第5話 誰でも良いなら、俺でいいじゃないか

王都を見渡せる丘の上に、ある幸せそうな家族が遊びに来ていた。


王都の中心からもほど近いこの丘には、庶民から貴族まで、いろんな人たちが休日を過ごしにやってくる。

特に家族連れや恋人同士に人気が高く、丘の上から王都を眺めたり、反対側の森を見下ろしたり、敷物の上で食事をしたり、走り回ったりと、思い思いにくつろいでいる。




その中のある幸せそうな家族の両親は、お揃いのブルネットの髪色だった。利発そうな一人息子も両親とそっくり同じ濃い茶色の髪の毛をしていた。どこか生真面目そうな父親と母親は、貴族だろうか。なんとなく雰囲気が似ている。


着ている服は、作りは良いが庶民でも着るような外遊び用の格好だ。でもどこか所作に気品がある。貴族だろうか。教養のある庶民だろうか。




男の子が虫を追いかけて夢中で走り回るのを、穏やかで愛情深い目で見守る2人。たまに男の子が振り返って手を振るのに応えて手を振り返しては、幸せそうにお互いを見つめて微笑みあっている。

誰がどう見ても幸せな、お互いを思いやる家族の姿がそこにあった。





この父親と母親と思われる男女2人が、実は夫婦ではないとは、この様子を見ていた者は誰も思わないだろう。










男の子・・・レオが、同じようにピクニックをしにきた家族の知らない子供と、いつの間にか一緒になって蝶々を追いかけ始めたのを確認すると、敷物で少し膝を崩してゆったりと休んでいた女性が・・・ユリアが、隣に並んでいるセドリックに話し始めた。



「レオもすっかり大きくなったわね。」

「そうだな。賢い子だし、足も速くて将来有望だ。」


セドリックがなぜか自慢げに答える。

まるで自分のことのように。まるで自分の子のことのように。



――――このまま黙っていれば、これからもずっと、この状態でいられるかしら。私が何も言い出さなければ、優しいセドリックは私たち親子を屋敷から追い出せずに、この親子ごっこがずっと、壊れずに続いていってくれるのかもしれない。



でもユリアははっきりと聞かずにはいられなかった。真面目な性格の自分が恨めしい。



「セドリック。私がケヴィンと離縁した時、再婚相手の紹介をお願いしたわよね。ハウケ家のためになるような相手を見つけてくださいって。」



実は子連れの貴族女性の再婚は、意外と相手に困らない。

子連れの女性は確実に妊娠できると、証明されているためだ。


しかも男の子の跡継ぎに困っている貴族家などは社交界に掃いて捨てるほどにある。その場合は家の存続のために、既に男の子のいる貴族籍の女性と好んで再婚することもあるので、需要があるのだ。



上手く交渉すれば、ハウケの家のためになる。ケヴィンの件で、違約金などとても迷惑を掛けてしまったハウケ家のために、どんな政略結婚でも受けようと、ユリアは決意していた。


ユリアがお願いをしたときのセドリックは、感情の読めない表情で「分かった」とだけ答えたけれど、それ以来5年、再婚相手を紹介されたことはまだない。

たまに紹介の件はどうなっているか聞いても「まだ良い相手が見つからない」と言われるだけだった。




「まだ良い相手が見つからない。」

「・・・セドリック。そんなわけないでしょう?先日私が夜会で直接声をかけていただいたボルゴーニャ侯爵とのお話はどうなったの?」

「うまくいかなかった。」



なぜか目を逸らしながら答えるセドリック。

物事をはっきりさせないと気が済まない性格のユリアは、今日こそごまかされずにはっきりさせようと、決意していた。



「セドリック、困るわ。ハウケの家に何年もお世話を掛けてしまっているし、早く出ていかないと。あなたのお嫁さんだってきてくれなくなってしまうわ。従妹とその息子が住み着いている家に嫁いでくれる人なんていないもの。」

「本当に、良い相手がいないんだ。」

「そんな・・・・。」



自分で言うのもなんだけど、ユリアは結構スタイルも良いし、まだ比較的若い。しっかり者で領地の仕事の手伝いもできる。

レオハルトだって利発で可愛くて、是非にと言ってくれる人だっているのに。



「・・・・・一人だけ、候補がいるんだが。」

「まあ!どこのどなた?」



ここ5年間、何度聞いてもはぐらかしてきたセドリックが、歯切れが悪いながらも候補の存在を明かしたので、ユリアはその顔に笑みを浮かべた。

顔は微笑んでいたけれど、心では「ああ、ついにこの時がきてしまった」と、宣告を聞く罪人のような気分だった。




でもいつかハウケ伯爵家を出ていかなければいけないならば、早い方が良い。

ユリアもレオも、この幸せにすっかり慣れてしまって、本当に出ていけなくなる前に。




「本当に、俺が選んだ相手なら誰でもいいのか?」

「ええ。あなたが選んでくれた人なら、最低限私たちをないがしろにするような人でないでしょう?あとはどんなに年上だって、お金がなくたって大丈夫よ。私だって少しは働けるもの。」



「年は君の3歳年上だ。」


――――意外と若い。もうすぐ30歳といったところだろう。貴族の初婚だったらかなり遅い部類だけれど、子連れの女性と結婚しようというのだから、相手も初婚ではないだろう。



「伯爵家の跡取りの予定で。」

「30歳くらいの伯爵家の跡取り?」



30前後の伯爵家の跡取り。とても良い条件だ。そんな人がいただろうか?

