20 由美子




何もしゃべらなくなった波留をマンションに残してから

何日か経った。

築ノ宮は仕事はそつなくこなすが生気が全くなかった。


由美子がちらりと彼を見る。


「築ノ宮様、今日は午後から廃止予定のビルに参ります。

地下には近寄れないほどの妖気が満ちているようです。」


築ノ宮の返事はない。


「築ノ宮様?」

「あ、はい。分かりました。」


由美子はため息をついた。


「大丈夫ですか?今日はかなり危険ですよ。」

「分かっています。術師の方々にご連絡は?」

「はい。現地集合となっております。

今回は物の怪だけでなく鬼も関わっているかと。」

「分かりました。」


それはなかなか複雑な案件だった。


そして彼らはその場で魔の者と対峙する。

だがその時築ノ宮はミスを犯した。

下調べが十分ではなかったのだ。


鬼は一体でなく何体もいた。

襲われかけた築ノ宮をかばって術師が二人ほど

鬼に体を掴まれ大怪我をした。


最後は無事全て祓うことが出来たが、

怪我人が出たのは失態だ。


だがその事故も築ノ宮なら避けられるはずだったが、

今日はいつもの彼と違っていた。




築ノ宮は執務室のソファーに座りがっくりと肩を落としていた。

額や頬、手に何か所か擦り傷があったが大したことはない。

確かに仕事上での事故は痛い。

彼らしくないミスだったがとりあえずフォローは出来た。

それでも尋常でない落ち込み方だ。


「申し訳ありませんでした。」

「いえ、とりあえずカバーは出来たので……。」

「でもお二人も怪我をさせてしまった。私のミスです。」

「起こってしまった事は仕方がありません。

彼らに出来る限りの事をしましょう。手配をいたします。」

「……お願いします。」


と言いつつ築ノ宮はうなだれたままだ。


この前から彼の様子がおかしいのは彼女は分かっていた。

ここのところ彼はかなり調子が良かった。

その理由は築ノ宮に愛する人が出来たからだ。

それ故に彼の気配もいつもとは違っていた。


だが少し前からそれが全く無くなっていた。

何かあったのだ。

それは普通の人ならそっとしておくに限るかもしれない。

ただ彼は普通の人ではない。

これが続けば何かしらの事故が再び起きるかもしれない。

それが大事故となれば……。


「築ノ宮様……、何かありました?」


由美子は低く小さな声で聞いた。

もっと早く彼に聞けば良かったのかと彼女は感じていた。

彼は大人だ。

自分で決めるだろうと思っていたが、

今回はさすがに彼だけでは解決出来ない事が起こったのだろう。


築ノ宮がちらりと彼女を見た。


「いや……、」


由美子は築ノ宮の前に座った。


「仕事上このようなミスが続けば

致命的ななにかを引き起こすかもしれません。」

「……、」

「でもね、」


彼女の口調が変わる。


「仕事なんかより、あなたがそんなに落ち込んでいる方が心配。

彼女と何かあったんでしょう?」


彼がはっと顔を上げた。


「でしょ、私は何も言わなかったけど彼女いるんでしょ。

見れば分るわよ。」

「渡辺さん……、」

「みんな知ってるわよ、毎日ウキウキしてたから。

それが駄目とは言わないわ。本気なんでしょ?

