第三章 フィオナとフィオナ(2)

 前世のおぼろげな記憶をたどってみる。うーん、ちょっと違うような気もするし、そもそも夜神さん本人は否定してんだよな、前世のこと……。

 だけど――彼女を横にすると近距離な分、余計に感じてしまう。

 ものすごい引力で、魂が引っ張られるような感覚。彼女が放つオーラは、やっぱりどうしようもなく『フィオナ』だ。

 性格も、それに外見だってまるで違うのに…………って似てるトコもあったわ。

 夜神さんが『体の相性』とか変なこと言うから、つい目が行ってしまう。

 ネクタイの下の魅惑の膨らみは、華奢な体つきのわりに豊かに実っていて、そこだけはフィオナと同じ……

「――ねぇ、どこ見てるの」

 不埒な視線を咎める声は、だがしかし背後から響いた。

「先輩、私からの連絡も無視して何してるんですか?」

 振り返ると、スマホを手にした恵令奈が恨めしげに立っていた。

 い、いつの間に……! 驚く一方で、改めて実感する。

 ビジュアル的には、恵令奈ちゃんの方が圧倒的にフィオナなんだよなぁ。夜神さんほどのオーラは感じないけど……。

「ごめん、連絡くれたの恵令奈ちゃんだったんだ」

 謝りつつもスマホを確認すると――うわっ……!

 やけに通知がうるさいと思ったら、メッセージが鬼のように来ていた。


〈先輩、授業終わったら連絡くださいね♡〉

〈先輩?〉〈ねぇねぇ♡〉〈愛しの恵令奈ちゃんですよーっ♡〉

〈不在着信〉

〈先輩、お兄ちゃんに聞いたらとっくに授業終わってるって言うんですけど……〉

〈先輩、今どこですか〉

〈先輩、美人の転校生が来たってほんとですか〉〈先輩、まさかその人と一緒にいませんよね〉

〈不在着信〉〈不在着信〉

〈先輩、今どこにいるの〉〈誰といるの〉〈ねぇ〉〈無視しないで〉〈いまどこ〉〈いまどこ〉〈誰といるのよ!〉〈先輩!〉〈先輩!〉〈先輩!〉〈不在着信〉〈不在着信〉〈不在着信〉


 ……って最後の方なんか怖いんですけど!?

「先輩ひどいです、放課後は私とデートの約束してたのにぃ」

「そ、そそそそそうだっけ?」

 やべぇ、すっかり忘れてた! けど今日はそれどころじゃなかったし、『本物(フィオナ)』の命がかかった緊急事態ってことで見逃して……ってそうだ! 

 前世の契約のこと、恵令奈ちゃんに相談すればいいんじゃ……? そうだよ、恵令奈ちゃんの協力があれば、フィオナが二人いる謎も案外簡単に解けるかも……!

「あ、あのさ、実はフィ……」

 打ち明けかけたとたん、喉がこわばって声が出なくなる。さらには――

「――っ……!」

 心臓を杭で打たれたような痛みが走った。金縛りのように体が固まって、呼吸さえできない。

 いったいどうなってんだ……? タチの悪い呪いでもくらったみたいなこの感覚……そうか、契約の枷――! ミリュビルと交わした契約の内容は他人には明かせないって、そういうことかよ……!

 苦痛に悶えながらも状況を把握した俊斗は、契約の開示を断念する。――と、一瞬にして痛みから解放され、息ができるようになった。

「先輩、大丈夫ですか……?」

「あ、ああ……今のはその、忘れて……?」

 額に噴き出た汗を拭って、ぎこちない笑みで応える。

「先輩……あの人と何かあったんですか?」

 訝しげに眉を寄せた恵令奈はチラリ。静観していた瑠衣を見やる。

「や、それが……」

 契約の枷って、どこまで作用するんだ? フィオナがなぜかもう一人いるってこと自体は明かせる……? 

 いや、よく考えたら伏せといた方がいいのかも……。

 夜神さんと違って、恵令奈ちゃんにはフィオナの自覚があるわけだし、なのに『他の子がフィオナかも』とか言われても『は? なにそれ』って感じだろうし、あんま気持ちのいいもんじゃねぇもんな。

 俺だって目下混乱中――フィオナが二人いるとか意味わかんねぇし……。

「彼女はその……転校生なんだ。それで学校を案内してて……」

「んもぅ、それならそうと連絡くれたらいいのに。先輩の身に何かあったのかもって、危うく警察呼ぶとこでした」

「ちょっ、そんなことで警察呼んじゃダメでしょ」

「えへ、なんとか自力で見つけられてよかったです。そうだ、今後のために先輩のスマホにアプリ入れてもいいですか、カップル用のGPS♡ 先輩がどこで何してるか一目瞭然だし、今日みたいに学校中を駆けずり回って探さなくても平気でしょ♡」

 ……って恵令奈ちゃん、俺のこと探して駆けずり回ってたんだ!?

