夜の始まり
真っ赤な夕日がお空のはじっこに隠れようとしています。もうじき夜がやってきます。
ベートはたったひとりで座っていました。女王アリスたちを送り出した扉の前です。夜になればそこからきっと『怪談の世界』の誰かがやってくるのでしょう。それを待ちかまえていたのです。
他のみんなはそれぞれ思い思いにどこかへ行ってしまいました。だいたいの『王さま』は自分のお国を守るために。だけどベートはここに残ったのです。それというのもベートのお国は深い森の奥にありまして、そう簡単に危ないことにはならないだろうと思っていたためです。それにベートのお国はベアのお国とお隣同士です。ベアはとってもとっても強くて優しい王さまですから、ベートのお国もまとめて守ってくれることがたくさんあるのでした。
だからベートは心配していませんでした。本当はアリスたちと一緒に『怪談の世界』へついて行きたかったくらいです。だけどベートの考えでは、『怪談の世界』にみんなで向かうより攻撃されるのを迎え討つほうが『童話の世界』を守るためにはいいことだと思っていたのです。だからアリスたちのことは止めはしなかったものの、自分は自分の正しいと思うことをやろうとして、アリスについて行くことはやめたのでした。
真っ赤な夕日のことを覚えているのか、やけに赤いお月さまがお顔を出しました。いまこのときから、お昼は夜に変わります。
「よお、思ったとおりだぜ」
ぐるるるるるる。ベートも喉を鳴らしてこたえます。思ったとおりなのはお互いさまでした。
夜になって、本格的に『怪談の世界』からいろんな者たちが攻め込んできたのです。とりあえず、ベートが待ちかまえていた扉からはひとりだけ。
「ちゃんとおまえに会えると思ってたよ、ベート。はっはぁ! おとぎ話ってのはできすぎくらいでちょうどいいんだからよ」
まるで人間たちのような姿でした。そうだと思ったのです。
だけど、『童話の世界』に現れた瞬間。いいえ、もしかしたら、お月さまの下に現れた瞬間、でしょうか。『怪談の世界』からやってきたベートの敵は、まるで狼のように全身をけむくじゃらにして鋭い牙を光らせたのです。
それは普段のベートの姿とも似ていました。ふたつの足で立つ動物のようです。動物たちの中でも特別におそろしい、猛獣の姿です。
「俺の名はルー。『怪談の世界』の一番槍だ。さしあたってはおまえを倒して進軍の指揮を上げさせてもらうぜぇ」
牙を剥いて爪をとがらせ、ルーは前かがみになります。よっつの足で駆け出す動物たちに似ている姿です。
ぐるるるるるる。ベートも喉から低い声をあげてルーと同じようにかまえました。優しいベートは牙も爪も普段は隠しています。ですけれどこのときばかりは、いろんなものを切り裂いてしまうそれらを大きく見せつけました。
夜が始まりました。『怪談の世界』の妖怪たちが本格的に攻め込んできます。その始まりの戦端が、ここで切られたのです。
――――――――
ベートとルーの戦いからすこし先のお話ですが、ほとんど同時に攻め込んできた西洋妖怪たちは『童話の世界』のいろいろなところで自分たちの敵を見つけていました。
――――――――
たとえば小さくて大きな森の中。『童話の世界』のほかのどのお国よりも小さな領地しかありませんが、どこよりもたくさんの生物さんたちが住んでいる王国です。
どこよりも小さなそのお国を治めるのは、誰よりも小さいサンベリーナ女王です。サンベリーナがどれくらい小さいかといいますと、笹で作ったお船に乗れるくらい小さいのです。そんなちっちゃなサンベリーナですが、性格は元気いっぱい。小さい身体で目いっぱいに飛び跳ねてできる限りのおっきなお声を張り上げていつもそこらじゅうを走り回っています。もともとがちっちゃいサンベリーナですからどれだけ飛び跳ねて大声をあげても普通の大きさのみんなには見えないし聞こえないことも多いのですが、それでもそんな元気いっぱいなサンベリーナが大好きで彼女のお国にはたくさんの仲間たちが集まったのでしょう。
「それじゃあ虫さんたち! 鳥さんたち! 動物たちも! みんなよろしくね!」
ちっちゃなサンベリーナが大きなお声でお願いします。サンベリーナは地面から頭だけ出したモグラさんの上に乗っていまして、すこしだけ普段より高いところにいました。それでも犬さんや猫さんたちとくらべるととっても小さいままですし、鳥さんたちは高い高い木の枝に止まっていたりもします。そうなるとちっちゃなサンベリーナのちっちゃなお声なんかなかなか届きません。
だけどサンベリーナのことが大好きな住人たちはしっかりと聞き耳を立てて聞いています。サンベリーナ女王のお声を誰もが聞きもらさないようにがんばったのです。
だからどうやらみんながサンベリーナのお声をちゃんと聞けていました。それぞれがそれぞれにうなずいてサンベリーナのために動きます。
それはまさしく、戦争に向かう兵士たちのようでした。誰もがサンベリーナのお声に奮い立ち、命をかけた戦いにも臆することなく立ち向かうのです。
