第12話

 数キロは歩いただろうか。気づけば、集落にいた魔獣がほんの一部だと感じさせるほど多くの魔獣に囲まれていた。瘴気も濃くなっているから、おそらくもう近い。

 足を進めるたびに息苦しさが増していく。単純に疲れているだけではない。

 辺りを蝕む瘴気のせいだ。人間は魔力のない動物よりも瘴気への耐性はあるらしいが、それでもみんな顔色はやや悪かった。

「はっ、は……はぁ」

 横を歩くカミラの額には汗がびっしりと浮かんでいる。聖女部隊のほかの隊員も同じだった。やや胸の辺りが黒ずんでおり、それが体内に入り込んだ瘴気だとわかる。

「カミラ……たぶんもうすぐだから、我慢できる?」

「ご心配なさらず」

 聖が聞くと、カミラは気丈な笑みを浮かべた。脂汗が浮いているが、まだまだやれると言うことだろう。カミラは近づいてきた魔獣を真っ二つにした。

 何頭もの獣が森の中で屠られ、辺りには血しぶきが飛び散っている。

 平和な国で生まれ育った自分が見たこともないような光景だ。聖はそちらを見ないように意識を瘴気だけに集中させる。

「魔獣が増えてきた! いよいよ近いか!」

 オーウェンは前に立ちはだかる巨体を次々と斃していく。同時に魔法を使ったのか、巨大な魔獣の脚が土で固められていた。

 周囲を守る聖女部隊の隊員が魔獣の頭を落とすと、現場は乱戦状態となった。けれど、オーウェンとエンベルト、ディーナ、カミラだけは聖を守る位置から決して離れない。

「見えた! このまま西に進んで。たぶんあの大木の下!」

 十メートルほど進むと、木の根元から黒い靄が噴きだしている場所があった。このいやな感じがするのも瘴気で間違いない。

「わかった!」

 オーウェンが前に立ち、足を進める。魔獣の数は瘴気に近ければ近いほど多い。動物だけではなく、蛇などの小動物も襲いかかってくるため、一瞬たりとも気が抜けない。

「セイ、やれるかっ?」

「やるよ、やらなきゃ。オーウェンが、元の世界に帰すって、約束してくれたんだから!」

 聖の言葉にオーウェンが息を呑む。そして一瞬だけ辛そうに目を細めると、それを誤魔化すように取り繕って笑みを浮かべた。

「わかってる。セイのために尽力しよう」

「ありがとう。頼りにしてる!」

 役目が与えられてよかったと思う。よけいなことを考えずに済むから。

 それでも、夜眠る前、思い出すのは陽一や家族のことだ。隣室に聞こえないように声を殺して泣くのが癖になってしまった。

「お願い!」

 聖が両手を組み、祈るようなポーズをすると、肌にまとわりつくような不快感が少しずつ消えて薄くなっていく。

「終わった……終わったぁ~」

 どれくらい時間が経ったのか、空気が澄んだように息苦しさがなくなり、森の中から川のせせらぎの音、鳥の鳴き声が聞こえてくる。静謐な空気が辺りを包み、ようやく森に静けさが戻ってきたのだとわかる。

「セイっ」

 聖は足から崩れ落ちるようにぺたりと膝をつける。やり遂げた安堵もあったが、それよりも身体から力が抜けて、立っていられなかったのだ。

 オーウェンに腰を支えられ、膝の上に乗せられる。そして背後から腕を回され、抱き締められるような体勢で座らされた。オーウェンは聖を抱えたまま木に寄りかかる。

「ちょっと……オーウェン、この体勢は」

 抗いたくても、身体に力が入らず拒絶できない。

「ローブを着ているとはいえ、下は冷たい。俺のことは椅子だとでも思えばいい」

「お、思えるわけないでしょ! 近いの!」

「顔が真っ赤だぞ。案外初心なんだな」

 くつくつと楽しそうに笑われて、聖は真っ赤になりながら頬を膨らます。からかわれているのはわかるが、どうにもならない。自由になるのは口だけだ。

 助けを求めるような視線を聖女部隊の面々に向けても、第一王子であるオーウェンに意見できる者がいるはずもなく、されるがままになるしかなかった。

「私、恋人がいるんだから! だめでしょ、こういうの!」

 陽一以外の男性に触れられるなんて、自分が許せなくなる。頼るべき相手のいない聖にとってオーウェンはたしかに大切な人ではあるが、それは恋愛感情ではない。たとえ別の世界であったとしても、陽一を裏切るような行為は自分が許せなかった。

「セイ様っ、そのまま動かないでくださいっ!」

「え?」

 オーウェンと聖の話に焦ったように口を挟んだのはエンベルトだった。剣を構えて、地面を凝視している。

「ここだな」

 オーウェンはなにかに気づき、右手で持った剣で地面を突き刺した。すると土の中から「グギャ」と動物の断末魔が聞こえてくる。

「び、びっくりした」

 聖の足下すれすれの位置で、もぐらのような茶色い毛並みをした魔獣が息絶えていた。枯れ葉に覆われた中にいたため、まったく気づかなかった。

「まだ、瘴気にやられた魔獣をすべて討伐したかどうかわからないんで、じっとしていてください」

 エンベルトがそう言うと、聖を抱き締める腕の力が強まる。

 どうやらオーウェンは、座り込んでしまった聖を守るために、膝に乗せてくれただけらしい。意識してしまった自分が恥ずかしくなる。

(ちゃんと言ってくれないから、変な風に考えちゃったじゃない)

 自分一人で慌ててバカみたいではないか。恥ずかしさでますます顔に熱が集まってくる。

(座ってたら、危ないってことだよね)

 足に力を入れて立ち上がろうとするが、やはりまったく身体に力が入らない。どうしてしまったというのだろう。

「ごめん……オーウェン、これが魔力切れかな。立てない」

 魔力が残っていれば、カミラたち聖女部隊の瘴気も祓えたのにと思いそちらを見ると、胸の辺りにあった黒いもやもやは誰の身体にも見えなかった。どうやら聖はこの辺り一面を人ごと瘴気を祓ったらしい。

「わかってる。大量の瘴気を祓ったのだからそうなって当然だ。寝て起きれば回復するから、それまでは俺の腕の中にいればいい。必ず守るよ」

「守ってくれるのは嬉しいけど、いちいち腕の中にとか言わないで」

 言葉選びが甘すぎて、勘違いしそうになるではないか。聖が背後を睨むと、宥めるように肩を叩かれる。

「わかってるって。恋人がいるんだよな。だったら椅子だとでも思えばいいだろう。眠ってしまえば恥ずかしさもなくなる」

「そんなこと言われても……」

「大丈夫だ、ほら」

 オーウェンの大きな手でまぶたを覆われ、目の前が真っ暗になる。森の中なのに、どうしてか彼に抱えられていると不安は少しも感じなかった。

「眠れるだろう、セイ」

 彼の声はやたらと耳心地がいい。

 吐息が耳に触れてくすぐったいのに、不快には思わなかった。

 第一騎士団の団長の実力は本物だったし、そんな強い人に守られているという安心感がそうさせたのかもしれない。聖は吸い込まれるように眠りに落ちていったのだった。



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