第7話 実際、異性の後輩と関わる機会は無い

 最後の授業が終わり喧騒に包まれる教室。窓際の俺の席には、橙色の夕日が窓から差し込んでいる。

 お日様って朝と夕方で色が違って見えるけどあれなんでなんだろう。空気の層を通る角度が違うからか。ふーん、自然の神秘だね!


 そんなことを考えていたせいで武道に話しかけるタイミングを逃した。【阿呆の子】かな? なんもかんも自然が神秘的なのが悪い。


 だが幸い奴はサッカー部。部活が終わるのを待ってりゃ話しかけるチャンスは巡ってくるだろう。想い人のために放課後待ってるとか恋する乙女かよ。


 教室には何人かの生徒が残って勉強やら雑談やらに励み、喧騒に包まれていた。この状況でよく勉強しようと思うよな。集中できなさそうだ。


 だが俺も人のことを心配している場合じゃない。教室に残って誰かに話しかけられるなんてことは避けたい。幸いにも残っている連中は俺に目もくれないので、ひっそりと教室を抜ける。

 モブたちの裏側ってこんな感じなんだな。特筆すべきことが一個も見当たらなかった。



 どこで時間を潰そうかと校舎を彷徨く。できればグラウンドが見える場所がいい。いつの間にか部活が終わって武道が帰ってました、なんて目も当てられない。

 いっそ今日は諦めて帰ってもいいが、こういう面倒事はあまり残しておきたくない。やるべき事はその日のうちに、だ。俺が言っても説得力皆無だな。


 適当な空き教室を探して廊下をぶらついていると、何やら遠くから声が聞こえてきた。

 まあ、まだ帰っていない生徒だってたくさんいるし、話し声くらい聞こえてくるだろうと俺は振り返ることをせず、都合の良さそうな場所を探した。


 俺はふと目に止まった多目的教室Bの扉を開けた。Bってのが使われなさを体現している感じがして親近感が湧く。そして、そこには思った通り誰も居なかった。


 常陽高校はそれなりに規模の大きい学校だ。その分部活動の種類も豊富だが、割と使われていない教室も多い。

 多目的教室Bなんて普段何に使われているのか、生徒会の俺にも分からない。ここに人が出入りしているところを見たこともない。ちょっといかがわしい雰囲気あるな。


 扉を閉めようとしたところで、やたら強い力によってその手が引き戻される。

 危うく手を挟みかけたところで俺は咄嗟に手を引っ込めた。ほんと危ないからやめてね。


「アッカリ〜ン!」


 やたらでかい声で扉を開け放つ少女。ああ、やっぱりさっきの声は君だったのね。

 そこに現れるはヒロインその三、三雲みくもあかりだ。三雲だから三番目だったのかな?


「人違いです」


 俺はそう言って扉を閉めた。あかりんなんて人、俺は知らない。作品間違えてますよ。

 閉めたはずの扉はまたすぐにもの凄い勢いで開け放たれる。この扉、ここ数年で今日が一番使われてんじゃないかな。

 こんなに雑に扱われてるのは本人としても不本意だろうけど。本人? 本扉? どっちでもいいか。


「なんで閉めるんですか! 可愛い後輩ちゃんがアカリ先輩のためにこうして駆けつけたんですよ!」

「その呼び方やめろって言ったろ。お前が呼ぶとややこしいんだよ」


 どこで聞いたのかは知らんが、三雲は俺の事をあだ名で呼んでくる。しかも当の本人もアカリという名前のせいで心底ややこしい。あかりあかりって漫才ユニット組めそう。絶対に売れないな。


 くだらない妄想は頭の片隅へと追いやり、三雲を放置して窓からグラウンドを眺めた。サッカー部が練習する中には武道の姿も見える。

 よかった。脳内で漫才のネタを練っている間に武道が帰っていたなんてことはなかったようだ。

 漫才がつまらないから帰ろうったってそうは問屋が卸さないぜ! その前に俺たちが舞台から降ろされそうだな。


「何見てるんですか? 覗きですか!」

「何を覗くんだよ」

「陸上女子のたわわな体とか」

「お前の思考回路、男子中学生かよ」


 君には無いものですしね、羨ましいんでしょう。

 いつの間にか隣にいた三雲は何やら目を輝かせてグラウンドを見ていた。

 俺が部活に顔を出さなくなってから少し肌が焼けた気がする。三雲は運動大好きっ子だし、大方晩夏の日差しの中、グラウンドを駆け回っていたんだろうと想像がつく。昔飼ってた犬に似てんな。