「ひっひっひ。こりゃあたまげた。小さくて小さいから、それだけ見つけにくい。めんどうな兵士さんたちだ」
そんなサンベリーナの軍勢を『怪談の世界』は見逃しません。ずいぶんなお歳を召してすっかり腰も曲がったおばあさんです。だけどそのたたずまいは、とってもとっても強そうに感じられました。
そもそも警戒態勢をとっていたサンベリーナ軍団の目をかいくぐってここまできたのです、それだけでただ者じゃありません。
「あたしゃキテラ。よろしくね、おちびさんたち」
「むうぅん! ちっちゃいって言うな!」
こうして魔女は、ちっちゃなサンベリーナに出会いました。
――――――――
また、たとえば、深い森をうしろに背負った、おっきくて豪華なお屋敷でのことです。
『童話の世界』には七の王さまと七の女王さまがいまして、それぞれがそれぞれひとつのお国を任されています。そのなかでも王さまたちが治めている土地と女王さまが治めている土地がいちおうわかれていて、たとえばお空から『童話の世界』を見てみますと、左側が王さまたちの治める土地で右側が女王さまたちが治める土地となっているのです。
そのうちの、王さまたちが治める土地の真ん中あたりです。そこにベアが住んでいるお屋敷がどしんと大きく建っているのです。
「夜だな」
ベアは王さまの椅子でお酒を飲みながらつぶやきました。
「まあ、ここに敵が攻め入るには多少の日数がかかるであろう」
そう思っていました。だけどベアはなんだか嫌な予感を感じていたのです。それとベアはもともと戦いが嫌いではありません。せっかく(というのも不謹慎ですけれど)戦争が始まったというのに戦いに出向けないことが歯がゆくもありました。だからなにかが起きたときにすぐ動けるように戦いの準備をしっかり整えたままで待ちかまえていたのです。
そこへちょうどよく(やっぱり不謹慎ですけどね)敵がやってきました。
「「…………」」
しかもふたりもです。身体中を包帯巻きにした誰かと、真っ白い装束を着た真っ白い誰かが、まとめてベアのお屋敷の、しかもベアの目の前に、いつのまにかいました。
ベアはすこしだけ驚きましたが、すぐに笑って、お客さまを歓迎します。
「ベア王の屋敷へようこそ、歓迎するぞ。先に名を聞いておこうか」
ベア王のお言葉に敵のふたりは顔を見合わせます。それからうなずいて「マミィ」「ゴスト」と短く言いました。包帯巻きの方がマミィで白い方がゴストみたいです。
「よろしい。わしがベア王だ。見知りおきを願おう。そして知ったなら」
――――――――
そしてたとえば、女王アリスの治める土地。
「初戦での目的はみっつだ」
ヴラドが言いました。もったいぶるように間をあけるので、ザコは「それはなんですか?」と聞くべきかずっと悩んでいました。
「ひとつ。敵戦力の削減」
ヴラドは言います。ザコはお顔に残念さを出さないようにしながらうなずきました。そんなことはあたりまえだからです。
「ふたつ。拠点の確保。まずは集中攻撃で一部の国を落とす。そこを足がかりに、この先の戦争を続ける」
すこしは考えているのだな、と、ザコは思いました。本当はヴラドのことをザコはあなどっていたのです。だけどいろいろと計画はねっているようすですこしだけ感心しました。
「そしてみっつ。敵戦力の奪取だ」
「…………!」
今度は素直に、心の底からザコは驚きました。まさかそんな情報をヴラドが握っているとは思ってもいなかったのです。
「すでに倒した女王アリスの国を奪い拠点とする。そして幽閉されたハートの女王を取り込む。また、ベア王の屋敷の奥深くに監禁された
「それはちょっと、バクチがすぎませんかねえ」
言って、ザコはお口をおさえました。ヴラドに口答えするのはあんまりいいことじゃありませんし、変に物語を操作するのもいけないことです。
「バクチに勝てないようではこんな戦争、勝ち目がないんだよ」
そうヴラドは言いました。言葉のわりには穏やかな表情をしています。
「ともかく、
ヴラドはわかっているのです。そもそも『怪談の世界』が『童話の世界』に勝てるはずがないのだと。だってそれは
だからそれをくつがえす方法を選んだのです。一か八かの賭けをしてまで。
それを聞いて、ザコは思いました。ああ、このお方は、本当の本当に『童話の世界』にケンカを売る気なんだ、と。それは戦争を始めている時点であたりまえのことなのですが、それでもその本気さがいまザコにもようやく理解できたのです。
だったら、まあ、すこしくらい。
「お見それしました、ヴラドさま」
ザコはそのように頭を下げました。
そこまでの覚悟があるのなら、すこしは手を貸してもいいだろう。そう思ったからです。
たくさんのお声が上がっています。誰もが必死で叫んでいます。
だけどドロシーは、まだ自分のおうちで、身体を抱えて震えているのです。
「アリスさん。わたしは、やっぱり……」
弱音も、けたたましい音にかき消されます。
ドロシーは震えて、耳をふさぎました。
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