第1話 主人公からモブへ

 そういや軽く自分語りをしたが、名前の紹介がまだだったな。

 俺は柊木ひいらぎとう。あだ名はアカリ。小さい頃は顔立ちと名前から、よく女の子だと間違えられていたらしい。モブの自己紹介は要らない? あ、そう。


 俺がモブになってからもこの世界が終わる気配はない。その日も退屈な授業が終わり、俺は帰り支度を始めた。

 授業は真面目に聞いてりゃそれなりに面白いもんだが、聞く気がないと時計とにらめっこするだけのつまらない時間だ。


 喧騒に包まれる教室内に見向きもせず、そそくさと教室を出る。

 今日も一言も喋らなかったな。我ながら良い出来だ。モブの中のモブ。ベスト・オブ・モブの称号に相応しい。不名誉か。


 モブに成り下がってからというもの、俺の生活はというと堕落そのものだった。

 起きる→登校→授業→帰宅→ネットかゲーム→寝るというダメ人間生成プログラムのような決まった手順を踏んでいる。

 家に妹しか居ないから成り立っているものの、親が家に居ると間違いなく怒られる。と言いたいところだが、うちの両親は放任主義と言うか、自分たちの生きたいように生きなさいとの教えを元にしているため、恐らく何も言われやしないだろう。見られないに越したことはないけどな。

 両親が海外在住という初期設定に感謝しつつ、俺は誰にも呼び止められることなく帰路についた。


 こうして一人で帰っていると、毎日のようにヒロインとのエンカウントイベントが発生してた頃が懐かしい。そこだけ見るとちょっと羨ましいな。

 だけど、それは自分で捨てた道だ。今更求めたって仕方ない。大人しくお家に帰ろう。


 そう思っていた時期が僕にもありました。

 校舎から外へと踏み出したところで俺は足を止めることになる。校門前で待っていた少女が目に入ったからだ。よく見知ったその姿は、遠目でも個人を特定できる。

 ヒロインその一、幼馴染の結城ゆうき紗衣さえだ。

 スマホをポチポチと弄っている彼女は俺に気づく気配もなく、その小さな画面に夢中になっている。夕陽にさらされ肩まで伸びる亜麻色の髪を靡かせるその姿は、まさにギャルゲーの一枚絵だ。これがゲームの世界ならここから下校イベントが発生する期待と高揚感に胸を躍らせるのだろう。

 が、モブの俺には関係の無い話。待ち人が俺じゃないことを祈りつつ目の前をスルーする。しかし まわりこまれて しまった▽


「ねえ灯、一緒に帰ろ」


 俺の儚い祈りは届かず。神は居ないのか。日頃の行いのせいか、納得した。

 紗衣はバツが悪そうに手を後ろに組み、チラチラとこちらの様子を窺いながらも目を合わせようとしない。俺が威嚇するように睨みつけてるから当然だ。

 わざわざ校門で待ち構えるほどだ。待ち人が俺であることは想定の範囲内。だからこそ、こんな時の対処法も考えている。

 多少の期待と大きな不安を実らせた瞳を拒むように俺は首を横に振る。


「今日、これからバイトだから」


 久々に発した声は思いの外低かった。普段声を出していないのだからチューニングもままならない。

 ともあれ、自分でも惚れ惚れするほどの完璧な断り文句はすんなりと声に出た。安易に「用事がある」なんて言うと「何の用事?」と会話を続けられてしまう。

 バイトがあるから急いでますとアピールしつつ誘いを断る神ムーブ。伊達にここ数ヶ月ぼっちを貫いてきたわけじゃないんだぜ。因みにバイトなんてしてない。


「バイト、始めたんだ。知らなかった」

「ああ。じゃ、俺急ぐから」

「待って」


 華麗に立ち去ろうとした俺は、肩にかけた鞄の紐を掴まれてバランスを崩す。呼び止め方があまりにも強引だ。まさかそんな暴挙に出るとは思わず、不自然でも走って逃げりゃよかったと後悔する。

 当の本人は悪びれる様子もなくモジモジと体をくねらせて上目遣いでこちらを見上げている。


「バイト先まででいいから」

「……え?」



 どうしてこうなった。

 あ、ありのまま……今起こったことを話すぜ! 縁を切ったはずの幼馴染に話しかけられて上手い言い訳で切り抜けたと思ったら一緒に帰ってた。な、何を言ってるか分からねえと思うが、ホントにどうしてこうなった?


