第39話

 第十章


 オーウェンが動けるようになるのを待って王都に戻った聖は、亡くなった王妃の部屋にいた。王妃の部屋は生前のまま残されているようで、室内も清潔に保たれている。

「聖魔法に関する本は、この部屋には置いていなかったが……」

 聖に付き添ってくれているオーウェンは、母親の部屋を懐かしむ様子もなく室内をぐるりと見回した。

 あれから一週間。オーウェンの傷はそれなりによくなり、なんとか動けるまでになったが、もし今、聖女の派遣が決まれば、怪我が治りきっていない状態で行かなければならなくなるところだった。

 だが幸いにして、聖魔法を込めた魔石の有用性が認められたため、騎士団において実地試験が行われているため、聖女の派遣は見送られている。

 その時間を使い、聖はもう一度書庫で聖魔法についての本を探していた。

 だが残念ながら新しい発見には至らなかったのだ。そこで、オーウェンに亡き王妃の部屋を見せてはもらえないかと頼んだところ、国王からの許可が下りた。

「でもね、書庫には、歴代の聖女たちが残した手記が一冊もなかったの。国で一番尊ばれている人の手記がまったくないっておかしくない? 王妃様の部屋はまだ生前のまま残されているって聞いたから一応探しておこうと思って」

「そういうことか。おそらく、そういったものは王族の手によってすべて処分されて来たんだろうな。俺も、母上が亡くなってからこの部屋を探してみたんだが見つからなかった」

「そうだよね……探してるよね」

 自分が考えついたのだ。オーウェンが探していないはずがなかった。

 聖はまた振り出しかとため息をつきながら、本棚に置かれている本を一冊ずつ手に取ってパラパラとページを捲った。

 日本の漫画なんかでは、本をくり抜いて中に大事なものが隠されていたり、本棚を動かすと地下への入り口が出てきたりするが、本棚を押してもうんともすんとも言わない。

「あ、こういう引き出しの裏に貼りつけてあるとか?」

 一応、王妃が書き物に使っていた机の引き出しも開けてみる。しかし、中にはインクとペンが入れられているだけだった。

 引き出しに腕を入れて、おかしなところがないかを探る。引き出しの中で手をぐるりと回すが、上の部分はざらりとした木の感触がするだけだ。だが、隙間がないか奥まで腕を入れて指先で探っていると、奥になにか突起のようなものがある。

「これ……なにかある」

「なにか?」

「ちょっと待って」

 指先で摘まみ引っ張り上げてみると、かこんという音がして、引き出しの底が外れた。どうやら隙間がないようにぴったりの薄い板を底に挟んであったようだ。

 まさか、本当にあるとは思わなかった。前聖女はミステリー好きだったのだろうか。

「紙が……」

 数枚の束になっている紙が板の間から出てきた。少し汚れてしまっているが、読めないほどではない。そこには慣れ親しんだ日本語でなにかが書かれている。

「まったく読めないぞ」

「うん、だってこれ私の国の言葉だもん」

 緊張で心臓が脈打つのを感じながら、聖は紙を捲っていく。

(やっぱり……あった)

 それは王妃が書いたと思われる手記だった。

 王妃──前聖女の名前はアカネというらしい。

 彼女の手記は、日本からこの世界に飛ばされたときから綴られていた。

 茜は当時の国王──オーウェンの祖父に、聖女として働かなければここから追い出すと言われ、仕方なく従ったらしい。

 こちらに来てすぐはなにがなんだかわからなかったが、そばにいてくれた聖女部隊の護衛がとても優しかったようだ。そして、しばらくして、聖女部隊の団長であるフィリップにプロポーズされたとある。

「セイ? なにが書いてあるんだ?」

「王妃様がここに飛ばされたばかりの頃のこと。陛下も、今のオーウェンみたいに聖女部隊として王妃様のそばにいたんだよね?」

 日記にある聖女部隊の団長、フィリップとはフィリップ陛下のことだろう。

「あぁ、それが王太子の義務だからな」

「そっか……じゃあやっぱりこれ陛下のことなんだ」

 手記には、フィリップは知り合いのいない自分に寄り添い、常にそばにいて守ってくれたと。帰りたいと泣く自分を慰め、抱き締めてくれたと。だから、この国のために聖女として力を尽くすことを決めたのだと書かれていた。

 それはまさしく今の聖とオーウェンのようではないか。

「父上についてなんて?」

 意外だった。フィリップ国王は、聖女を国のために利用し、いらなくなったら殺し、新たな聖女を呼んだ。それを当然のこととしているこの国のトップは血も涙もないような人なのだとばかり思っていたが、この日記を読むと、茜が徐々にフィリップに惹かれていった様子がわかる。

