第19話 ねむれよい子よ (2)

 啓斗のすぐ側まで近寄る。しかし、啓斗は目覚める気配は無く、静かに寝息を立てたままだ。


「起きて」


 レイは普段会話する時と同じ声量で声をかけるが、微塵も反応が無い。


「起きてー」


 二回も声をかければ何か反応があるかとも考えたが、どうやら見通しは甘かった。


「起ーきーてー」


 授業で先生に当てられたときの、教室全体に聞こえるような大声でもだめだ。


「起きてよ!」



 言葉を強めても無意味である。睡眠欲の強さを舐めていた。


 優しさを捨てることを視野に入れて啓斗の家まで来たが、まさかここまで目覚めないとは思ってもいなかった。


 同じ恐怖を味わった身としては申し訳なさを感じるが、最終手段を取る。



「ダルが学校まで来てる! みんな死んじゃう!」


「えっ⁉ 何⁉ 何があった⁉」



 先ほどまでの熟睡が嘘のように、啓斗は一瞬で飛び起きた。


「おはよう」

「ああ……おはよう。ふわぁ~あ。ねむ……」


 時刻は夕方を指している。レイはカーテンを開けて日光を取り入れようと考えたが、そもそもカーテンがいばらで覆われて近寄れそうになかった。


 ご主人様の欲望に従順なのか、そもそもの習性か。啓斗の眠りをより良いものにすることには変わりない。


「ダルっていう奴、覚えてる? 永久指名手配の初狩りクズ」


 その名前と組織を口にするだけで啓斗の眉間にしわが寄る。深い紫色の目を細め、部屋のどこかを見つめる。寝癖のついた滑らかな金髪がふわりと揺れる。


「流石に覚えているよ。僕も殺されたんだから……ふぅ。名前を聞くだけで身震いする」


「あいつがね? その時と同じように結月を無理やり殺そうと戦ってるから、そのまま放っておくのは嫌で……」


 一瞬、啓斗の表情が曇る。トラウマに立ち向かうようなものだとレイも理解している。この頼みも、根本にあるのは善意だ。



「何か止める方法は思いついてるの?」



 TKOTの頭脳担当がこのようなことを発現するのは珍しく、レイは思わず息を呑む。


 寝起きで頭が回らないのか、それとも試されているのかわからないが、自分の作戦に不備は無い。自信はある。成功する可能性を数字に置き換えられやしないが、万が一のこともちゃんと考えている。


「か……過去の事例があるの。外部から強力な鎮静剤を打たれたときは唯一戦闘が中断されたって」


 啓斗は何かを察してふぅ、とため息をついた。


 啓斗はダルの欲望も、戦闘スタイルも、戦った直後よく調べていた。恐らく戦闘記録にも辿り着いているはずだ。エンとダルの中断された戦いに隠された欲望の穴も見つけているに違いない。


 改善案や対抗する作戦を口にしなかったのも、たった一度きりの戦いであることを知っていたからこそ無意味だと気づいていたのだろう。


 唯一、もう一度戦う可能性のあるエンが徹底的に他組織を避けていたことも加味していたと考えるのが自然だ。



「何をしようとしてるのかはわかったよ、わかったけど。成功しなかったらどうする」


 吐き捨てるように言い放つ。啓斗はもう、永久指名手配の件に疲れ切っている。


「もちろん、その時もちゃんと考えてるよ」


「教えてほしい」


「……ダルを自滅させる」


 啓斗がこの言葉に込められた意味を理解しているかどうかなんてわからない。啓斗はいつも目を擦っていて眠そうで、それ以外の表情が無いことがほとんどだ。


 レイの欲望を真に理解している一人ではあるが、啓斗の考える作戦の「依存」の解釈はとても狭い。確実にできることしか作戦に含まないのが啓斗だ。



「大丈夫だよ。そこまでしなくても最初の作戦で救い出せると思うよ」


「本当! やった、来てくれるんだよね?」


 全てのいばらの棘が、全てのいばらの先端が、レイの方に向く。


「……いいよ、わかった。行くよ」


 啓斗の言葉と同時にいばらの向く先は自由気ままなものとなる。


 それが何を意味するか、レイは知らなかった。



「ありがとう、啓斗くん」


「外で待ってて。いばらを戻さないといけないし、パジャマのまま行く訳にはいかないから……あー、ねむい」


 レイは言われたとおりに啓斗の部屋から出た。



 しばらく待って、再び啓斗が部屋から出てきたときにはとても安心している自分がいた。


 啓斗の手にはいくつかのモノガタリが握られている。現実では使えないモノガタリがほとんどだが、一体啓斗はどうしてそれらを持ち出したのかわからない。


 聡明であるが故に何を考えているのかわからない部分もあるが、後ろを任せるくらいには信頼している。


 閑静な住宅地、アスファルトの道路に影が二つ。急ぎ足で学校へ向かう。




 背後から傘を差した男が影を見送ったことを、二人は知る由もない。


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