第28話

「瘴気の発生地点は、ここからだいたい十メトル先。カミラ、ディーナ、一緒に来て」

 一メートルがこの国では一メトル。単位がほとんど同じなのは助かる。

「当然ですよ~!」

 ディーナが聖を守るように横に立った。ディーナはいつでも元気いっぱいで、彼女の近くにいると聖も明るい気分になれた。

 いつまでもうじうじしていたら、怒られてしまいそうだ。

「だめだ。俺も行く。幸い聞き手とは逆だし、セイの盾くらいにはなれる」

「来ないで。オーウェンが盾になる前に瘴気を祓うから」

 決意を胸に聖は足を進める。目と鼻の先なのに十メートルが、百メートルにも一キロにも感じられた。数え切れないほどの魔獣が次から次へと湧いて出る。

「セイ! 危ない!」

 遠くからオーウェンの声が聞こえて、周囲に警戒を払うが、次の瞬間にはなにかの衝撃が全身を襲った。

「……っ」

 どうやら猪の魔獣がカミラとディーナの横をすり抜けるように突進してきたようだ。

 べつの魔獣を仕留め終えたカミラが魔法を使おうとするが、そのときには聖はすでに木に背中を激しく打ちつけていた。だが、思っていたような衝撃も痛みも来ない。

「うっ、痛く……ない? なにこれ」

 聖がゆっくりと目を開けると、全身が水の膜のようなものに覆われている。じわりと左手の中指が熱くなり、オーウェンの魔力を込めた青色の魔石がほのかに光っていた。

(指輪が……そういえば、オーウェンがなにかの魔法が入れたって言ってたっけ)

 おそらくオーウェンはなにかあったときのために、聖を守るための魔法を入れておいてくれたのだろう。

(聖女として利用してるだけのはずでしょ……それなのにどうして、私を守ろうとするの)

 彼が自分を見下し、蔑んでいたならばこんな気持ちにはならなかったはずだ。

 どれだけ上手く隠していてもその人の本質を捉えてしまう聖に、感情のうそは通用しない。だから、どれだけ憎もうとしても、憎めなかった。

(最初から……私を見るオーウェンの目はずっと……優しかった)

 オーウェンは最初から、聖をこの国のために利用しながらも守ってくれていた。

 王城にいるほかの貴族とは違う。

 聖はゆっくりと立ち上がり、恐怖でがくがくと震える膝を叩き、立ち上がる。

 座り込んでいる時間はない。魔獣は聖が何のダメージを負っていないことに気づいている。先ほどの攻撃のせいで、カミラとディーナと距離が離れてしまった。

 聖の全身を覆っていた水の膜が徐々に魔力を失い消えていく。猪の魔獣はがりがりと長い爪で土を掘り、ふたたび聖に真っ直ぐに向かってこようとしていた。

「セイ様! 避けてください!」

 カミラが叫ぶ。魔獣の先には聖がいるため彼女は魔法を使えない。だが剣で切り伏せるよりも猪の魔獣が聖に突進する方が早い。カミラが駆けだすが、それよりも魔獣が地を蹴る方が早かった。

「ほんと……っ、いやになる! どうして憎ませてくれないのよ!」

 聖はとんとんと軽くジャンプをすると、魔獣の顎を思いっきり蹴り上げた。思っていたよりも蹴りに力が込められたのは、筋トレのおかげかもしれない。

「セイ様!」

 魔獣は体勢を崩し横に倒れた。その隙にディーナが風の魔法を使い、鋭い木の枝で魔獣を串刺しにした。

「はっ、はっ……」

 心臓がばくばくと激しい音を立てている。熱くもないのに脇や背中がじっとりと汗ばむが、こんなところで止まっている場合ではない。まだ瘴気を祓え終えていない。

(ちゃんと、やるよ。聖女は、私しかいないんだから)

 ほかのみんなが魔獣を倒してくれているうちに少しでも前に進む。聖は手を伸ばし、祈るように魔力を手のひらに込めた。身体から一気に魔力が抜けていく感覚がする。

(いけ……っ、全部、綺麗にして!)

 目の前にまばゆい光が集まり、木々の隙間から差し込むように降り注いだ。淀んだ空気が澄んでいく。息がしやすくなり、瘴気を祓い終えたのがわかる。

 聖は遠退く意識の中、ぼんやりとその光景を見守り、目を瞑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る