第30話

「当たり前でしょ。私を守るって、意味がわからない。利用してただけじゃない。だって私はもう帰れないんでしょ? うそをつかないと、私の協力が取り付けられないから、帰る方法を探すなんて言っただけでしょ?」

 聖が非難するような視線を向けると、彼が苦悩に満ちた表情で頷いた。

「そうだ……でも、それだけじゃない」

 オーウェンは深く長いため息をついた。

 話そうと決意しながらも、まだなにかを迷うように瞳を彷徨わせる。

「それだけじゃない?」

「……前に言ったことを、覚えているか?」

「え?」

 オーウェンは椅子をベッドのそばに引き寄せそこに座る。聖の反応を見逃さないようになのか、真っ直ぐにこちらを見つめたまま語り始めた。

「聖女は同時期に二人は存在しないという話だ。それがどういう意味か、想像したことはあるか?」

「意味?」

 前聖女が亡くなったから、聖がこの世界に召喚されたと思っていたのだが違うのだろうか。今はたまたま聖しかいないだけだとばかり思っていたが。

「過去、召喚された聖女が、全員が全員協力的だったわけじゃない。元の世界に帰せと言って逃げだした者。閉じこもって聖女の勤めを放棄した者。自死しようとする者もいた」

「その人たちは、どうなったの?」

 オーウェンは緩く首を振りそれには答えず、先を話しだした。

「この国にはどうしても聖女が必要だ。けれど、聖魔法を使える者は残念ながらこの国では生まれない」

「だから、召喚するんでしょ?」

「あぁ、そうだ。聖女が協力ではない場合、新しい聖女を召喚する必要がある。しかし、聖女を召喚する儀式には、聖女の魂とその魂を入れる器が必要なんだ。この世界の聖女の魂が、異世界から新しい魂を呼び寄せると言われている」

 つまり、この国に召喚した聖女が協力的でなかったら、どうしたか。務めを果たしてくれる聖女をもう一度呼びだすしかない。それには、聖女の魂が必要。

「まさか……」

 魂を入れる器。自分がこの世界に呼びだされたのと引き換えになった聖女の魂。そして、聖が入っているこの身体は誰のものなのか。

「この世界の聖女の魂を浄化させ、それを贄として異世界から新しい聖女を呼びだす。それによって儀式は完成される」

「魂の浄化……それって」

 聖女を殺すという意味ではないのか。恐ろしさなのか怒りなのかはわからない。聖の唇は真っ青になり、微かに震えていた。

「儀式の内容に気づく者が出ないように、下級貴族や民には、儀式の数ヶ月前に聖女は神のもとに旅立ったと公表している。聖女の魂を入れるための器は、奴隷の中で見目麗しく優れた知能を持つ者を選ぶ。時代の王を産む器だから。魔法で仮死状態にして儀式を行い……」

「もういいっ! 言わないで!」

 これ以上、聞いていられなかった。自分の国が助かれば、ほかの誰がどうなっても構わないのか。聖のこの肉体も普通に生きている人だったのだ。その魂がどうなったかを想像すると、被害者であるはずの聖でさえ罪悪感で死にたくなる。

 この国の王族のやり方に吐き気が込み上げてきて、涙が溢れた。

「俺はもう二度と、失いたくなかったんだ」

 誰を失いたくなかったのかは、聞けなかった。

 オーウェンの顔があまりに辛そうで、悲しそうで。彼に対しての怒りが同情に変わっていく。彼は聖女の在り方を知っていて、必死に聖を守ろうとしてくれたのだ。

 貴族たちの視線が侮蔑を孕んでいたのはなぜなのか、彼からはそれを感じなかった理由がようやくわかった。

 聖は王侯貴族たちにとって人間ではないのだろう。いくらでも替えの利く聖女という部品。もし使えなかったら取り替えればいいだけなのだ。

 それに気づいたとき、自分がどれだけ危ない橋を渡っていたかを悟った。

 オーウェンが何度も聖女としての務めを果たしてほしいと部屋に来たのは、まさしく聖を助けるためだった。

(前の聖女の魂を使って、私が呼びだされた……前の聖女って)

 聖女は代々王族に嫁ぐのだとケリーに聞いたではないか。

(失いたくなかったって……お母さんを……)

 前の聖女は王妃。オーウェンの母親だ。そして聖がこの世界に召喚されたときには王妃は亡くなっていた。病気だとケリーは言っていたが、真実は。

「オーウェンのお母様……こ、殺されたの……?」

 オーウェンはなにも言わずに俯いた。

 国王と結婚し三人の子を産んだ聖女が非協力的だったとは思えない。けれど、聖をこの世界に呼びだすために、オーウェンの母親が殺されたのは事実だ。

「母は王妃だが、それ以前に聖女だった。十七歳で俺を産み、二十歳で弟を、二十五歳でもう一人の弟を産んだ。妊娠中でも産後一ヶ月も経たないうちにも、母は身体を酷使し国のために役割を果たさねばならなかった。父は、それが聖女の勤めだと言った。だからこそ、この国で一番尊ばれるのだと。ただ……三十五を過ぎた頃、無理が祟ったのか、ベッドから起き上がれなくなったんだ。父は、新たな聖女を召喚すると決めた。母はそこで初めて、自分の命が断たれることを知った」