「ごめん、そういう重いのはちょっと……」

「え……先輩、今、重いって言いました……?」

 やべぇ、なんか地雷踏んだっぽい……。恵令奈ちゃんの目が笑ってるのにすんげぇ怖い、輝きのない虚ろな目になってる……!

「やっ、重いってのは恵令奈ちゃんのことじゃなくて、スマホの話! 俺のスマホ、容量パンパンで動きがすぐ重くなんの。だから余計なアプリは……」

「え……先輩、今、余計って言いました……?」

 やべぇ、恵令奈ちゃんの目がますます虚ろになってる! いつもは透き通る湖みたいなブルーが、汚水で濁りまくった川の色になってる……!

「え、ええと……余計っていうのは恵令奈ちゃんのことじゃなくて……」

 まいったな、迂闊なこと言うとまた地雷踏み抜きそう……。頭を悩ませていると、

「やだ、先輩を困らせたかったわけじゃないんです……! 確かにスマホが重くなっちゃうのは困りますもんね、えへへ♡」

 いつもの調子を取り戻した恵令奈は、だが恨めしそうに瑠衣を見やる。

「それにしてもいいなぁ、転校生ってだけで先輩に学校を案内してもらえるなんて。先輩、困ってる人を放っておけないタイプですもんね! 優しさの結晶体みたぁい♡」

 そこまで言った恵令奈は、にこっ。わざとらしいほどに口角を上げると、「あ、でもね――」と瑠衣に笑顔で続ける。

「先輩が優しいのは、右も左もわからない転校生への憐れみであって、それ以上の好意なんてミジンコほどもないってこと、ちゃんとわきまえててくださいね♡」

 ちょっ、恵令奈ちゃんってばどうしちゃったの? 夜神さんへの圧というか、トゲを感じるような……?

「あら、私にはただの憐れみには思えなかったけど。だって陽高君、とても情熱的だったのよ? 私が教室に入った瞬間、跳び上がって歓迎してくれたし、照れながらも熱い瞳で学校案内を申し出てくれたの。それに見て? こんな素敵な屋上にわざわざ連れ出してくれたの、二人っきりの逢瀬をたっぷり楽しめるように――」

 ちょっ、夜神さんまで何の話!? それ語弊ありすぎってか全部絶妙に解釈違いだよ、恵令奈ちゃんのこめかみピクピクさせるような発言やめよ!?

「へ、へぇ……。転校生ってだけで、そんな特別待遇されちゃうんだ……」

 動揺に声を震わせた恵令奈が、「な、なら私も一日転校したあと、また戻って来ようかなぁ」などと珍妙なことを言い出す。

「そしたら私だって転校生。先輩、私のことも熱烈に案内してくれますよね!?」

「や……仮に転校し直したところで恵令奈ちゃん、もうこの学校のこと熟知してるし、今さら案内とかいらな……」

「じゃあどこかに頭ぶつけて忘れちゃえばいいのかなぁ、ウチの校内図♡ いっそ先輩のこと以外全部忘れちゃえば、手取り足取りいろんなこと教えてもらえたり……?」

「ちょっ、『それも悪くないし全然アリ♡』みたいな顔で何言ってんの、ナシだよナシ、絶対ナシ……!」

 笑顔でとんでもないことを言い出す恵令奈に、一歩引いてしまう。――と、

「――ねぇ先輩、浮気は傷害罪ですからね」

 いつもよりワントーン低い声。どこか病んだような瞳が、俊斗をじいっと見上げる。

 私を裏切ったら許さない、とでも言わんばかりの不穏さだ。

「や、俺は別にそんなつもり……」

「大丈夫よ陽高君、浮気じゃなくて『本気』なら無罪放免だわ」

 顔色も変えずにサラッと言ってのけた瑠衣が、やけに熱っぽい目配せをする。

 や、だから夜神さん、なんで煽るようなこと言っちゃうかな? ああほら、恵令奈ちゃんの目がどんどん病み……ってか闇色に染まってんだけど!?

「なにそれ、人の彼氏取るなんて窃盗ですよ、窃盗罪! ああもうっ、やっぱり警察を呼んでおけばよかった」

 鋭い口調になった恵令奈が、瑠衣を鋭く睨(ね)めつける。が、瑠衣は余裕たっぷりに首を振った。

「取った覚えはなくても自然と惹かれあってしまう、それも罪なのかしら? もっとも、陽高君とならどんな罪を犯しても構わない――そんな風にも思うのよ、私」

 や、俺的には罪なんて犯したくないです、これでも平和主義者なんです……!