すごく調子が良かったし、

あなたがそんな感じだとみんな何だかいい気分だったのよ。」

「いい気分、ですか。」


築ノ宮が驚いた顔になった。


「仕事の失敗はともかくそれに影響が出るぐらい

重い何かが起きたって事が一番問題なのよ。辛いんでしょ。」


築ノ宮が視線を落とし大きくため息をついた。


「……そうです。

どうしたらいいのか分かりません。」


由美子は目の前の築ノ宮を見た。

普段は堂々として重大な問題でも

考えに考え抜いて解決してしまう。

そんな男が一人の女性の事で深く悩んでいるのだ。


「彼女ってどんな人?悪いけど居場所は調べたわ。

カプセルトイのマンションね。」

「そうです。」

「お金持ちとかではなくて普通の人らしいけど。」


築ノ宮の顔が曇る。


「普通の人じゃないのです。

お父さんは人ですがお母さんが物の怪です。」


一瞬由美子は耳を疑った。

返事が出来ない。


「波留と言う女性ですが

本人も最近までそれは知りませんでした。

お母さんは早くに亡くなったそうです。」

「……そのような方とどこで知り合ったの?」

「あのモールでトランプを使って占い師をしています。

たまたまそこに行って気配を見つけました。」


休日にショッピングモールで築ノ宮は趣味のカプセルトイを買う。

そこで彼は彼女、波留を知ったのだ。

休日に彼は公共機関を使って出かける。

そして色々なモールにも行くが、

ただ趣味だけでなく街の様子を知る為でもある。


「波留はほとんど物の怪の気配はありません。

人の世界で生きているのが長いからだと思います。

ほぼ人です。

でも先日叔父上が彼女の占い部屋に来たそうです。」

橈米どうまい様が……。どこで知ったのかしら。」


彼女は少しぞっとする。

橈米は心根は決して良くはない。

物の怪とみればすぐに祓う。

今は築ノ宮が仕切っているので自由には出来ないが、

築ノ宮と付き合っている女性の前に現れたのだ。

何かしらの企みがあると考えて間違いない。


「分かりません。ただ私達は一緒にいるのを隠していません。

間違った事はしていないつもりです。

でもどこかで見られたのかも。」

「それで橈米様は波留さんに何を……。」

「彼女にお前は物の怪であると伝えました。

そして波留は叔父の記憶を見たそうです。

その中でトランプを持つ女性を祓う姿があったと。」

「波留さんなの?」

「いえ、波留さんのお母さんらしいです。」

「そんな……、」


由美子は愕然とする。

波留と言う女性が物の怪ならば

その母を祓ったのは築ノ宮の叔父だ。

築ノ宮は母の仇の身内なのだ。

彼が悩ましげな顔で額を手で押さえた。


「しばらく会いたくないと言われました。

そして私の仕事も彼女は知ってしまいました。

私の心が見えてしまったそうです。」

「物の怪を祓う事をですか。」


一体どうすればいいのか。

由美子は途方に暮れた。


物の怪を祓う家系の築ノ宮が愛している女性は半人半妖だった。

そしてその彼女の母親を

築ノ宮の叔父の橈米が祓ってこの世から消した。


しばらく二人は黙り込んだ。


「……渡辺さん、もう良いです。」


築ノ宮が弱々しく言った。


「そ、そんな訳にはいかないわよ。

あなたがこんなに落ち込んでいるのは見た事無いもの。

好きなんでしょ?その波留さんと言う人。

別れたくないから落ち込んでいるんでしょ?」


築ノ宮は俯いたまま頷いた。


「分かったわ。私が話をしてみる。電話をして。」

「電話をしても出ないかもしれない。」

「良いの、留守電に私の声でまた電話すると入れるわ。

それでもだめなら家に行く。」

「渡辺さん……。」

「ほらプライベート用のスマホを出しなさい。」


築ノ宮がおずおずと宇宙人が付いたスマホを出した。

それを見て由美子は

やっぱり中身は可愛い男の子なのねと思った。

今目の前の築ノ宮の顔もどことなく不安げで

子どもっぽく見えた。


彼女は電話をする。

それはすぐに留守電に切り替わった。


「もしもし、私は築ノ宮様の秘書をしている

渡辺由美子と申します。

築ノ宮様がお仕事で怪我をされてしまいました。

至急ご連絡いただきたいと思います。」


築ノ宮が驚いた顔をする。


「怪我って擦り傷……。」

「良いの、確かに怪我はしてるでしょ。嘘は言ってないわ。

ガンガン押すわよ、

こういう時はどうしたらいいか仕事柄よく分かってるわ。」


するとすぐに波留から電話がかかって来た。


「ほら、良い彼女じゃない。」


と由美子はにやりと笑う。


「ともかく黙って聞いていてね。」


そう言うと彼女は電話に出た。







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