 もしかしたらフィリップは、聖女を道具としながらも、茜に対して少なからず愛情があったのではないだろうか。

「王妃様は……陛下のこと、好きだったみたい」

「そうなのか? 俺は母上と数えるほどしか話したことがないからな」

 オーウェンもまた意外そうに目を瞠った。

 王族として生まれた者たちは、聖女を異世界から呼び寄せこの国のために利用するのを当然として教育される。

 オーウェンが生まれてすぐに母親から引き離されたのはそのせいだろう。

「うん。陛下と結婚したあとすぐにオーウェンを産んで、可愛かったって書いてある。でも、すぐに乳母に預けられてほとんど会えなかったって。妊娠中も、出産してすぐも聖女として精力的に働いてたんだね」

「瘴気を祓える人のは聖女だけだ。妊娠しようと休む時間など与えられなかっただろうな。俺もそうするようにと教育を受けた。異世界から呼んだ聖女には上辺だけの地位を与え、この国のために役立つ消耗品と思えと」

「ひどいね」

「あぁ……俺はそのことに気づけて、よかった」

 子どもを奪われ、ひたすら聖女としての役目を求められた茜は、どんな気持ちだったのだろう。フィリップに対して恨む気持ちはなかったのだろうか。

「あ、オーウェン、妹もいたんだね」

「妹?」

「うん……でも、未熟児で生まれて、すぐに亡くなったみたいだけど」

「あぁ、そういえば亡くなったと聞いたな。妹、だったのか。知らなかった」

 妊娠中にそれだけ働かされていたのだ。無理が祟ったのかもしれない。

 文字を追っていくと、ところどころが滲んでいてよく見えないが、子どもを助けられなかった後悔が綴ってあった。妊娠中に聖女として派遣され、お腹を強く打ったことがあった、それが理由だろうか、と。

 国王に、聖女としての働きを命じられて、それに従っていたが、フィリップはそんな妻を常に案じていたようだ。国王に直談判したこともあったらしい。それを止めたのは茜だ。

 フィリップと茜の仲睦まじさが文面から伝わってくる。

「あ……ちょっと待って、これ」

 続きを読んでいくと、驚きべきことが書いてあった。

 茜が第四子──つまり未熟児で生まれた王女を妊娠したとき、今までとはなにかが違ったと。自分が使う聖女としての力がお腹の子にも宿っているような感覚がしたとある。

(それって……聖女としての力が受け継がれていたかもしれないってことだよね)

 聖魔法が使える者はこの国には存在しない。

 だから今まで異世界から聖女を召喚するしかなかった。けれど、聖女ならば聖魔力を持つ子を産めるとしたら。

(それなら……もっと前にわかっているはず。どうして今まで聖女が生まれなかったの?)

 そう考えて、聖は歴史書にあった王族の家系図を思い出す。不自然なほど王子ばかりで王女は一人もいなかった。そんなことがあり得るだろうか。

(聖魔力を持って生まれる可能性があるのは女児だけ? もしも王女が生まれていて、その子が聖女としての力を持っていたら……どうなっていた?)

 王族は、幼い頃から聖女は使い捨ての道具だと教えられる。聖女は、王妃としての地位を与えられながらも、なんの権限も持たされず生涯、聖女として働かされるのだ。故にほとんどの聖女は短命だ。

 愛のない結婚を強いられ、子どもを産まされ、聖女として使い潰されて、平気でいられるはずがない。

 聖女なら同じ力を持った聖女を産める。それが公になったとしたら、今よりも過酷な環境に身を置かれると想像してもおかしくない。

 男児ならば王子としての未来があるが、もし女児を産んでしまったら、その子は新たな聖女を産むための道具にされるかもしれない……母親にとってそれは絶望だ。

(我が子にそんな辛いことをさせるくらいなら……って考えても、おかしくないんじゃ)

 聖は手のひらで口元を押さえて、緊張で口に溜まった唾を飲み干した。なにも言葉を発しない聖になにかを感じたのか、オーウェンはこちらを見たまま黙っている。

(この国の在り方には……やっぱり吐き気がする……っ)

 聖は怒りを必死に抑えて、震える手で紙を捲った。

 手記には続きがまだあった。

 晩年なのだろう。まだ若かったはずだが、長年の無理が祟ったのかもしれない。

 茜は自分の死期を悟っていた。そして、代替わりし国王となったフィリップから、残酷な事実を告げられる。

 異世界から新たな聖女を呼びだす決断をした。そのために死んでほしいと。

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