伯爵家は多いから、全員を把握しているとまでは言わないけれど、ユリアと同年代の跡取りの情報が入ってこないとは思えないのだけれど。




不思議に思ってセドリックの横顔を見つめるけれど、セドリックの目はレオを追っていて、ユリアの目とは合わない。・・・・合わせないようにしているのだろうか。




「その人の心の中にはとてもとても大切な・・・・家族がいて。屋敷で一緒に暮らしてもいるので、他の女性が入っていくことが出来ないみたいなんだ。」

「・・・・そういうことなのね。」



身体の弱い家族がいたり、身分違いの恋人がいたりで結婚ができないことも、公にはされないが珍しいことではない。

しかし跡取りともなれば、名目上だけでも貴族の女性と結婚し、次代の跡取りにつなげなければならない場合がどうしてもある。


男の子のいるユリアにはピッタリの役目だろう。


例え一生愛されることはなくても、セドリックが選んでくれた人ならば無下にされることはないだろうし。

お相手の方も、どうしてもそうしなければいけない事情があるのだろう。これ以上セドリックの邪魔をして生きていくよりも、ユリアとレオを望んでくれているのなら、役に立てるのならそれでいい。



「その方でいいわ。お話を進めてちょうだい。」

「・・・本当に?」

「ええ。」

「相手が誰か聞かなくても良いのか?その男がどんな顔でも、姿でも、人柄でも。」

「ええ、大丈夫。そんなに酷い、私やレオをイジメるような人を、あなたが紹介することはないでしょう?」



「・・・そうか。」




セドリックの顔はなぜか強張っていて、唇をギュッと強く引き結んで、辛そうにも見えた。

ユリアが愛のない政略結婚をすることを憐れんでくれているのだろうか。



幼いあの頃、この従兄が苦手だった。ユリアのすることにすぐに口出しをしてきて、この本を読んだほうが良いとか、あの男には近づくなとか、口うるさくて煙たいと思っていた。

今ならば、本当にユリアのことを心配して思いやっていってくれていると分かるのに。



――――ううん、本当は幼いころから分かっていた。セドリックが私の事を思いやってくれていることを。だけど距離が近すぎて、その思いやりが当たり前すぎて、当然のことすぎて、そのありがたさに気が付かなかったのよ。



この人と、セドリックと結婚をしていたらと思ったことがある。

何百回もある。毎日考えている。


もしセドリックと結婚していたら今頃、協力して一緒にハウケの領地の経営をして、子どもも生まれて、何一つ心配する事もなく、こんなふうに丘の上に、親子でピクニックにきていたのかもしれない。




――――そんなことを考えても仕方がないけれど。





「じゃあ俺と結婚してくれ、ユリア。」

「・・・・え?」



この3人で来るのは今日が最後かもしれないと、今の風景を心に焼き付けようと思って、虫を追いかけるレオや、風に吹かれて揺れるセドリックの髪を眺めていたユリアは、一瞬本当にセドリックの言っているところの意味が理解できなかった。




「誰と結婚ですって?」

「俺とだよ。」




話をし始めてから初めて、セドリックと目があった。

その目は真剣で、緊張の為か少し強張って吊り上がっている。でもその瞳の中にユリアへの深い思いやりがあることを知っているので、怖いと思うことはない。



「誰とでも良いんだろう?じゃあ俺で良いじゃないか。こんなに君とレオを愛しているのに、どうして俺じゃダメなんだ。はぐらかしていればそのうち他の奴と結婚したいだなんて言わなくなるだろうと思っていたら、もう5年も経つのに、5年もレオと君と一緒に暮らしているのに、まだ俺は君たちの家族になれないのか?」

「・・・・・セドリック?」



途中から、従兄の顔がなぜか、ぼやけて見えなくなってくる。

生真面目で優しい従兄が今どんな表情をしているのかもっとよく見たくて、ユリアは慌ててハンカチを取り出して、ぼやける目をそっと押さえる。



「もう諦めてくれ。諦めて俺にしてくれ。こんなに君とレオを愛している男なんていないだろう。君たちの事を任せられる良い相手なんて、いるわけがないじゃないか・・・・・俺以外に。」