「アカリ先輩も一緒に運動しましょう! 私たちが組めば地元じゃ負け知らずですよ!」

「一人でやってろ」


 青春ア〇ーゴかよ。彼女は漫才師より歌手をお求めのようだ。

 三雲の言うことは相変わらずよく分からない。思えば彼女との距離感は、モブになる前からこんな感じだった。

 やたらハイテンションな三雲とそれについて行けない(ついて行かない)俺。寒暖差で風邪ひきそう。


 それもあって、俺は三雲に対してだけは突き放すようなことをしていない。

 三雲に気があるとか、三雲を傷つけたくないとか、そんな大層な理由じゃない。単に何をしても無駄だと知っているからだ。


「酷いです! このバトンは誰に繋げばいいんですか!」

「よりによってなんでリレーなんだよ。二人でも厳しいだろ」


 元々この扱いだ。例え俺が彼女を無視しようと、冷たくあしらおうと、彼女は間違いなく俺につっかかってくるだろう。

 それに、ヒロイン候補だったとはいえ先輩と後輩という立場。その上、部活というコンテンツでのみ繋がれた関係だ。


 ほぼ他人とも言える距離感で、部活でしか顔を合わせない相手だ。それ以外の繋がりなんて無いに等しいし、互いに今の距離感がちょうど良いと思っている。

 ……そもそも三雲が誰かと恋愛関係になるなんて考えられないしな。バカだし。


 だからこそ、放っておいても問題ないと判断した。

 その点で言えばこの学校で最も安全な奴だと言える。すげえ鬱陶しいけど。


 三雲はぶーっと頬を膨らませて、俺の懐にするりと潜り込むように窓に顔を寄せる。

 この距離感はあれだ、兄妹のそれに似ている。俺の実の妹よりも妹属性を有しているように思う。

 俺が三雲を突き放せないのは、俺のシスコン魂に火をつけてしまうからなのかもしれない。


「アカリ先輩は部活来ないんですか?」

「ああ、そうだな」


 俺が部活に行かなくなって、こうして顔を合わせる度に同じことを訊いてくる。同じセリフ吐いてくるあたり、三雲の方が余程モブっぽい。村の入口とかに居そう。


「私、先輩が来ないと寂しいなぁ、なんて」

「先週もその手法使ったろ。俺には効かない」

「なんで覚えてるんですか! もしかして……私の事好きだからですか!」

「うぜえ……」


 熱苦しい三雲が居るせいか、この密接した距離感のせいか、やたら教室の中が暑い。

 じわりと滲む汗を拭い、窓を開けて熱気を逃がす。この熱と一緒に三雲も出て行ってくれねえかな。


「お前こそ、部活行かなくていいのかよ」

「今日は委員の仕事があったんです。やっと解放されて部室に向かおうとしてた時に、なんと目の前にアカリ先輩が居るじゃないですか。これは一緒に行くしかないと!」

「そうか。行ってらっしゃい」

「なんでそうなるんですかぁ」


 三雲は窓の縁に寄りかかるように項垂れた。

 何度誘っても無駄だ。今日はやることがあるからな。

 何を隠そう、例の男との大事な話があるんだ。女は引っ込んでいてくれないか♂

 まあ、そんな用事なくても行かねえけど。


 不満そうに唸り声を上げながら、開けた窓から空を見上げる三雲。短い髪が眼前でさらさらと揺れる。ちゃっかり涼しい場所取ってんじゃねえよ。

 早く出てってくれないかなぁ、という淡い希望は見事に打ち砕かれる。


「アカリ先輩が行かないなら私も行かないです」

「なんでそうなる……」


 いつも身勝手で気分屋だが、今日はいつにも増して我儘お嬢様だ。そのキャラでお嬢様は無理があるだろ。今時、金髪縦ロールくらいしないとお嬢様とは認められないぞ。

 今時どころか少し古いですね。


 その点、三雲の黒い髪は肩よりも短く体も華奢で、精々活発な村娘といったところだ。今と変わんねえな。

 どうやってこの小娘を追い払おうかと考えていると、三雲が口を開く。


「私、寂しいんですよ。先輩が来なくて」

「だからそれは」

「真面目に言ってるんです」


 なんだこいつ、急に大人しくなりやがって。

