第16話
それから一週間に一度のペースで聖女の仕事がやって来た。この世界は聖のいた世界とほとんど同じ暦日で一週間は七日、一日は二十四時間だ。
つまり一日働けば六日休みである。と言っても森に行くには危険が伴うから相変わらず緊張はするのだが、それでも初めの頃よりも少し慣れてきた。
聖は今日もいつものように字の勉強をし、筋トレに励み、王城内を散歩する。だが、それだけでは時間を持て余してしまい、なにかすることはないかと部屋を訪れていたオーウェンに尋ねた。
「暇なら書庫に行くか?」
「うん、オーウェンも行くの? 仕事はいいの?」
オーウェンは聖と違い、休日はほとんどなく、王子としての政務も担当しているようだ。そのほかに騎士団の仕事もあるため、忙しい人だとエンベルトが教えてくれた。
「たまには一緒に過ごすのも悪くないだろう?」
「またそんな言い方して」
差しだされた手を掴み、椅子から立ち上がった。するとオーウェンが嬉しそうな顔をして笑う。一国の王子に好意を持たれているなんて勘違いはしないが、彼の笑顔は誤解を招くと思う。
最初はいちいち差しだされる手を断っていたのだが、そのたびにオーウェンが寂しそうな顔をするため、手くらいならいいかと思うようになった。
心の中で陽一に詫びながら、室内で立っているディーナに書庫に向かうことを告げた。
「じゃあ、私も一緒に!」
ディーナが声を張り上げた。じっと立っているより動いている方が好きなのだろう。聖が出かけるというと、いつも心なしかウキウキしている。
「うん、よろしくね」
扉の前に立つエンベルトに書庫に行くことを伝えて、オーウェンと並んで歩いた。ディーナは後方についてくれている。
オーウェンと歩く間、聖は彼の腕に軽く手をかけている。
なんだか段々絆されているような気がしないでもないが、この国について勉強するうちに、女性が歩くときは男性がエスコートをするのが当たり前だと教えられ、一緒にいる男性の評価にも関わると言われてしまったら断ることはできなかった。
まさか自分のせいで、オーウェンがだめ王子のレッテルを貼られるなんて思いもしなかったのだ。最初に断ってしまったとき、微妙な顔をされたのもそのせいだろう。
「オーウェンって、モテるでしょ。女性慣れしてる感じがするし。っていうか王子がモテないわけないか」
「権力に寄ってくる令嬢は昔からいるが、俺はすでに結婚相手を決められているからな」
彼はそう言って苦笑を見せた。
(へぇ……婚約者がいるんだ)
彼はこの国の第一王子だ。そういう相手がいてもなんらおかしくはないのに、彼に特定の相手がいないと思い込んでいた自分に驚いた。
やはり聖への対応も、ほかの女性にするようにしているだけ、ということ。きっとオーウェンは誰に対しても優しく親切なのだろう。
なんとなくもやもやして胸が晴れないのは、陽一という恋人がいると聖が打ち明けたときに教えてもらえなかったからかもしれない。
「十八歳で婚約か~王子様って大変だね」
「俺の婚約はむしろ遅い方だぞ?」
聖からすると十代で結婚するのは早過ぎるとしか思えないが、この世界では違うらしい。十五歳にもなれば婚約者がいて当然だとオーウェンは言った。
「セイにも恋人がいるんだろう?」
「いるけど、陽ちゃんは彼氏なだけで、婚約なんてしてないよ」
「じゃあ、将来結婚するつもりはないのか?」
「け、結婚って! そりゃ、できればな……とは思うけど」
そう聞かれて、聖の頬が真っ赤に染まる。陽一と結婚して家族となる。それを考えなかったと言えばうそになる。いつかはと願っていたのは陽一にも内緒だ。陽一も同じ気持ちでいてくれればいいとは思ったが、今はそれを確かめる術もない。
「けど?」
「私がいたところは、十代でそういう約束をする人は少ないの。でも、私はそうしたいって思ってるよ」
「その男が好きなんだな」
「うん」
陽一を思い出し、胸が苦しくなる。泣き笑いのような顔で微笑むと、オーウェンが切なそうに目を細めた。同情してくれたのかもしれない。
「ここだ」
ちょうど書庫についたことで、しんみりした空気が変わりほっとする。
「うわ、広い……っ」
重厚なドアを開けた先にあったのは、数々の書物。中央に並んだ机を囲うように本棚が壁一面に配置されている。
何人かの視線が聖とオーウェンに向き、皆が頭を下げる。だが、やはりその中にヒリヒリと肌を刺すような視線があった。
頭を下げ、表情は見えなくとも、負の感情は消せていない。
(どうして話したこともない人たちに、こんなに嫌われてるわけ?)