 っていうか、なんでこの二人張り合ってんの!?

 フィオナそっくりな恵令奈ちゃんと、フィオナそっくりなオーラを放つ夜神さん。

 見えない火花を散らす二人のフィオナに挟まれ、全身から冷や汗が流れる。と――


 ――ピシリ。


 亀裂音がした。険悪すぎる彼女たちの間にヒビが入ったとか、俺のキャパが許容範囲を超えて決壊寸前とか、そういう比喩じゃない。

 どこか遠くで確かに鳴ったのだ。前にも聞こえた、卵の殻にヒビが入るような音が――。

 これってマジで何なんだ? 吹奏楽部の音や運動部の声は相変わらず賑やかで、普通だったら聞き逃すレベルなのに……。

 恵令奈ちゃんたちには聞こえてない……んだよな?

 反応のない二人に戸惑っていると――

 くらり――艶やかな黒髪を儚げに揺らしながら、瑠衣がよろめく。

「夜神さん……!」

 慌てて駆け寄ろうとする俊斗を「平気よ、ただの立ちくらみ」と手で止めた瑠衣が、弱々しげに微笑む。

「転校初日で疲れてしまったみたい、今日はこれで失礼するわね」

 そう言って俊斗に背を向けた瑠衣は、だが顔だけ振り返って、

「陽高君、私ね、前世は信じないけど運命は信じるタイプよ」

 やけに切なげな眼差しを送る。

「夜神……さん……?」

「ふふ、次は邪魔の入らないところでたっぷり深めましょうね、体の相性――」

「や、だから言い方……!」

 即座にツッコむも、瑠衣は無言で手を振って、屋上を出て行ってしまった。

 ったく、なんでそーゆーこと言うかな……。

「体の相性って、何の話ですか?」

 うわぁ、恵令奈ちゃんの顔が般若……!

「それに先輩、あの人に前世の話したんですか。なんでなんでなんで?」

「それはその……普通の人って、どれくらい前世のこと覚えてるもんなのかなーって気になって……」

「んもぉ、普通は前世なんて覚えてないですよ。覚えてるのは私たちだけ♡ 前世も運命も、私たち二人だけのものなんですからね?」

 恵令奈はそう言って、キャンディーみたいに甘~い上目遣いを向ける。

「私以外によそ見するなんて許さない♡」

 よかった、さっきまでの病み闇モードじゃない。いわゆるやきもち焼きの彼女って感じで、普通に可愛い……んだけど、『妹』フィルター外しきれてないせいか?

 恵令奈ちゃんのこと、『恋人』目線で見るのはやっぱり慣れないんだよなぁ。

 前世からの流れでぬるっとお付き合い続行中っぽくなってるけど、告白とか交際の申し出とか、そーゆーイベントすっ飛ばしちゃってるし……。

「先輩、私たち付き合ってる……んですよね……?」

 どこまでも澄み渡るブルー。俊斗の迷いを見透かすような瞳が、不安そうに瞬く。

「え、ええと……」

 つーか、これって『もちろんさベイベー』とか答えちゃっていいもん? 

 や、そんな軽薄なコト言うつもりはさらさらないけど、引っかかるのはミリュビルとの契約だ。

 もしも恵令奈ちゃんが『正解』じゃなかったら、ここで交際を認めちゃうと夜神さんの命が危なかったりする……?

 恵令奈ちゃんが『正解』だとは思う。けど夜神さんのあのオーラは到底見過ごせないし、契約の代償を思うと慎重にならざるを得ない。

「重たい女の子でごめんなさい……。でも私、不安なんです。また前世みたいにうまくいかなかったらどうしようとか、二人の間に邪魔が入ったらやだなって、怖くて怖くて――」

 フィオナに瓜二つの瞳が、切実に、すがるように訴える。

「先輩、私のことだけ見ててください。レオ様のこと、今度こそ私が幸せにしてみせますから……!」

 そうか、恵令奈ちゃんがやきもち焼きなのって、前世がトラウマになってるからか……。

 口にできないほどの悲恋だったんだもんな、過剰な心配や束縛もそのせいで――。

 だけど、それならなおさら言えない。

 夜神さんからも『フィオナ』を感じてるなんて……。

「ごめん、少し時間をくれないかな。恵令奈ちゃんが悪いとかそういうことは全然なくて、これはただ純粋に、俺自身の問題なんだ」

「先輩の……問題……?」

「そう、どうしても一人で解かなきゃいけない問題があって――」

 余計なことを言って彼女を不安にさせたくない。

 そんな思いから、ただ曖昧に笑うしかなかった。

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