「こんにちは。良ければあそこのバルコニーから、ライトに照らされた庭園を一緒に眺めませんか?とても美しいと評判の庭だと聞いて、今日は楽しみにしていたのです。一人では寂しいので、一緒に行っていただけると嬉しいのですが」

「え……あの……」


 突然現れて話しかけた男に、ルガー夫人は戸惑った様子だ。

 当然だろう。

 ルガー夫人にしてみれば、あの腹の出た伯爵も、遊び人の子爵令息も、俺も、等しく同じ、知らない怪しい男だ。

「突然すみません。私はセドリック・ハウケと申します。ハウケ伯爵家の者です」


『あなたのお兄様をあのバルコニーで見かけたと、友人が言っていました。そこまでお連れするだけですよ』

 ルガー夫人の耳元に口を寄せて、小さな声で囁く。

 信じてもらえればいいのだが……。


ルガー夫人は、不安げな様子だったが、チラリと腹の出た伯爵のいる方向を見た後、意を決したように、頷いてくれた。


「良かった」

 安心して息をつく。

 伯爵の方はあえて見ない。

 身分としてはあちらが上だが、俺の後ろ盾のハウケ家の方が、領地が広くて歴史が古く、栄えていて格上だ。

 揉める気はないのだろう。

 おデブ伯爵は、最初からそのつもりでしたという風を装って、その辺にいる男に「久しぶりじゃないか君―」などと話しかけている。



「それでは行きましょうか」

エスコートをするために差し出した手に、ルガー夫人の手が重ねられる。

 ついつい、その手を初恋の従妹のものと比べてしまう。

 彼女は背がスラリと高く、もう少し手が大きかった。

 何でか知らないがプラテル伯爵には大人しく付き従っていたようだけど、昔から意外と気が強くて、頑張り屋で、言いだしたら聞かない頑固なところがあったのだ。

 いつも言い争いの喧嘩をしていた初恋の少女の、意志の強い瞳を思い出して、自然と頬が緩んでしまう。


 ザワリ


思わず俺が笑ってしまうと、周囲の人々が驚いて騒めいたのを感じる。

しまった。

普段俺がこんな夜会で笑う事などめったにないから、奇異に思われたのだろう。

いけないいけないと、気合を入れて表情を引き締める。

ルガー夫人を見ると、なぜか赤い顔をしている。

きっと既にワインでも飲んでいたのだろう。


夜会の開催される会場のバルコニーは、大抵どこでも、ちょっと二人きりになりたい事情のある者たちのために、会場の中からは見えにくくなっているものだ。

まあたまには内緒の仕事の相談をする者もいるだろうが、ほとんどは気が合った男女が静かに話したい時などに使われる。

この夜会が開催されている貴族の屋敷のダンスホールも例外ではなく、ホールからは見えにくいように、厚手のカーテンが降ろされていた。


そのカーテンを越えてバルコニーに出て、驚いた。

そこにあるのは2人用のソファーだけ。

ルガー夫人の兄上の姿は、影も形もなかったのだ。


「あ、あれ、おかしいな。確かにあなたのお兄様がここにいると、友人から聞いたのですが」

 これでは嘘をついていたいけな夫人をバルコニーに連れ出した、遊び人の男そのものではないか。

 焦って言い訳をしようとする俺に構うことなく、ルガー夫人の視線は、庭の外、遠くへと向けられていた。


「あ! あの馬車……」

「馬車?」


ルガー夫人の視線の先を追うと、ちょうど屋敷の門から出ていく1台の馬車が見えた。

 少し早いが、挨拶だけして早々に帰る貴族がいるのだろう。

「実家の……兄の馬車です。どうしましょう、置いていかれてしまったわ。私どうやって帰れば……」


 おい。

おい、兄。

 お前何をやっているんだ。早々に妹置いて夜会を抜け出して。

 どこぞの令嬢を連れ出すことに成功でもしたのか??

 残された妹どうする気だ。どうなってもいいのか!?


「辻馬車……は、もうこの時間やっていませんよね。ああ、どうしましょう」

「…………私の馬車で、一緒にお送りしますよ」


それ以外に、選択肢があるだろうか?

普通の紳士なら、誰だって困っている女性を送り届けるくらいするだろう。


だけど、いきなり夜会会場のど真ん中でルガー夫人に声を掛けたと思ったら、暗がりのバルコニーに誘って二人きりになって、しかも自分の馬車に乗せて二人で帰る男、俺。

明日の社交界で、どんなふうに噂されるのか、考えたくもない。


―――これ、詰んだのはもしかして、俺の方なんじゃないのか?


 ライオネルがニヤリと笑った幻想が、見えた気がした。





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