第14話

 ――実は特殊能力者なんです。


 なんて、夢見がちな発言をいい歳した成人が言うとどうなると思う?


 今の私と同じように、聞き手よりも発言者側が羞恥で頭を抱える羽目になる。

 ネット小説ではありふれた、特殊能力という非日常。現実ではちょっと身体の整体が上手ぐらいの恩恵しか得られない微妙な能力だ。

 この体質、あるいは能力を自覚してから、異なる世界の見え方によって、別の角度から技術が発展すればいいと浅はかな夢を抱いた。認識の変化はブレイクスルーのきっかけになりやすいから、と安易な思考だったと今は後悔している。


 あの頃の私はこのヘンテコなギフトを論文のテーマにしようとした。正しく言語化して、他の人にも理解できるようになれば、少しは役に立つだろうと夢想したのだ。

 もちろん、そんなことは現実にならなかった。論文の提出は認められなかったし、何より私自身が桃花との一件から能力に忌避感を覚えてしまったから。


 それでも、調子に乗っていた頃でも、自分自身がそういう特殊な存在だと主張するなんて、奇異な目で見られるというデメリットが大きすぎることは理解していた。そんな私の秘密を、桃花はどう捉えるのだろうか。


 からになったグラスから、そろりと視線を上げて彼女を見てみれば、どうということもなしに新しいボトルを店員に注文していた。


「いや反応うっすいね?」

「先生のグラスが空のままだといけませんから」


 私の倍以上は飲んでいる彼女は、そう言いながら自分のグラスも空にした。グラス越しに見える白魚のような指先が、ゆらゆらと所在なさげに動いている。やがて彼女は人差し指だけ立たせ、一点だけ補足しますと口にした。


「そういった常識の埒外にある、不思議な能力の存在を私は既に知っていました」

「えっ、なにそのラノベみたいな展開」


 これでも一世一代の告白だったんだが、桃花の態度は先ほどまでの雑談と全く変わりがない。むしろ私の態度に対して少し呆れている様子まである。

「いや当事者の先生に言われても」

「だって私だったら、いきなり『世界が変に見えるんですけど代わりに色々いじくれます』って言われたら意味わかんないし、相手の正気を疑うよ。それが実は知ってましたって返されると……うん。桃花、正気?」

「失礼極まりないなこの人。そういうところも好きなんですけど」

 なんでも惚気に変えるんじゃないよ、怖いから。

「ちょっと漠然としてるので、どんな能力なのかイマイチ理解できないことが申し訳ないぐらいです……」

「元生徒が理解度の高い恋人面してきて怖い」

 そもそも私自身も能力に関して仔細まで把握しているわけではないので、むしろ理解される方が恐ろしい。

 言葉で説明するよりも、実際に見てもらえば理解しやすくはなるだろう。桃花もそれを望んでいる様子だったけど、少なくとも彼女の前で私は能力を使おうとは思えなかった。酒の勢いで誤魔化しているけれど、トラウマのど真ん中みたいなものだから迂闊に使うと吐く確信しかない。

 軽くてあしらうように手を振ると、拒否の意思をくみ取ってくれた桃花は不満げな表情を浮かべたものの素直に引き下がってくれた。


「まあ、先生の特異性についてはおいおい教えてもらうにしても……私の病弱さが、その辺りと関係していることぐらい、先生だって薄々勘づいてたでしょ」

「ゔっ、いや、原因までは分からないけど……関係しているかも、ぐらいには」


 桃花の言葉に身体が反射的に震えてしまう。私の悔恨、罪苦。そうであろうという予感はあった。そうじゃなければ、彼女の体質は説明できない部分が多すぎる。

 しかし実際に桃花から口にされると自分がしでかしたことを思い出して、胃の中が逆流してくる。アルコールと胃液が混じって喉元にせり上がってくるのはなかなかきつい。

 未だ克服できないトラウマによってべこべこに歪んでしまった精神を正せないまま、私は涙目で桃花へ話しかける。


「桃花が手のひら返しで健康になったのも、それが原因?」

「治療してくれた方の受け売りですが、過去の私は水換えされていない腐った水槽の中で暮らしていたようなもの、だそうです」


 自分の身体に対して酷い例えをするものだ、と呆れるがその表現が一番適しているのかもしれない。学生時代の彼女は普通の生活を過ごすことがそもそも異常なほど、生きていることが不思議な子どもだった。

 学園長たちが波恵市以外の医療施設へ彼女を連れていくことに抵抗を示していたのは、土地の影響が少なからずあったのかもしれないと不意に突拍子のない考えを思いつく。風水とかオカルトは専門外なので憶測にすぎないけど、桃花が高校入学まで生き延びたのは、流石に奇跡だけでは説明がつかない。なにかしら外的な要因がなければあり得ないのだ。

 ついでに、それまでは暴発したり使えなくなったりと波が激しかった自分の能力が、波恵市で過ごしている間は不思議なことに制御できていたのも考えの理由の一つだ。

 まあ、そう思って調子に乗った結果があの日の夜だ。一番やらかしてはいけないタイミングで、私は誤った道を全速力で駆け抜けてしまった。それこそ、酒にのまれたように調子がよくなった自分の能力に酔っていたのだろう。


「なので、あの夜に先生が処置してくれなければ……一度も腐った水を新しいものに換えて貰えていなければ、おそらく私は生き永らえていなかっただろうとも言われました」


 慰めにもならない言葉を、元生徒から投げかけられる。私が施した行為の目的は、たしかに彼女の澱んだ流れを整えるものだった。目的だけをみれば、きっと美しいものなのだろう。

 けれど、自分の能力を上手く扱えない私が選択した手段がどこまでも邪道だった。それが何よりも、私を苦しませる。

「私は、助けられたんです。先生に命を救われました。どれだけ先生が自分を許せなくても、その事実だけは絶対に譲れません」

 強く握りしめて白くなり始めた私の手のひらを、桃花はふわりと両手で包み込んだ。あの日以来になる桃花の温もりはあまりにも温かくて、だからこそ刃のように鋭くなって私の心に突き刺さる。

「ごめん、離して」

「……はい。すみません、先生」

 鏡を見なくても分かるが、きっと今の私は青白い顔をしているはずだ。桃花は身を乗り出していた姿勢から座りなおして、再び机越しにまっすぐとこちらを見つめてきた。


 聞き分けがいいくせに、諦めの悪い子だ。誰に似たのだろう、自分だったら嫌だなぁ。


「さて、どうしようか。出オチ狙ってたんだけど当てが外れたな」

「先生って会話が下手くそですもんね。出鼻くじかれたら、そのあとはグダグダになりがち」


 こいつ、人が弱いところを見せたからって調子に乗ってるな。本当のことだからって言っていいことと悪いことがあるんだぞ。

 アルコールと羞恥心で、思考が空回りしている感覚はある。それでも彼女の温度が離れたことを惜しむ気持ちよりも、一人に戻れたという安堵が上回っていた。その事実が自分自身のふがいなさを表しているようで、私は吐きたくなる気持ちを必死に抑え込んだ。すべてを伝えると決めたのに、この程度で挫折するのは早すぎる。

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