聖がなにかしたわけではないのなら、聖女という存在を厭うているのだろうか。この国を助けるために呼ばれたのに、なぜだろう。
「どうした?」
「ううん、なんでも。ここって誰でも入れるの?」
「ここに入れるのは城で働く貴族階級の者だけだ」
「そうなんだ」
聖女部隊の隊員は平民だと聞いた。彼らからはこういった視線を感じない。ということはやはり聖に悪感情を持っているのは貴族なのだろう。
(聖女が尊ばれるのが気に食わないとか?)
たしかに王族よりも敬うべき存在だと聞いたときは驚いたが、理由を聞くと納得できるものだった。上辺だけ取り繕い、胸の内で聖女を嫌悪する理由がわからない。
なんとなく侮蔑されているのがわかる、なんて理由で問い詰めるわけにもいかないため、彼らの視線を受けている間ずっと肩肘張ってしまう。
オーウェンの後ろを歩きながら、聖は棚に並ぶ書物を目で追った。
「どういうものを探してる?」
「あ、え~と、この国の歴史とか、聖女について書かれた本があれば嬉しいかな」
「それならこの辺りだ……と言っても、俺もすでに目を通したんだが、聖が求める情報は書いてないぞ」
つまり、帰り方については書かれていないということだろう。最近覚えたばかりの単語を拾っていくと、そこに並べられた本は聖女が救った数々の町の記録のようだ。
「とりあえず読んでみる。あ、ねぇ……そういえば、今は私以外の聖女はいないって言ってたけど、何人もいる時代があったの?」
聖が聞くと、オーウェンは困ったような顔で眉を下げ、首を横に振った。
「いない。同時期に二人の聖女は存在しないんだ」
「存在しないってどういう……」
意味、と聞く前にオーウェンが言葉を被せるように話を続けた。
「でも、前の聖女の記録ならべつの部屋にある。俺も読んだが、聖が読めば新しい発見があるかもしれないしな。あとで届けさせよう」
「あ、うん。ありがとう」
同時期に二人の聖女は存在しない、そう言ったオーウェンの顔が怖いほど怒りを孕んでいて、意味を問いかけることが憚られた。
礼を言った聖に微笑むオーウェンの表情はいつも通りだった。見間違いだろうか。
部屋に戻り、オーウェンは仕事があると言ってどこかに行ってしまった。
聖は机で本を広げて読むことにした。どうやら前聖女について書かれた本らしい。
(へぇ、前の聖女って、回復魔法とかも使えたんだ)
前聖女は魔力量が非常に多かったようで、瘴気を祓うだけではなく、隊員の怪我や魔獣にやられた身体の欠損も治すことができたらしい。
(欠損を治すって、腕とか足が生えてくるってこと? え~すごい)
聖は瘴気を祓っただけで意識を失ってしまうくらいだから、回復魔法を使えるようにはならないだろう。
オーウェンはなにも言わないが、前聖女と比べて瘴気しか祓えない聖に思うところはないのだろうか。けれど、そこまで有能だともとの世界に帰してもらえなくなりそうだ。
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