31 桜 2




雨は夜中には止んでいた。

周りの木々には朝露が光っている。

地面は少しばかり濡れているが歩くには問題はない。


「結構重いから助かったよ。」


と築ノ宮が言うと狐の子が言った。


「すごいごちそうだね、どうするの?」

「これはね、みんなで宴会をするんだよ。」

「宴会?」

「ああ、これからとても良い事が起きるんだ。

お祝いだよ。」


と築ノ宮がにっこりと笑った。

子狐はそれを見てまた跳ねる。


「おじいちゃんが笑うとぼく、嬉しくなる。」

「そうかい?私も嬉しいな。」


二人は顔を合わせて笑った。

すると細い道から小さな物の怪が顔を出した。

築ノ宮はそれ見て微笑みかけた。


「乗るかい?」


すると小さな物の怪は飛び跳ねてカートに乗った。


「まだ食べちゃだめだよ。我慢するんだよ。」

「でもリンゴ……。」


横を歩いていた狐の子がカートに飛び乗り、

小さな物の怪と顔を合わせてから築ノ宮を見て言った。


「良い匂いだろ。

でも我慢してから食べると倍ぐらい美味しくなるよ。」


ふふと築ノ宮が笑う。

すると突然カートが軽くなった。

後ろを見るとカートの後ろをイノシシが押している。

イノシシはちらりと築ノ宮を見た。


「ありがとう。」


そして気が付くと沢山の獣や物の怪達が

初めてここに来た時のように後ろを歩いていた。

中にはカートを押す者もいる。

鳥はカートに止まり綺麗な声でさえずっていた。

築ノ宮はもう力を入れる必要はなかった。


彼は知らぬ間に鼻歌を歌っていた。

今まで感じた事がないぐらい気持ちが良かった。


そして朝日の中に輝く草原に着いた。


草の上の露が日光に照らされて虹のように光っている。

何万と言う小さな虹だ。

その虹は空に吸い込まれて消える。

水が空に帰って行くのだ。


空にはまだ少しばかり灰色の雲が残っていた。

だがそれも日が昇れば白く変わっていくだろう。


そして草原には鮮やかな色を湛えた桜の木があった。

桜は満開だった。


透明な美しい色を桜は誇っている。


それは遠い昔に見たあの宝石、

彼女の胸元に光っていたあの石、

ローズクォーツの色だった。


桜の樹に近寄った築ノ宮はしばらく

樹の美しさに見惚れていた。


築ノ宮は手を伸ばして桜の花に触れた。

柔らかなその感触は何かを思い出させる。


そしてそこにふと人の手が現れた。


実体はない。

まるで幻のような手だ。

それが築ノ宮に触れた。


彼は目を閉じてその感触を確かめる。

春の日差しのような温かさだ。


彼は両手を差し出すとその光もそれを握った。

ゆっくりと光を引き出すように彼は手を引いた。


桜は輝いている。


光は桜から生まれたようだった。

そしてそれは人の形をとる。


「ずいぶんと遅かったね。」


築ノ宮が光に囁くと光は近づき彼を包んだ。


「ハル……。」


波留が今戻って来たのだ。

ずっと待っていた彼女が。


築ノ宮は光に包まれて輝いている。


それを間近に獣や物の怪が見つめてそれぞれが鳴き声を上げた。

その声は不思議な響きを持ち草原に広がった。


そして桜の樹からは沢山の光が溢れ出て来た。

その光はそこにいる獣や物の怪達に近寄って行く。

中にはその光に触れて涙を流す者もいた。


獣や物の怪達の声が広がる。

自然をたたえ、そして命を繋ぐ。

消えてしまった者が戻って来た喜び、

そしてずっと離れ離れだった二人が出会えた事を祝う歌だ。


築ノ宮は皆を見た。


「本当にありがとう。

君達が私をここに連れて来てくれたんだ。

だから会えたよ、やっと。

君達も懐かしい人に会えたかな。」


彼はカートを見た。


「それは君達への贈り物だ。今日を祝って欲しい。」


声にならない歓喜が聞こえる。


「だが酒瓶やカートはロッジに戻してくれよ。

ここを汚す訳にはいかないからね。」


どっと笑い声も聞こえる。

そして手が使える獣や物の怪が神饌を皆に分け始めた。


築ノ宮は桜の木の下に座り、それを見ていた。

光もそれに寄りそう。


しばらくすると光は波留の姿になった。


「アキ……、」


彼女が築ノ宮の頬に触れた。

