすることが続いていて、昨晩もあまり眠れていない。ウトウトしながらも、何とか瞼を開けて堪える。
ところが、毛布の温かさや眠りを誘う揺れ具合もあり、ついに寝落ちしてしまった――。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
道中に意識が朦朧とする中、窓越しにスティーブさんの給油している姿が見えた気がしたけど、そのまま肩をドアに寄せて眠り続けた――。
「着いたよ……おーい!」
スティーブさんの呼ぶ声に起こされ、ゆっくりと目を開ける。彼が「あ、やっとお目覚めかい?」と微笑みながら、私の口元をハンカチで拭ったような感触が。
咄嗟に「はッ……」と口を手で押さえる。
もしかして今、ヨダレ垂れてたの拭かれた!?
起きて早々、めちゃくちゃ恥ずかしい思いをしたのはさておき、腕時計を確認したら12時前。どうやら約3時間近くも移動していたらしい。
そしていつの間にか、曇っていた天気が嘘のように晴れていた。
車のルーフに手を置くスティーブさんに導かれ、後部座席から降り立つ。
どこか自慢げな表情をする彼が“あっちを見てごらん”と言わんばかりに、顎をクイッと指してきたので振り向いてみる。
「うわぁ……!」
燦々と降り注ぐ太陽の光りを浴びながら、思わずそんな声が溢れてしまった。
なんと目の前には――真っ白に輝く砂浜と、美しいエメラルドグリーンに染まる、壮大な海が広がっていた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます