第15話 そんなこと書いたっけかな

 いきなり借金の申し入れをしたケヴィンに、アニータは予想外にも、ただ優しく笑ってくれた。


「詳しく話を聞かせてちょうだい。その様子だと、ただ何も考えずに来たわけではなさそうね。」





「はい!こちらの資料をご覧ください。」

「あら、あなたは?」

「ケヴィン様の執務のお手伝いをさせていただいています。アメリヤと申します。」



 話を聞いてもらえる!

 期待感に胸を高鳴らせて、アメリヤはケヴィンに教えてもらったマナーを必死に思い出しながらアニータにお辞儀した。



「とても可愛いお嬢さん。よろしくね。」

「あ、ありがとうございます!」



 そんなことを言われたのは、何年ぶりだろうか。

 アメリヤはアニータのことを、すっかり好きになってしまった。

 例えお金を貸してくれなくても、説明を聞いてくれた後なのだったら仕方ない。



 アメリヤは出来る限り簡潔に分かりやすく、ケヴィンと一緒に用意をした資料を重厚なテーブルに広げ、プラテル伯爵領の状況を必死になって伝えたのだった。







*****


 「あの子爵ったら。こんな高金利で貸し出すなんて酷いわ!」



 説明が終わると、アニータ様は顔いっぱいに「悔しい」と書かれているような表情をして、一緒になって高利貸し貴族に対して怒ってくれた。

 ウェステリア王国の貴族令嬢に比べて、感情表現がとても豊かだ。




「こんなに有利な契約じゃ、普通に返そうとしても受け取ってくれないでしょうね。いいわ、夫にも頼んであげる。ターニャ国の公爵から返せば、返済金を受け取るでしょう。」


「へ?お金を貸してくれるのか。」




 ケヴィンがあっけにとられたように、気の抜けた声を出す。

 アメリヤも同じ気持ちだった。公爵からお金を返してくれる。つまり、公爵様が、プラテル伯爵領にお金を貸してくれるということだ。



「そんなあっさりと決めてしまっても、いいのかい?先に公爵様に相談をしなくても。」


 よせばいいのに、ケヴィンがわざわざ確認している。

 アメリヤは、アニータ様がそうよね、やっぱりよく考えてみるなどと言われないかとハラハラしてしまう。



「だって、この資料にウソはないのでしょう?」

「ああ、命にかけて保証するよ。」

「ならほんの数年で元を取れて、あとはうちがもうかるだけじゃない。この程度のお金を動かす決定権、私にもあるから。」



 あまりにあっさり言われたから、感情が追いつかない。

 ジワジワと少しずつ、心に温かいものが湧きだして広がっていく。


「信じてくれるのか?」



 なぜか少し掠れた声で、ケヴィンがつぶやいた。



「信じるわ。あなたは甘ったれで無神経なところはあったけど、人を騙すような人ではないもの。」




―――ケヴィン様!よかった。よかったですね。



 国中から、庶民からすら面白おかしくクズだなんだと言われているケヴィン。でもそんな噂をものともしないで、信じてくれる友人がいたなんて。



「ありがとうございます。」

「まあ、なんで泣いているの、アメリヤさん。」

「・・・・ありがとうございます。」




 他に言う言葉が見つからない。あの過保護な母親のことを、とやかく言えないかもしれない。ケヴィンを信じてくれる人がいることが、心の底から嬉しかった。







****






なんとアニータ様は、その場に夫である公爵様も呼んでくれた。なんでもウェステリア国との取引のために、ご夫婦で滞在されていたらしい。

限られた滞在期間中で忙しいだろうに、奇跡的に時間を割いていただけた。



・・・・実は年の離れた、若く美しい妻に、独身時代仲が良かった男が会いにくると聞いて、公爵様がその時間、気をもみながら屋敷で様子をうかがっていたことは、ケヴィンやアメリヤは知らない。





「ふむ。このくらいの金額なら、まあアニータの好きにすればいいさ。」


 アニータ様のご主人は、フェルナンド・コルドバ様とおっしゃった。

 フェルナンド様は、アニータ様と同じように褐色の肌をしていた。

ウェステリア国の貴族のように、日よけなどしないのだろう。肌は陽に焼けて年相応に皺もあったけれど、それはアメリヤが見慣れた街の人たちと同じなので、公爵様とは思えないくらい親しみを感じた。




「私の名前でこの貴族に一括で返金すれば、受け取るだろうさ。代理の者が行けば十分かな。サルバ、用意しておいて。」

「かしこまりました、フェルナンド様。」



 サルバと呼ばれた使用人は、ターニャ国から来たひとのようだった。褐色の肌だし、ターニャ国とウェステリア国は地続きで同じ言語だけど、ほんの少し発音が違う。


 あっさりと、借金問題が解決する。本当にこんなことがあっていいのだろうか。

 あまりの上手くいき具合に、なにか裏があるのではないかとさえ思ってしまう。




「ところでケヴィン君。君の領地は我が国と隣接しているね。」

「は、はい!」



 そう。とっても細長いプラテル伯爵領の北の端。ほんの一部だけれど、隣国のターニャ国に接しているのだ。



「サルバ。あれを持ってきてくれ。」

「御意に。」





 あれ。あれってなんだろう。やっぱりこんなにあっさりと大金を貸してくれるなんて、うまい話ないわよね。



 ターニャ国からついてきたらしいフェルナンド様の執事が、部屋を退室したと思ったら、すぐになにかを持って帰ってくる。

 予め用意していたとしか思えない早さだ。





「これを食べてみてくれ。」

「これはユフレープ!大好きなんです、ありがとうございます。」



ケヴィンが嬉しそうな声を上げる。

 高級そうなお皿に、綺麗に盛り付けられたそれは、柑橘系のフルーツのようだ。

 アメリヤの知らない種類らしく、嗅いだことのない香りがただよってくる。嗅いだだけでスッキリするような、良い匂いだ。




「ユフレープ・・・ですか?」

「ターニャ国原産のフルーツだよ。とれる数がすくなくてとても貴重なフルーツなんだよ。」



 ケヴィンが教えてくれる。



 そんな貴重なフルーツをなぜこの場に。まさかただのお茶うけではないだろう。




「その貴重なフルーツなんだけどね、実はうちの領で試した栽培方法が上手くいきすぎて、今年は大量に収穫できてしまいそうなんだ。」

「それは・・・・いいですね。」



 いいですねと言いながら、少し顔が曇るケヴィン。どうやらなにかに気が付いたようだ。


 毎年農作物の出荷をしているアメリヤも気が付いた。特定の作物が大量に収穫できるのは、良い事ばかりではないことに。



「うん、気が付いたようだね。今まで一部の貴族にしか出回らなかったようなフルーツが大量に収穫できてしまう。しかもこれはうちの王様も大好きな、今まで特別な者だけが食べることができた高級フルーツだ。もしも大量にできたものを、値段を下げて売って、一般庶民にまで出回ってしまっては、価値が薄れてしまう。」



 なるほど。王様の好物のフルーツが、いきなり安値で庶民に売りに出されるのは問題がありそうだ。それにゴルドバ公爵領の他にもこのフルーツを育てている領があれば、大損害を与えてしまうかもしれない。



「収穫の大半を捨てて、生産量を調整することも考えたけれど、大量に採れる栽培方法が分かってしまったから、これから先何年も、今までとは比べ物にならないほどの収穫ができるだろう。毎年捨て続けるのもね・・・。」



 とれすぎて食べきれない作物は、もったいなくても捨てるしかない。

 幸い孤児院でとれるくらいの量の野菜では捨てた事はないけれど、気候の関係で大量に溢れた作物がある年は、市場が買い取ってくれないこともあった。

 まあ、その時は食べ盛りの子ども達が50人もいるのだから、孤児院で工夫して食べきればよかっただけの話だけれど。

 

 時には同じ野菜を何週間も食べ続けたこともあるし、独自の保存食を編み出して乗り切ったこともある。




「そこで、ウェステリア国の貴族にも売りつけに来たというのが、この滞在の目的というわけだ。奥さんの里帰りがてらね。」

「そうだったんですね。」


 ユフレープが出てきた意味が分かって、安心したようにケヴィンが答えた。

 勧められるままにユフレープを食べ始めて、ニコニコと美味しそうな顔をしている。

 

恐れ多くも、アメリヤも試食させてもらう。

王様御用達のフルーツと聞くと、見た目までみずみずしく輝いて見えてしまう。


「甘酸っぱくて、美味しい!後味が爽やかですね。」



初めて食べるユフレープは、マールレードなどと比べて少し酸味が多くて、すっぱい。そして香りがとってもよくて、上品だ。貴族に人気の理由はその希少性だけでなく、この香りにもありそうだ。





 わざわざ隣の国に売りに来たらしいが、ウェステリア国にも、そんなに量は売りつけられないだろう。

 自国で庶民に売れないフルーツが、隣国の庶民に行き渡ってしまったらそれこそ大変だ。




「君の領なら、ターニャ国と領地が接しているので、輸送コストが最もかからない。条件は庶民には売らないこと、ある一定以上の値段は守って売る事。どうだい?うちと取引をするかい?」


「うちの領が、独占販売させていただいていいんですか?」

「いいや、専売ではない。他領にも売るよ。どうする?」



 そう言いながら、フェルナンド様は机の上に、細かい字で書かれた契約書を滑らせた。


「さあ、これにサインしてくれ。」




「あ、はい。」



 サインして当然と言うようなフェルナンド様の態度に、慌ててケヴィンがペンを持つ。そのままサインを書こうとして・・・・だけどやっぱり、途中でしっかりと内容を読み始めた。


契約書を読むケヴィンは難しい顔になって、なかなかサインをしようとしない。


アメリヤも後ろからその契約書の内容を読んだ。




「どうしたんだい?もう読めただろう。早くサインしたまえ。私も暇ではないんだよ。」




―――この条件は酷いわ。・・・・だけど、フェルナンド様には借金を肩代わりしてくださる恩があるのだから。それに一応マイナスにはならない契約になっている。だけど、これは・・・・。



「この条件のところなんですが。仕入れて、販売して、諸経費を抜いた純利益のうち、半分を公爵にお支払いするというのは、どういうことなのでしょうか。既に仕入れた時点で公爵様の利益はのっているのではないのですか。更に販売後の利益まで半分というのはおかしいと思います。独占販売でもないのですよね。」


 借金を肩代わりしてもらえるのなら、この条件をのんで契約するしかないと思っていたアメリヤは、ケヴィンがはっきりと疑問点を口にしたことに驚いた。

 ケヴィンもきっと、黙って飲み込んでサインをするだろうと思っていたからだ。



「うん?そんなこと書いたっけかな。」

「もう!あなたったら。私の友達をからかわないで!」



 ユフレープの契約どころか、もし公爵を怒らせて借金の肩代わりまでなかったことにされてはどうしようと緊張していたアメリヤだったが、予想外にフェルナンド様はいたずらが成功した子どものような反応をした。

 いたずらが見つかってほんの少しだけ残念だけど、おかしくてしかたない。そんな顔だ。




「ははは、冗談だよ。まさかこの契約書を読まずにサインをしたり、読んでも人に言われるがまま、流されてサインをしてしまうような人物であれば、借金の肩代わりなんてできないからね。こちらだって、我が領の領民の生活を守る義務がある。領民が働いて得たお金を、そんなホイホイ貸す事などできないんだよ。・・・・サルバ、本物の契約書を。」


「はい、こちらに。」




 執事のサルバさんが、既に正当な条件の契約書面を手に持っていた。

 先ほどから隠すことなく、普通に持っていたのだから、この不当な契約書は、本当にこちらを試しただけだったのだろう。


―――黙ってサインをしてしまっていたら、プラテル領はどうなっていたのかしら。



 フェルナンド様の言うとおり、契約書を読まないでサインをしたり、読んで違和感を覚えても、相手の機嫌を損ねないようにサインをしてしまう相手に、このやり手そうな公爵がお金を貸しただろうか?



 アメリヤは心の中で、胸をなでおろした。





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