波留は姿を消したその時のままだ。

美しい桜色の髪が光っていた。


「遅かったのね。ずっと待っていたのに。」

「遅かったのはハルじゃないか?」

「だって今から行くって電話をしてくれたでしょ?」


波留が消えた時、その寸前に築ノ宮は電話をしていた。

それを言っているのだろう。

彼女の記憶はその時で止まっている様だった。


「ごめん、仕事が忙しかったんだ。」


話を合わせるように築ノ宮が言った。


「仕方ないわね。

でも来てくれたからもう良いの。」


と波留が笑った。

それを見て築ノ宮が彼女をそっと抱いた。


「私はすっかり歳を取ってしまったよ。

おじいさんだろ?」


波留は彼の胸に頭を寄せた。


「おじいさんじゃないわよ。」


はっとして彼は自分の手を見た。

その手は若い頃の自分の手だ。

彼は驚いて自分の身を見た。


その姿は波留と出会った頃の自分だった。


「ハル……、」


築ノ宮は驚いた顔で波留を見た。

波留はくすくすと笑った。


「何だか変よ。疲れているの?」


築ノ宮も笑う。

そして再び彼女を強く抱いた。


「そうなんだ、すごく疲れたんだよ。」


ハルが優しく築ノ宮の頬を撫でた。


「大変なお仕事だもの。皆を守るんでしょ?」

「そう。」


築ノ宮は波留を見た。


「でもその仕事は終わったんだよ。

また別の仕事が始まるけど、

今度はハルとずっと一緒に居られるよ。」

「えっ?」


彼女は不思議そうな顔をして築ノ宮を見た。


「もう離れない。」

「ほんと?」


少し疑いの顔で彼女は彼を見た。

築ノ宮が彼女に囁く。


「私達の子どもは元気?」


波留がはっとして自分のお腹を触った。


「そう、そうよね、どうして忘れていたのかしら。」


と言うと彼女のお腹が光り出した。


「まだ小さいけどとても元気、可愛いわ。」


彼女は幸せそうに笑った。

築ノ宮がお腹に触れている波留の手を

その上からそっと触った。


「この子の未来は分かる?」


一瞬波留がとまどった顔をした。


「未来……、」

「ハルなら分かるよ。」

「でも……怖いものが見えたら……、」


築ノ宮が微笑んだ。


「そんなものは見えないよ。

私達はこれからずっと一緒にいてもっと子どもを作るんだ。

この森が桜に包まれるんだよ。」


波留はゆっくりと周りを見渡した。


「ここって、部屋じゃないわ。

草原……。」


波留は今初めて自分がいる場所を見たのだ。

そしてはっとして築ノ宮を見た。


「そう、今見えたわ。

遠い未来、桜の木がいくつもある。

そして満開で花が咲き誇り……、」


波留と築ノ宮の目が合う。

彼は彼女が自分の心に触れたのを感じた。

そして彼女は自分に何が起きたのか、

今まで何があったのか、

築ノ宮がその後どう暮らしたのかをすべて悟ったようだった。


「私は……、」


波留の光が少し弱くなる。

だが築ノ宮は波留を抱き締めた。


「ハルは全然悪くないんだよ。私が君を巻き込んだんだ。

本当にごめん……。」


波留はしばらく彼の胸に顔を埋めていた。

そして静かに話し出す。


「違うの、そうなるのが運命だったの。

そして私は怖くてそれを見なかった。

でももし見たとしてもあなたと離れるつもりは無かったわ。

アキと別れるなんて考えられない。」


彼女の瞳に光が走る。


「私と一緒にこの桜の木になって聖域を守るのね。」


彼女の顔ははっきりと彼を見た。


「そして今お腹にいる子は若木になるの。

聖域の木はこれから増えるのよ。」


彼女は優しく笑っていた。

築ノ宮とその運命も全て知ったうえで、

彼と一緒になる事を選んだのだ。


「それで良い?」

「ええ。」


築ノ宮は彼女の頬に手を触れ彼女に口づけた。


「ハル、私は嬉しい。」

「私も……。」


そして築ノ宮はポケットから形が変わってしまったブローチを出した。


「ブローチだわ。石が……。」

「それでこれも見て。」


それはあの宇宙人が付いたスマホだった。

宇宙人はかろうじて色と形が分かるぐらいで

全体的にすり減っていた。


「今では骨董品だ。」


