第27話 麗奈の告白
「クカカッ! 強くなったじゃねえかオイ!」
雷が麗奈を褒め称えた。ついに雷を相手に四子で勝利したのだ。ギリギリ半目差の勝利ではあったが、称号持ちを相手に四子で勝てたのは自信に繋がる。麗奈は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、雷様」
「アンタの執念が実を結んだ結果さ。自分を誇っていい。まあ、俺の指導が良かったおかげもあるだろうがな!」
雷は本当に付きっきりで指導をしてくれた。そのおかげで、序盤、中盤、終盤のどれも以前の麗奈とは比べ物にならないほどに強くなっている。
「まあ、アンタは元々筋が良かったからな。国家棋士に近いって言われてるのも頷ける話だ。才能あるぜ」
雷の言葉を素直には受け取れない。麗奈は自分には才能が無いことを重々知っている。
「雷様、一つお願いしても良いですか?」
「なんだ? アンタには店で働いてもらう訳だし、多少の依頼なら聞いてやるよ」
麗奈は一つの依頼を口にした。今更の話ではあるが、でも、きっと大事なことだ。麗奈の依頼を聞いた雷は、対価を要求してきた。
「へえ、面白い話だ。だが、その願いを聞くためにはアンタにも話して欲しいことがあるな。アンタがなぜ星河とかいうお嬢ちゃんにこだわっているのか、そろそろ話してくれても良いんじゃねえか?」
「大したお話では無いのですが……」
常に笑っている雷が、この時ばかりは真剣な顔をする。
「言っちまえよ。囲碁ってのはその時の心持ちによって強さが変わる遊戯だ。何か不安があるのなら、今のうちに吐き出しておいたほうがいい」
それは、そうかもしれない、と麗奈は思った。自分はずっと誰かに吐き出したかったのだ。そしてきっと、そのことを雷は見抜いている。どう話そうとも無様な自分をさらけ出すことになる。それでも、麗奈は雷に話すことにした。きっと、今が前に進む時だから。
「最初に気付いたのは確か――」
最初に気付いたのは確か、星河が六歳の頃だった。この時はまだ囲碁の技量では麗奈のほうが圧倒的に上で、星河は麗奈が六歳の時よりも弱かったと思う。
いつものように九子を置いて星河と打っていると、ふと星河が変な手を打った。とはいえ、未熟な打ち手が意図の読めない悪手を打つことはままあることだ。麗奈は気にせずに打ち続けた。終盤になってその悪手が、好手となって蘇るまでは。焦りを感じながら麗奈は問う。
「この手、ここまで考えて打ったの?」
「うーん、後のほうで良くなりそうだなとは思ってた」
自分が読み切れなかった手を星河が打ったことが衝撃だった。妹はずっと自分の背中を追い続けるのだとどこかで思ってた。だが、この一手だけの偶然ということもあり得る。というよりその可能性のほうが高い。だから麗奈は素直に妹を褒めた。
「すごいわ。流石は私の妹ね」
「えへへ」
星河は嬉しそうに笑った。その口元は緩んでいる。
もちろん、偶然ではなかった。その日からたびたび星河は麗奈では想像もできないような好手を打った。置き石も九子、八子、七子と減っていった。八歳になって置き石が二子になっても、星河は楽しそうに麗奈と打っていた。その口元は緩んでいる。
麗奈は焦燥に駆られながらも必死に努力をした。急激に成長していく星河に比べて自分は全く前に進めていない気がした。
ある日、難しい詰め碁を碁盤に並べながら考えていると、横から来た星河が指を差した。麗奈が半日かかっても解けなかった詰め碁を、星河は一秒もかからずに解いた。麗奈が解けなかった詰め碁を解けたのがよほど嬉しかったのだろう。星河は冗談交じりにこう言った。子供が照れ隠しに言うような些細な冗談。その口元は緩んでいる。
「こんなのも解けないの? お義姉ちゃん」
たぶん麗奈は笑えていなかったと思う。姉としての威厳と保とうとして失敗していたと思う。なんと返したかは覚えていないが、星河が笑っていたのでなんとか罵倒はせずに済んだのだろう。
この時にはもう気付いていた。星河には才能があり、自分にはない。麗奈がどれだけ努力しようとも星河はたやすく追い抜き、遥か先へと行ってしまうだろう。
恐ろしい。この先、ずっと自分は妹と比べられるのだろうか。囲碁を打っている限り、この天才を間近で見なければならないのだろうか。あの輝く瞳が、あの緩んだ口元が怖い。才能なき麗奈を嘲笑っているようなあの笑いが。毎日のように夜に怯えて、星河が自分を追い抜く明日が来ることを思って泣いていた。
だから、星賢の遺言で星河が囲碁を禁じられた時にはホッとした。そうして安堵した自分が後ろめたくて、麗奈は星河に話しかけることもできなくなった。
麗奈の告白を黙って聞いていた雷は、話が終わった瞬間に一刀両断した。
「くだらねえ話だな」
「くだらない、ですか」
雷は称号持ちだ。才能のある人間には、麗奈の悩みは分からないのだろう。分かってもらえるとは思っていなかったので、失望したりはしない。ただ少しだけ残念に思った。それだけだ。
*
まだ顔が火照っている。日課の朝の対局で知世に根掘り葉掘り聞かれた星河は、起きたら大空の布団に潜り込んでしまっていたところまで正直に話してしまった。どうやら大空に抱きついて寝ていたらしい。大空にも泰子にも知世にもからかわれて、穴があったら入りたい気分だった。とはいえ、悪い気持ちには全くならない。からかいの言葉の裏に確かな愛情が感じ取れたからだ。麗奈との対決は二日後。そこで負ければ、もうこの人たちとも会えない。そう思うと、気が引き締まる。
今日も天原閣に来た星河は、碁会所に寄る前に買い物をしようと思った。やはり一緒に寝ることがお礼になったとは思えない。何かしら物に残る形で大空に贈り物をしたかった。もしも麗奈に負けて久遠院家を去ることになったら、贈り物をしている暇はないだろう。だから買い物をするなら今しかない。
一階の売店が並ぶ区画を歩く。当たり前だが、囲碁に関する雑貨ばかりが置いてある。どんなものを贈ったら喜ぶだろうか? 大空は何を渡しても喜びそうで、かえって迷ってしまう。悩みながら歩いていると、新しいお店ができていることに気が付いた。新規開店ののぼり旗が舞っている。『とらや』。虎屋、だろうか? どんなお店なのか想像できずに近づいてみると、着物の店員さんが挨拶してくれた。虎の耳や尻尾を模したものをつけていて大変可愛らしい。
「いらっしゃいませとらー……。せ、星河っ!?」
「えっ?」
虎のような格好をしている店員をよく見てみると、それは虎ではなく義姉であった。
「お、お義姉ちゃん!」
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