こんなに幸せなことがあって良いんだろうか。夢じゃないだろうか。いつも夢にみすぎて、とうとう現実と見分けがつかなくなったのかしら。



「結婚してくれユリア。君たちの事を愛しているんだ。例え君が俺のことを良くは思っていなく・・・・・。」

「セディ!!」



セドリックの言葉を遮って、ユリアはその胸に抱き着いた。

一緒に遊んでいたあの頃も、3歳年上の従兄はとても大きくて逞しく感じたけれど、それとは比べ物にならないくらいに力強く、広くなっているその胸に。


「私も!私もあなたのことを愛しているわ。世界で一番!!」




そう言ってギュウっと抱き着く。

セドリックは硬直して固まってしまったが、しばらくするとおずおずと、慎重に、その腕がユリアの背中に回された。



結婚前の男女が人の大勢いる外で抱き合うなんて貴族にはあり得ないことだけれど、どう見ても子連れの夫婦の2人が抱きしめ合っていても、気にする者は誰もいない。



ピクニックに来ている人たちの中にはユリアやセドリックの事を知っている貴族がいるかもしれない。明日には社交界中の噂になるかもしれないけれど、そんなことはどうでも良かった。




「君が俺を愛しているだって?本当に?」

「ええ、本当よ。あなたのことを世界で一番愛している。」




背中に回された手に力が入る。



「君にはずっと煙たがられていると思っていた。」

「・・・子供の頃はそうだったかもしれないけれど。あなたが一番私の事を考えてくれているって、ずっと分かっていたわ。」



「じゃあなんで他の結婚相手を紹介してくれなんて言ったんだ。」

「私がいたら、セドリックがいつまでも結婚できないと思って。」

「俺と君が結婚すればいいじゃないか。俺は子どもの時からずっとそのつもりで生きてきたのに。」


知っていた。セドリックがそのつもりでユリアの屋敷によく遊びにきていたことも。領地の仕事を父から教わっていたことも。



――――本当に、若い日の自分はなんと愚かだったんだろう。



「・・・私で本当に良いの?レオがいて・・・・。」

「良いに決まっているだろう。レオに会った瞬間から、レオのことだって君と同じくらいに愛している。・・・俺だってレオを一緒に育てたんだ。他の人が近づいたら泣くのに、俺が抱っこしたら安心したように笑うんだぞ?可愛くて仕方がないに決まっているだろう。」





ユリアの目に、また次々と涙が浮かんでは流れていく。今度はセドリックの腕の中なので、うまく拭くことができなくて、セドリックの服がどんどん濡れてしまう。少しだけ離れて拭こうとしたけれど、力強い腕が緩められることはなくて、逆に逃がさないように力を込められてしまって、ユリアも本当は離れたくないので、そのまま抱きついていることにする。



――――もう少し。もう少しだけこのままでいたい。


安心できる鼓動を聞きながら体をあずけていると、しばらくして小さな足音が近づいてきた。

レオが戻ってくるのだろう。



完全に戻ってくる前に涙を拭こうと、今度こそセドリックの胸を押して離れようとする。

腕はまた少しだけ名残惜し気に抵抗した後、今度はユリアを解放してくれた。




「セディ!お母様!いいなー僕もギュってして!」



そう言うと同時に、2人に向かって飛びついてくる愛おしい存在。

今度は2人でレオのことを抱きしめた。

レオは心から安心しているように、セドリックとユリアに寄りかかってきた。



「レオ。俺が君のお父さんになっても良いか?」

「・・・どういうこと?セディはボクのお父さんでしょ?ちがうの?」


セドリックの言葉に、キョトンとして返すレオ。


「違わないわ。セディはあなたのお父さんよ。」

「そうだな。・・・・今までも、これからも。俺がレオのお父さんだ。」


セドリックがますます強くユリアとレオを抱きしめる。他の誰にも、この2人を渡すものかというように。






周囲の人々はその光景を、幸せそうな、お互いを思いやる家族がお互いに抱きしめ合っているだけだと思って、微笑ましく見ていた。


でもどこにでもよくある当然の家族の光景なので、それほど気に留めることもなく、お弁当の続きを食べたり、王都を眺めたりしていた。


中には羨ましがって、ボクもー、ワタシもーと言って、自分のお父さんやお母さんに抱き着く子どももいたり、顔を見合わせてより寄り添う恋人同士もいた。








この日、丘の上に遊びにきていた貴族も何人かいた。ユリアとセドリックとレオが抱きしめ合っていたことを見て、話題に出したりもしたけれど、社交界で大して噂になることもなかった。


もうとっくに家族だと思われていた3人が、幸せそうに抱きしめ合っていた話など、面白くもなんともないのだから。







*****








数日後、王宮にセドリックとユリアの婚姻の届出がされて、本当に親しい友人たちにだけ結婚の報告の書簡が送られた。友人たちはまだ婚姻の届けを出していなかったのかと驚いただけだった。




「あなたたち、届け出を出すのを忘れていたの?しっかりしてそうなのに、意外と抜けているところがあるものね。」



子どもを連れての定例のお茶会で、心底不思議そうな表情でそういうカトレアに、ユリアは特に否定しなかった。




「そうね。もうとっくに家族だったのにね。」


そう言って、幸せそうに笑っただけだった。

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