第16話 刀は夢者を斬るものだ

 ◇


 ダルの欲望で作られた世界に意識が持っていかれるときは、モノガタリに入る時と同じように、現実世界に身体は残る。


 項垂れている様子であったり、座っているだけであったり、眠っているような人もいる。


 エンはいつも最後に目覚める。相性が良いのか悪いのか。さっぱりわからないがどうも寝覚めが悪い。目覚めるといつも夜で、泥島先生すらいないときがある。


 寂しさを感じたことだってある。でも、物語を読んだ後の余韻を一番長く感じられた気がして、それが尊くて、愛しいとも感じていた。


 誰かの生き様を全身で感じる。人生が一度しかないことへの叫びを聞く。「人」には処理しきれなかった泥のような感情に身を投げる。それがどれだけ醜くとも、汚くとも、その全てが美しい。それが、モノガタリ。


 人生を拘束された赤月エンにとって、物語は失われた人生の可能性だ。


 だからこそだろうか。強引に、モノガタリでも何でもない、ただ戦うだけの場所に意識を持っていかれるのが、愚行だと。誰かに言い放ったことがある。



 ――誰に言ったか。TKOTの面々じゃなかったはずだけど。



「あ」



 低い。二年前に聞いてから一切耳にしていなかった声を耳が捉える。


 自分の世界に入り込んでいたエンは、ようやく現実を見た。


 誰もいない運動場のど真ん中、結月とダルの二人が地面に膝をついて項垂れている。泥島先生の姿は無く、バックスとエンの二人だけがそこにいた。



「久しぶりだね。レイダー」



 いつもバックスはそうだった。その見るからにやる気のない目つき、黄色の眼光が嘘みたいな鋭さをもって敵を刺す。


 ――ああ、バックスに愚痴ったんだっけ。



「二年ぐらい顔見てなかったが……なんか、変わったな」


「ああ変わったよ。守るものが増えちゃってさ」



 バックスは一向に刀を抜かない。元から掴み所がない人物ではあったが、戦う前の緊張までも操る化け物では無かったはずだ。



「それこそレイダー、君はどうなの。二年で何か変わった?」


「何も」



 心底面倒臭そうな目でエンを睨みつける。対話する気の無さだけはエンにも伝わってくる。



「レイダー、この場を通してくれる気はある? エンヴィーのところに行かなくちゃいけないの」


 バックスの後ろには気を失っているダルと結月がいた。一刻も早く助けたいことには変わりはないが、無理に飛び込んでバックスに首を斬られるのだけは勘弁だ。



「止められてない。……好きにすればいい」


 エンは目を見開く。


「罠? エンヴィーもレイダーほどではないけど、それなりにはバトルジャンキーだったじゃん」

「赤月を殺すのが厄介」



 意識せずとも口角が上がる。頭の先からとろりとした素敵な分泌物が脳に浸透する。


 抑えに抑えた欲望が静かに反応してしまう。



「やっと、やっと名前を呼んでくれたね。私とあ――」

「おい」



 ドスの効いた声で正気に戻る。思わず口を手で押さえていた。


 余計な事は考えず、結月を救うためという大事な目的だけに集中する。


 ――危ない、本当に危なかった。



「……もう俺は三十六だぞ? ダルみたいに無理はできねぇんだよ」


「え、そんなに歳いってたっけ。アラフォー突入?」


「はぁ……」



 自分で話題に出しておきながら、年齢の話題は心に傷をつけてしまうようだった。



「まだふざけた禁欲とやらを続けてやがるのか? 今にも発動しそうなギリギリの状態で戦いに来るんじゃねぇよ……」


「いやぁ昔の血が騒ぐというか、ね?」


「小娘が……」



 内心どこかでは焦っている。こんな風に談笑を続ける暇はない。それでも懐かしい友人であり、永久指名手配の人々の中では珍しい近接戦に長けたライバルでもあった。


 今となっては顔を合わせるだけで欲望までもが反応する、面倒な敵であるが憎んではいない。ダルとは違って。



「俺はお前を攻撃しないのはそういうことだ。無茶はダルの担当だからな」


 これほどまでに都合の良いことは無かった。


「だから……とっとと「孤高」の決着をつけてこい」


 歓迎されているのか、飛んで火にいる夏の虫になってしまったのか。それでもチャンスは手放せない。


「どーも。私の仲間にも優しくしてね」

「それは無理だ。……奴らは、夢見ることを諦めていない」


 バックスが何を言おうと私には関係ない。


 レイが困るかもしれない。でもレイだって、バックスをどうにかするぐらいの手札は持っている。エンにはそんな確信があった。


 現実は彼女らに託して、ダルのすぐそばまで近寄る。


 意識を集中させて、呼吸を整える。次第に見えてくるのは欲望の揺らぎ。


 そっと手を伸ばして、表面をなぞるように指で触れた。


 ぐっと身体に負荷がかかり、膝を地面につける。


 頭が重くなり、意識が遠のく。


 知らない場所。知らないビル群。道路。違法駐車。行き交う車に人は乗っていない。



「今日は市街戦かぁ。Y軸が無駄に活用できるのが……私に向いてないね」



 エンはコンクリートの地面を蹴り、走り出す。


 結月を救わなければならない。ひとつの呪縛を解いた、レイのためにも。



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