 声も表情もいつもの三雲とはかけ離れている。こんな三雲は初めてだ。


 たまに先程のような杜撰な演技で、落ち込んでいる様子をこれみよがしにアピールすることはあったが、今回は少し違う。

 普段、落ち込んでいる表情や弱みを全く見せない三雲が、今はどこか消え入りそうな声を漏らして縮こまっている。


 三雲がこんな姿を見せると、こちらも動揺してしまう。演技だろ? そうなんだろ? 君、役者になれるよ! エキストラとかさ。やっぱりモブじゃねえか。


「先輩。私、本当に寂しいんですよ」


 その表情は見えなくとも、その言葉に嘘偽りがないことははっきりとわかる。

 こいつがそんなに器用に嘘をつける奴じゃないことは知っている。だからこそ本当に困る。


 ヒロイン候補とはいえ、そんな相手として見ていなかったから、これまでと変わらず接していたんだ。

 それなのに、急にこんなヒロインじみたイベントを起こされると俺は後悔に浸る羽目になる。こんなことならちゃんと突き放しておくんだった。

 今のセリフ、ベスト・オブ・クズ男って感じ。


 しかし、後悔先に立たず。こうなってしまってはそんなことが出来るはずもなく。


「先輩、私……」


 三雲は頭に浮かんだ言葉を振り払うように首をぶんぶんと横に振った。


「いえ、やっぱりなんでもないです」

「なんだよ。そこまで言ったなら言えよ」

「アカリ先輩のこと好きだなって!」

「そうか、俺も三雲が部活行ってくれたら好きになるかも」

「ほんとですか!」


 ホントダヨーボクウソツカナイヨー。

 三雲が嘘をつくんだから俺も嘘をついたっていいだろ。

 本当に言おうとしたことはそんなことじゃなかったはずだ。本心をひた隠しにして、いつもの調子で自分を守ったんだ。

 だから俺も、いつもの調子で返すだけ。


 実際に何を言おうとしたのかは知らない。知る気もない。

 三雲は俺が主人公だろうとモブだろうと、俺と関わるよりも部活と運動を全力で楽しんで、その仲間たちと青春を謳歌する方が幸せなのだと知っているからだ。


「私たちが結婚したら柊木アカリと柊木燈になっちゃいますね。どうしましょう?」


 三雲は本心を打ち明ける気がないらしく、完全にいつもの三雲に戻ってしまった。

 その様子にほっとする。が、心苦しくもあった。


「どうもしないだろ。そもそも俺はアカリじゃないしな」

「つれないですねぇ。でも結婚自体は否定しないということは!?」


 やっぱこのテンションは鬱陶しいな。さっきみたいにしおらしくなってくれ。


「ねえねえ、どうなんですか?」とみぞおちを小突く三雲にうんざりしながらふと窓の外を見ると、武道の姿がなかった。

 サッカー部はまだ練習中だ。それなのに、武道の姿は見えない。休憩中かとも思ったが、真下にある水飲み場にもその姿はない。

 そこに居るだけで目立つやつだ。遠目でも見つからないはずがない。


 俺は急いで鞄を掴み、教室の扉を勢いよく開け放つ。


「悪い三雲、俺先に帰る」

「え、ちょ、先輩!?」


 三雲との雑談をぶち切り、俺は急いで階段を駆け下りた。

 武道と話せなきゃ俺は何のために残ってたんだ。普段と違う三雲に無駄にドギマギさせられただけじゃねえか。


 急いで靴を履き替え、校舎を飛び出す。まだ遠くに行ってないといいが……。

 その願いが通じたのか、校門を出てすぐに武道の背中が見えた。

 息を切らしながら全力で走り、なんとかその背中に追い縋る。


「武道!」


 俺の声に気付いたようで、武道はその場に立ち止まり、こちらを振り返った。


「あれ、柊木君? どうしたんだい、そんなに急いで」

「お前と、ちょっと、話したいことがある」


 俺は息を整えながらそう伝える。

 随分と体力が落ちたものだ。部活から離れていた弊害がこんなところに……。

 息も絶え絶えな俺を見て、武道は眉を寄せて笑った。


「それはいいんだけど……彼女は君の知り合いかな?」

