第21話 夕惑い (1)

 啓斗の本能が告ぐ。近づかれたら一撃で終わる、と。


 人の姿から外れ、まさしく鬼であるバックスの威圧に今にも膝をつきそうだった。


 その風格、その顔つき、眼差し、立ち方、刀の構え方、間合い、息遣い、その全てが経験を物語る。それらが、自分達にはまだ追い付くことのできない強者の領域であることも納得せざるを得ない。


「……今の僕たちの実力が、どこまで通用するか」


 息を呑む。


 どれだけレイの「依存」で眠気が増加しても、これだけの威圧では眠れそうにない。


 意のままに黒紫色のいばらを操る。どこからともなく現れた数多のいばらは「依存」によって強大なバフを得た。



 いばらの棘の一つ一つには、耐えがたい眠気を与える「毒」を仕込んでいる。


 ダルに一刺しでもできれば、精神は遮断されダルの欲望世界は強制的に消滅し、結月とエンの意識を現実に戻すことができる。バックスも同様、一刺しでもできれば身体は次第に動かなくなる。



 十数のいばらがバックスとダルに向かって進む。


 大蛇の大群のように突き進むいばら。バックスは刀を構え、睨みつける。


 バックスの一振りで瞬く間に大半のいばらが切り裂かれる。斬撃を受けずに済んだいばらに意識を集中させ、バックスの死角を狙う。



 しかし、到底人とは思えない速度で振り返り、残ったいばらも断ち切ってしまった。



「欲望しか扱えねぇのか?」


 バックスの問いに、啓斗はすぐ答えられなかった。


 「睡眠」の欲望がある限り、いばらは出続ける。眠りの毒も仕込み続けられる。けれど、バックスを通り越してダルに当てるなんて不可能に近い。



「生憎、モノガタリの番人なもので」

「モノガタリ、モノガタリねぇ……。現実世界ではちっとも役に立たない、ゴミを守って何になる? なぁ、教えてくれよ」



 啓斗は目を見開いて、息をするのを忘れていた。


 ――モノガタリが、ゴミ?


 無意識に、「依存」のバフを与えてくれているレイを振り払った。



「えっ……?」



 ニゲロ。口をそう動かして、ポケットに捻じ込んだモノガタリを引っ張り出す。



 一度だけ考えたことがある。



 どうしてモノガタリなんてものが存在するのか。


 発生条件も、存在する意味も未だにわからない。


 ただ言えることは、モノガタリは放置される期間が長いと暴走する。暴走すると人に影響を与え、大きな事件へと発展してしまう。即ち、害だ。


 そして使い道と言えば、モノガタリや欲望世界でしか使えない魔法。例外はあるが、現実世界では一切の効果が無い。


 『永久指名手配』という組織は、モノガタリで暴走した人を処理してきた人達。モノガタリの捉え方が根本的に違う。それこそ、モノガタリが消滅すれば誰も犠牲にならずに済むのだ。


 理解できる。もちろん、否定することはない。


 ただ、「役に立たない」は違うのではないか。



「役に立つ例を、僕は知っています」


「ほう?」



 バックスは刀を構えなおす。結月は全てのいばらを引っ込めて、わざとらしくペンデュラムをバックスに見せつける。



「これでもモノガタリの番人ですから、モノガタリのことならよくわかっているんです」



 夜の始まりを表す青がかった暗闇の色からグラデーションになるように、夕暮れの温かさを交えたオレンジ色のペンデュラム。


 空の色を吸い込んだかのようなモノガタリに、バックスは警戒する。


 啓斗の背後にいたレイは、そのペンデュラムを見るや否や啓斗から距離を取る。



「ここは現実だ。使えねぇんじゃねぇのか?」



 啓斗はもちろん知っている。


 現実世界で使えるモノガタリは、「ペンデュラムの形をしていないモノガタリ」だけ。エンのゴーグルが良い例だろう。


 だからこそ、このモノガタリはハッタリだ。



「例外があることはもちろんご存じですよね」


 長時間引っ張ることはできない。時間がかかればかかるほど、こちらの作戦に気づかれるリスクが上がる。あとはレイを頼るだけだ。


 レイが上手く立ち回ることを、祈るしかない。



『日暮れの睡魔に耐えることなく、〈夕惑ゆうわく〉の色と成れ』



 啓斗が詠唱を終えても、モノガタリは一切の反応を示さなかった。と、同時に一本の矢が飛んできた。


「あ?」


 矢は誰を狙うでもなく、啓斗とバックスの間の地面に刺さる。その矢には、小さな円柱型の何かが括り付けられていた。


 数秒待つことなくそれは爆発し、白煙を辺り一帯に広げる。


 この一瞬の隙を待っていた。


 啓斗は背中に熱を感じる。レイがすぐ傍まで寄り添って、「依存」のバフを分けてくれている。


 ――今しかない!


 なるべく音を立てずに、素早くいばらを操る。いばらに目などなく、白煙が行く手を拒むことはない。ただダルをターゲットにして、眠気の毒を棘に仕込む。


 ダルがいる場所は覚えている。白煙の中でも場所は変わることはないから、勝利を確信していた。いくらバックスでも、ダルを運んで白煙を突き進むとは到底思えなかった。


 いばらの感触が直接手に伝わる。小さな棘がダルの皮膚に突き刺さり、そこから到底耐えられないほどの強烈な眠気を流し込む。



 ――これで僕は数日普通に生活してられるね。



 勝った。勝ったと思っていた。




 一振りの赤い斬撃が白煙を切り裂くまでは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る