 バイト先までと言われて断る言い訳も思いつかないまま、紗衣は俺についてくる。会話能力が低下した俺には二の矢の用意がなく、彼女の提案を断る術を持たなかった。

 早足で進む俺の右後ろ辺りで沈黙をキメる紗衣。なんでついてきたんだよ。俺は絶対に話を切り出さねえぞ。

 と言うか、本当にどうしよう。バイト先に向かう? いや無理だろ、バイトしてねえもん。身から出た錆とはまさにこの事か。嘘をついてもろくな事がないらしい。


 行く宛てもなく家路に歩みを進めながら思考する。どうしたらこの状況を打破できるのか。嘘がバレることもなく、自然に紗衣と別れる方法を模索する。

 こうして俺はひとつの糸口を掴む。

 このまま家に送ろう。そしてそのままバイト先(近くのカラオケボックス。もちろんバイトは以下略)に逃げりゃいい。

 先に帰してしまえば俺の行き先なんてわかりやしない。カラオケボックスに入ってしまえば俺を追いかける術もないだろう。

 よし、そのプランで行こう。俺ってば頭が良い。頭脳がそこそこ良い設定ありがとう。なんかさっきから作者に対して感謝しかしてねえな。許してねえからな?


 アフリカゾウより重い沈黙に耐えながらひたすら歩く。何故アフリカゾウなのかって? 昨日ディス〇バリーチャンネル見てたからかな。

 アフリカゾウってゾウの中でも一番重いらしいぞう。その重さはなんと十トン以上。想像できないね!


 なんてくだらないことを考えていると、紗衣は再び鞄を引っ張る。会話ってそうやって切り出すもんなの? Excuse me.なの?

 紗衣は何か言い淀むように手混ぜを繰り返し、やがて消え入るような声で言う。


「なんで……私のこと避けてるの?」


 はい来ました、俺的言われて困る言葉ランキング第二位。

 因みに第一位は「あんたの事なんて心配してないんだからね」です。絶対俺のこと心配してるし、何より反応に困る。「お、おう」と半ば引いたリアクションが漏れ出すことは請け合いだ。

 だけど、第二位ならまだなんとか切り替えせる……はずだ。頑張れ俺。今こそ社交的という設定を活かす時。

 俺は頭をフル回転させて言葉を捻り出す。


「避けてねえよ」


 おぉーっとこれは在り来りな回答だ!

 しかも絶対嘘だこれ。嘘は事実を捻じ曲げられないんだよ。人と話さなさすぎて会話力が落ちてるな。


「嘘、絶対避けてる」


 しかも当然のようにバレたー!

 嘘ってのはバレるもんなんだ。バイトの件もきっと紗衣にかかれば一瞬で嘘と見抜けているはず。その点に付け込まないのは紗衣の優しさと、突っかかったところで事態は好転しないという諦めからだろう。

 と、ここは逃がす気がないらしい紗衣は、冷静な分析をしている俺に畳み掛けるように続ける。


「どうして? 私何か悪いことした? き、気に障るようなことしたなら、謝るから……」


 俺の心を抉る追加攻撃だー!