「は? 彼女?」

「もー、なんで急に行っちゃうんですか。話は終わってないですよ」


 三雲、なんでお前がいるんだよ。

 話ってなんのことだ。大した話してなかったろ。


「あはは。君は……柊木君の彼女さんかな?」

「はい! 先輩の彼女の三雲燈です!」


 何を言い出すんだこいつは。


「先輩、ということは一年生だね。僕は柊木君と同じクラスの武道秀優。それにしても、歳下の彼女なんて柊木君も隅に置けないね」

「は? いや、これは違くて」


 呼吸を整えるのに必死で上手く否定出来ない。

 何をしてくれてんだこいつは。武道の野郎は真に受けてやがるし。つっこめよ! わかるだろ!


「僕らは学校でも話せるんだ。せっかく彼女さんと過ごせる時間があるなら大切にしなよ。また明日ね、柊木君、三雲さん」

「はい!」


 はいじゃないが?

 呼び止める間もなく、武道はイケメンスマイルを振り撒きながら踵を返して立ち去ってしまった。


 追いかける体力も気力もなく、ぜえぜえと肩を揺らして呼吸する。

 取り残されて静かになった路頭でバカでかいため息を漏らし、三雲を睨む。


「お前なぁ……」

「先にお話してたのは私ですもん」


 罪の意識の欠片も無い三雲は口を尖らせてそっぽを向いた。

 

「俺はあいつと話すために残ってたんだよ。あいつが先客だ」

「えっ……もしかして先輩ってそっち系ですか?」


 うぜえ。

 もうつっこむ気にもなれない。本当に余計なことをしてくれたもんだ。

 俺は「帰る」とだけ告げ、三雲に背を向けた。


 散々な一日だ。無駄な時間を過ごしてしまった。

 帰ったところで有意義な時間を過ごすわけでもないが、人に時間を潰されるのと自ら時間を潰すのとでは気分的に大きく異なる。

 背後から俺を呼ぶ声が聞こえるが、聞こえないふりをした。もう相手をする気力もないんだよ。


「待ってください!」


 無視して帰ろうとすると、制服の裾を引っ張られた。鞄を胸に抱くと制服が呼び鈴になるんですね、勉強になります。


「私は本当に話したいことがあったんです」

「……なんだよ」


 辟易と憤りが混ざり合い、思わず低い声が出てしまう。まあこいつのせいで不機嫌だから仕方ない。俺は謝らないぞ。


「その、勝手なことを言ったのは謝ります。本当にごめんなさい」


 俺の言い方がキツかったせいだろうか。

 三雲は少し脅えたように、彼女らしからぬ小さな声でそう言って、頭を深々と下げる。謝るならその手を離してはくれませんか?


「ただその、先輩にお願いしたいことがあって」


 またしてもため息が漏れる。

 紗衣といい桐崎といい、いつもと違う様子を見せられると無下に出来ないのは俺の弱さのせいだろうか。

 まあ、武道の言う通り、あいつと話す機会ならいくらでもあるはずだ。別に今日じゃなくてもいいだろう。


 気持ちを切り替えて三雲に向き合う。

 いつも適当なことばかり言っている三雲からの願いだ。適当に流すのも気が引けないこともない。


 それに元はと言えば、俺が三雲との距離感に甘んじたせいでもある。

 完全に関わりを絶っておけば、三雲も俺に話しかけることは無かっただろうし、延いては武道との会話を邪魔されることもなかった。

 その罪を償うという意味でもちゃんと向き合わねばなるまい。


「わかったよ。少し付き合う」

「やったあ!」


 機嫌が戻ったようで何よりだ。本人には言わないが、明るい三雲の方がやはり似合う。

 ……ダメだな、三雲に絆されつつある。

 関わるのはこれで最後だ。この話を聞いて、今度は完全に縁を切ろう。


「場所、移してもいいですか?」


 俺は三雲に案内されるがままその後をついて行った。

 ところでこの子、普通に部活サボってるけど大丈夫なのかしら? 人のこと言えたもんじゃないが。

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