【本編完結】花と臺の後日談

いつでも眠たい

とある自己紹介、あるいは自傷と後悔

 私、窕木うつろぎうてなの人生における最も醜悪な悔恨と、最も穏やかな記憶は、ともに一人の少女と紐づいている。


 ――吉祥桃花きっしょうとうかは、その名の通り花のように儚くも美しい少女だった。


 桃花は淡い藤色の髪を肩ほどに整え、白磁を通り越して青白い肌を春夏秋冬問わず長袖のインナーで隠し、すらりと伸びた手足を柳のように揺らしていた。


 彼女を初めて目にしたのは桜吹雪の舞う学園の中庭だ。

 桜の下にぼうと立つ彼女は、思わず幽霊だと勘違いしたほど脆く儚い外見をしていた。しかし次の瞬間には、彼女は春の陽気に立ち眩みをおこして地面へ崩れ落ちていた。慌てて駆け寄って身体を起こしてあげると、真っ青な顔で呻き声をあげて死にかけていたので、初対面からして心臓に悪い少女だ。


 早い話、彼女はとんでもなく不健康な人間だったのだ。


 入学初日から保健室に運び込まれる生徒なんて、縁起でもない。ましてや、私自身も赴任初日だ。ろくでもない縁が結ばれたのではないかと、その時から嫌な予感はしていた。


 その予感は、見事的中する。彼女は生来病弱で、教室よりも保健室で過ごす時間が多かった。

 

 正規の教員が産休から戻るまでという限定された期間のなかで、私が養護教諭として最も接した生徒は彼女だったし、思い入れがなかったと言えば流石に嘘になる。

 薬と、子守歌と、彼女の将来に対する祈りだけを与えていたつもりだった。たったそれだけでも、彼女には猛毒だと愚かな私は知らなかったのだ。

 

 桃花が思慕の感情をこちらに向けてしまうまで、そう時間はかからなかった。

 しかし彼女には不運であり、私には当たり前のことながら、窕木うてなにとって吉祥桃花は庇護の対象でしかなかった。


 些細な運動でも熱を出す自分の身体を疎いながら、負い目に感じていることをひた隠しにしていた桃花。

 達観しているようにみせて、その実は年相応の寂しがりだった桃花。

 他者には大人ぶっているくせに、下手くそな甘えた方を私だけに見せる、桃花。


『先生のことが、好きです。すきなんです。だいすきで、くるしい。だから』


 どれだけ桃花から思慕の感情を向けられていても、彼女がそれを恋だと定義しても、私は彼女を同じような目で見ることができなかった。


 大人と子ども。教師と生徒。それぞれに聳え立つ隔たりは、当たり前で、常識で――だからこそ、その境界線を踏み越えたあの夜の私は決して許されない。


 だって、彼女は子どもだ。そして、私は大人だった。


 可愛く思えたとしても、愛欲を吐き出す相手ではない。その道行きを見守ることはあっても、籠に閉じ込めることはしてはならない。


「謝らない。好きなだけ恨んでいいずっと想っていていつまでも赦さないでいいずっと忘れないで。でも思い出にするぐらいなら、消してちょうだい傷痕になればいい


 不義理にして、不誠実。彼女が私に向けたもの全てを裏切った行為の後、別れも告げず学園を去って五年以上の月日が経った。

 女々しい私は学園で過ごした日々を朧げなものに変えてもなお、吉祥桃花のことだけは鮮明に覚えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る