 いやほんと勘弁してください。弱いんだよ、そういうの。物理攻撃より精神攻撃の方が効くんだよ、人間って。

 事実、俺は紗衣に何かされたわけじゃない。自分から避けているだけだ。紗衣に落ち度があるかと問われると、それはゼロに等しい。

 だからこそ、紗衣の言葉は俺の善心に深く突き刺さる。

 俺はこれ以上踏み込まれないように注意深く言葉を選んだ。


「何もしてねえよ。俺には俺の事情があるんだよ」

「事情って? 私でよければ話聞くよ」


 なんだか、段々と抜け出せない沼に自ら足を踏み込んでいるような気がしてならない。アスファルトが底なし沼に見えてきた。幻覚見えてますよ。

 話を聞くと言われても困ったものだ。

「第四の壁の先を見たら俺たち創作だったらしくて、馬鹿らしいからモブになりましたーw」なんて言っても頭おかしい奴としか思われないし、余計に心配かけるだけだろう。最悪病院送りだ。頭の。

 そんなバッドエンドを回避すべく、言い訳という名の罪を重ね続ける。


「俺が解決しなきゃならないことなんだよ。紗衣に出来ることなんてねえ。俺のことなんてほっとけよ」


 そう口にして、ちょっと厳しすぎたかもしれないと後悔した。彼女の目を見開いて涙ぐんだ表情がさらに俺を追い詰める。

 だけど、紗衣の言葉だって所詮作り物だ。どう返そうが俺の勝手で、紗衣が傷つこうとも俺には関係ないはずだ。

 紗衣はきっと良かれと思って話を聞くと言ってくれたのだろう。しかし、その優しさまでもが作り物だと思うだけで嫌気がさす。吐き気を催す。俺はもう他人の言葉を素直に受け取ることができないんだ。

 だから俺は突き放す。紗衣を傷つけることになっても。この小さな罪悪感を押し殺してでも。

 紗衣は身を震わせて、か細い声を必死に吐き出した。


「どうして……そんなこと言うの? 私はただ、灯の力になれればって、思っただけなのに……」


 紗衣は両手で顔を覆った。顔が見えなくとも泣いているのだと嫌でもわかる。

 俺だってこんなこと言いたくはない。だけど、ここで俺が紗衣を頼るということは、また憐れな道化に戻るということだ。

 それだけは嫌だ。

 俺は決めたんだよ。全てを捨ててでも、誰を傷つけてでも、くだらない物語の主人公なんかにはならないって。

 偽りの感情に向き合って、その言葉が作り物であると知りながら受け入れるなんて、俺には出来ない。


 それでも、紗衣を見ていると「ごめん」と口から出てしまっていた。

 嫌な気分が心の中につっかえて、飲み込むことも吐き出すこともできやしない。最低な気分だ。


「私、灯のことが好きだった」

「……そうか」


 知っている。薄々感づいていた。

 この世界が作り物だと知って、全ての見方が変わった。作り物ではあるが、彼女が俺に寄せる気持ちは、普通の好意とは明らかに違っていた。

 だけど、それが決められたセリフだと知っている俺には、彼女の告白を素直に受け入れることが出来ない。

 ギュッと悲しげに両肘を抱える紗衣は、涙声とも嗚咽とも取れる声を絞り出す。


「元の灯に、戻ってほしい」

「ああ、だろうな」


 そりゃ当然だ。紗衣が好きだったのは、創られた俺だから。彼女が求めているのは、主人公としての柊木灯だからだ。

 モブを好きになるヒロインなんて居やしない。それが物語の摂理で、作られたキャラクターの宿命だ。

 彼女が何度求めようと、何度手を伸ばそうと、俺は全て払い除ける。彼女が生きる世界と俺が選んだ道は違えているのだから。


「引き止めてごめん。じゃあね」


 声をかける間もなく、紗衣は逃げるように俺を追い越して走り去ってしまった。

 俺は彼女の背中をその場で見送りながら、拳を強く握ることしか出来ない。


 これでいい、いいんだよ。

 感情が揺さぶられるのも、引き止めたいと思ってしまうのも、思わず声が出そうになるのも、全てシナリオの内なんだ。

 だから俺は、それには従わない。

 幼馴染を傷つけてでも、俺はこのまま物語を終わらせる。

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