「そんなの、ひどい……」

「ひどい、か……そうだよな。小さい頃から、聖女とはそういうものだと聞かされてきた俺は、母が死ぬまで、ひどいともおかしいとも思わなかった」

 オーウェンはため息交じりにそう言った。

 幼い頃から、母親はほとんど王城にいなかったらしい。母は聖女で、聖女とはそういうものだと教えられてきたとオーウェンは言う。

「お母様は、逃げなかったの?」

「当時の聖女部隊にいた隊員全員がな、母を庇い逃がそうとした。だが、ベッドから起き上がれない病人がそう簡単に逃げられるはずがない。王城から出る前に隊員たちが殺され、それで観念したようだ」

 オーウェンの目には何の感情も浮かんでいなかった。悲しみも悔しさも。ただ、その目に映っていたのは諦めだ。けれど、真っ直ぐに聖を見る目には一つの決意が滲んでいた。

「母は死ぬ直前に言ったんだ。『これでようやく、家族のもとに帰れるのかしら』と。母にとっては、父も俺も、弟たちも家族ではなかった。母が従順に聖女としての役割を果たしていたのは、なにもかもを諦めていたからじゃないかと思った。俺は、母のような悲劇を……もう二度と繰り返したくなかった」

 聖女は用済みになれば殺される。そして新しい聖女がこの世界に呼ばれる。

 このままでは聖もいずれオーウェンの母と同じ道を辿る。オーウェンはそれをわかっていたからこそ、少しでも長く生きられるように聖を助けようとしたのだ。聖女としての務めを果たしていなければ、今頃、聖は生きていない。

「それじゃあ、私はいずれ……」

 王妃と同じように殺される。逃れようのない死がひたひたと近づいてくるような恐怖で身体が震えた。歯がカチカチと鳴り、指先や足先から感覚がなくなっていく。

「そうはさせない……絶対に」

 ふわりと大きな身体に包まれる。

 震える聖の身体を強く抱き締めるオーウェンもまた、震えていた。

「聖女には、王妃となり次代の王族を産む義務がある」

「聖女の責任重すぎでしょ」

 無理に笑みを作って言うと、痛々しげな目を向けられる。

「本当にな。この国はなにもかもを聖女に押しつけすぎだ。だが、聖女が王妃と決まっているからこそ、時間はまだある」

「どういうこと?」

 オーウェンは聖の方を支えながら、ゆっくりと身体を離した。そして痛々しそうな目を向けて聖の頬を撫でる。唇の上を指でなぞり、真剣な話をしているのに妙に甘ったるい雰囲気を醸しだされて落ち着かない。

「セイ、俺と結婚しよう」

「え……っ」

 どうして突然結婚の話になるのか理解できない。プロポーズされたというのに、素っ頓狂な返事をしてしまったからか、困ったように微笑まれた。

「俺は、セイを召喚した王族の一人だ。信用もできないだろうし、当然、愛せもしないだろう。それはわかってる。でも、そうした方がいい」

 それはオーウェンにも言えるだろう。オーウェンは聖を助けてくれようとしただけで、愛があったわけではない。

「結婚した方が、安全ってことだよね?」

「あぁ。セイには、王妃となり子を産むことを求められる。でも、ふりでいいんだ。利用されているのを逆手にとって時間を稼ごう。これ以上、君を国のいいようにはさせない」

「時間を稼いでも、根本的な解決にはならないんじゃない?」

「いや……今、魔石研究所では、魔石に魔法効果を永続的に付与する実験を行っている。俺が研究所を立ち上げたのは、召喚魔法を禁ずるためだ。その実験が上手くいき、空の魔石に聖魔法を込めることができれば、聖女がいなくとも瘴気を祓えるかもしれない」

「そんなこと、できるの?」

 たしかに、オーウェンにもらった指輪には魔法が付与されていた。それが永続的に使えるとなれば、もう異世界から聖女を召喚しなくて済む。

「わからない……が、今の段階で、魔石に込められる魔力量は、その魔石の質によるとわかっている。たとえば永続的に使用できる魔法付与を行うとなれば、かなり大きな魔石が必要になるのはたしかだろう」

「大きな魔石って」

 どんな魔獣を倒したら手に入れられるだろう。聖の言いたいことがわかったのか、オーウェンは申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「瘴気に当てられたドラゴンでも倒せば……手に入るかもな」

「ドラゴンっているの?」

「……いや、俺は見たことがないが、どこかにはいるだろう。見つけたとして、斃すのが早いか国が滅びるのが早いかだが」

「つまり、ほぼ絶望的ってことだよね」

「それなりの大きさの魔石に聖魔法を付与できるかどうかを試すだけでも価値はある。その魔石が使えるとわかれば、危険な場所に聖を連れていかなくて済むだろう」

 自分だけが安全なところで待つことに後ろめたさはあるものの、足手まといであることもわかっている。聖を守るために怪我をする人も減るだろう。人を守りながら戦うのがどれだけ難しいか、聖はこの世界に来て初めて知った。

「魔石に魔力を込めればいいの?」

「あぁ……頼めるか?」

 オーウェンの真剣な目を見ていたら、いやだなどと言えるはずがないし、聖の答えはこの話を聞く前からすでに決まっていた。

 彼の話がどんな内容でも、聖は聖女として生きていこうと。もとの世界に帰れないのなら、この世界で知り合った数少ない知り合いを助けたいと思ったのだ。

「聖女はこの国の王妃となるが、セイに妻としての役割は決して求めないと誓う。だから、もう一度だけ、俺を信じてはくれないか?」

 オーウェンをもう一度信じるのはそう簡単ではない。本当にこの話が真実なのか確かめる術は聖にはないのだから。それでも。

「あなたをすべて信じることはできないけど、協力はする」

 聖が頷くと、オーウェンは安心したように息をついた。

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