波留が宇宙人を見た。


「私はこれが大好きよ。」


波留はにっこりと笑った。


「そしてローズクォーツがずっと繋いでくれた。

砕けてしまったけど波留を忘れないようにしてくれた。

父上のおかげだ。」


築ノ宮が彼女の髪に口づける。


そして波留の光が強くなり二人を包んだ。

光の中で二人は溶け合い、

歓喜に満ちた光はゆっくりと桜の樹に吸い込まれていく。


それを獣や物の怪達が見守っている。

そして光が消えると樹の下には誰の姿もなかった。


白い日差しが大地を照らし、桜の花びらが静かに散り出した。

まるで喜びに打ち震えるようだった。

獣や物の怪達がそれぞれ鳴き声を上げ、

この世界を奏でた。


桜の樹で今まで聖域を守っていたのは築ノ宮の父親の博倫だ。

そして今、守り人は変わった。築ノ宮と波留だ。


人と物の怪の血が一緒になり聖域を守る。


世界は一つになった。


それは築ノ宮が真に求めていたものだ。

それが今ここに現れたのだ。






翌朝、麻生が起き外に出ると

空になった酒瓶が入っているカートが置いてあった。


築ノ宮は帰って来なかった。


彼は何も言わずそれを片付けて

築ノ宮が残した荷物をまとめた。

それを持ってすぐに本部に行くつもりだった。


彼は聖域を見る。

昨日から何となく様子が変わっていた。

強いものが復活したようだった。


彼は聖域に入った事がない。

入ろうとしたがすぐに元の場所に戻ってしまった。

何度か入ってみたが奥には行けないので結局諦めてしまった。


彼は子どもの頃から不思議なものを見た。


それが物の怪であると知ったのは大人になってからだ。

縁があったのか彼は三五商社に入社する。

そこで初めて自分に能力があるのが分かったのだ。


そして自ら志願をして聖域そばのロッジの管理人になった。

孤独な仕事だ。

だから誰もやりたがらない。


でもそれで良いと麻生は思った。

電気もガスも通じていない。

一応緊急用のソーラ発電機はあるが定時連絡に使うだけだ。

一人が食べるのに十分な畑を作り、毎日薪を割る。

その畑も不思議な事に荒らされたことはない。

静かな世界で暖炉を見ながら夜を過ごす。

聞こえるのは自然の音だけだ。


彼は車を出し街へ向かった。

何年ぶりだろうか。

この車も築ノ宮が乗って来たものだ。


やがて彼は本部に着き全てを報告した。

築ノ宮の荷物を相手側はあっさりと受け取った。

多分こうなるのは知っていたのだろう。


報告はすぐ終わった。


その日のうちに麻生は帰る事となった。

その時だ、事務方が彼を呼び止めた。


「荷物になりますが、昨日の朝、築ノ宮様から承りました。」


と事務方が手提げ袋を彼に渡した。

それは結構重い物だ。

中を見ると酒の写真が印刷されたパッケージが2つ入っていた。


「あっ!」


彼は声を上げる。

それを見て今まで表情を変えなかった事務方が少し笑った。


「スコッチです。

築ノ宮様がありがとうと伝えてくれと。」


彼はそう言うと深々と頭を下げた。

麻生は口をぐっと結んだ。

泣きそうになったからだ。


彼は本部を出た。


街は黄昏だ。


雑踏の音が絶え間なく聞こえて人々が行き交う。

麻生がいつもいるロッジとは全然違う。

大都会だ。

今から帰ると夜中になるだろう。

それでも彼は家路を急いだ。


電車を何度か乗り換え最後の駅を降りた。

ここから2時間ほど歩くのだ。

駅前に人気は全くない。


「雨でなくて助かったな。」


麻生は呟くとロッジに向かって歩き出した。

彼は夜道などまったく怖くなかった。

しかも今夜は満月だ。


山が深くなればなるほど緑の匂いは濃くなり、

微かに生き物の気配がする。

まるで夕方までいた街中のようだ。

生き物で溢れている。


「いつかは桜の木が見られるかなあ。」


一緒にスコッチを飲んだ築ノ宮を彼は思い出した。


「知り合いだから

一度ぐらいは案内してくださいよ、築ノ宮様。」


麻生は少し笑いながらロッジに向かって歩き続けた。







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