第二章 二人目のジュリエット(3)

         🗝


 宇宙にも似た異空間にいたはずが、気付けば自分の部屋だった。

 また長めのフラッシュバックか、今日はやけに多いな……。

 それにしても、『生まれ変わってもフィオナを愛し続ける』なんて誓約、ロマンチストの極みっていうか、乙女の夢想みたいだ。

 魔獣の契約条件としてはリアリティーに欠けるし、ただの夢だったんじゃないか?

 そう思ってしまいそうだけど、確かな前世らしい。

 まるで記憶の続きだ。長い耳を立てたミリュビルが、俊斗の前でにまぁっと笑っている。

「マジかよ、前世の契約が今も続いてるってことか……」

「あはは、やっと思い出してくれた? けどそれならもっと感動的に迎えてよ、誓約で結ばれた相棒との前世ぶりの再会だよ?」

 もふもふの短い手を「よいしょ」っと広げ、ハグ待ち態勢になるミリュビル。不覚にもちょっと可愛いが、それ以上に怪しすぎる。

「前世のこと、完全に思い出したわけじゃないんだ。正直お前のこともよく覚えてないし、契約の経緯はわかったけど、その後のことだって……」

 そこまで言った俊斗は、ハッとなる。

「フィオナのこと、ちゃんと助けてくれたんだよな?」

「もちろん助けたさ、だから今世でも契約が続いてるんだろ。こんなに可愛いボクが灰に見える?」

 そっか、契約を破ったら灰になるんだっけ……。こいつが無事ってことは、フィオナも間違いなく救われたんだろう。ほっとしていると、ミリュビルが悲しげに言った。

「ヒドいや、ボクのこと信じてないの……?」

「お前が怪しすぎんだよ。今日だって、わざわざ老婆に化けたりして……」

「やだなぁ、ボクなりの気遣いだよ。前世を忘れてるキミに、いきなりこの姿見せても驚かせちゃうだろ?」

「それにしたってあの老婆はねぇだろ、不気味すぎ……」

「若い方が良かった?」

 ミリュビルがピョンと宙を一回転。着地したときにはウサギではなく、紫の髪を持つ幼い少女の姿になっていた。

 黒い羽を思わせる漆黒のロリータドレスをまとっており、長い髪は青い蝶の髪飾りでツインテールに結われている。

「さ、この姿ならいいだろ?」

 赤い瞳を輝かせたミリュビルが、再びハグ待ち態勢になる。

 うう……またしても可愛いが、余計にダメだろ……!

「あれ、男の娘(こ)の方が好み? このビジュで性別だけ変えようか」

「いらん気を回すな、お前とハグなんか御免だ!」

「ヒドい人、ボクの力(コト)あんなに熱く求めといて、用済みになったらポイ捨てする気?」

 幼女なミリュビルが、潤んだ上目遣いで科(しな)を作る。

「だからその姿でそーゆーことすんなっての!」

 こいつ、人をからかって楽しんでるな? なんか信用ならねぇっつーか、前世で急に協力的になったこと自体、怪しいんだよなぁ……。

 レオが必死に頼んだから、それで心を打たれた? や、そんなタマじゃねーだろ絶対。

 戦いのない平和な現世。前世ほど切羽詰まってないせいか、おかしな状況でも冷静に頭が回る。

「フンだ、もう頼まれたってハグしてやんないよ~!」

 警戒する俊斗にプイッとそっぽを向いたミリュビルは、だが視線だけよこしてニヤリ。

「ああでも、ボクとの契約は守ってもらうよ」

「契約ってアレだろ、生まれ変わってもフィオナを愛するってやつ。なら問題ない、お前も見ただろ? 露店で一緒にいたあの子がフィ……」

「だからさぁ――」

 幼女姿のミリュビルが、老婆の声で警告する。

「そんなに早く答えを出していいのですかな?」

「ちょっ、急に声だけ変えるとか気味悪いことすんなよ!」

「だってキミ、コトの重大性に気付いてないからさ」

 中性的な声に戻ったミリュビルが、にっこりと目を細める。

「もっと慎重になった方がいいと思うんだよねぇ~。誰が愛しのフィオナか――答えを間違えたら、契約不履行の代償を払ってもらうよ?」

「代償……? 何の話だ」

「そういう誓約だろ? 生まれ変わっても絶対にフィオナを見つけるし、何があっても幸せにする――それを担保に力を貸してやったんだ。それができないなら前世で貸した命、今世で払ってもらわなくちゃね」

「まさかお前、俺の命を狙って……」

「初代との契約があるからね、ボクを継承したキミに手出しはできないよ。報いを受けるのはフィオナの方さ」

「それってもし恵令奈ちゃんが――俺が思ってる相手が正解(フィオナ)じゃなかったら……」

「どこかでキミを待ってる本物のフィオナが犠牲になっちゃうね。前世じゃ結構な力を貸してるし、全部返してもらうなら即死でも足りないかもぉ~♪」

 ツインテールを揺らしたミリュビルが、無邪気に声を弾ませる。

「ロマンチックどころか、とんだ鬼畜仕様の契約じゃねぇか……」

 ゾワリと背筋が寒くなるが、落ち着け。『答え』を間違えなきゃいいだけの話だ。

「悪いが正解には自信がある」

「焦りは禁物さ。キミはほら、うっかりミスが多いみたいだし?」

 ミリュビルはそう言って、宙にひらりと紙を浮かべる。

 何だあれ。目をこらして見ると、二年三組、陽高俊斗……って俺のテストじゃねぇか!

 あっちもこっちもケアレスミス――減点ばかりの数学に、我ながら赤面不可避だ。

「そんなもん、どっから出してきたんだ、このっ……!」

「わぁー、襲われちゃうよ~!」

 わざとらしい棒読みをしたミリュビルは、テストを奪い返そうとする俊斗から軽やかに身をひるがえし、

「あはは、今日のところは退散するよ。フィオナの答え合わせはもう少し後で――」

 不吉な笑みを残し、シュッとどこかに消えてしまった。

「ったく、ろくでもねぇ魔獣だな……」

 床に落ちたミスだらけのテストを拾い上げ、チッと舌打ちする。

 だけどテストは散々でも、契約の答えは間違えようがない。

 恵令奈ちゃん=フィオナ――それ以外の解答がどこにあるっていうんだ。

 答えを後押しするように、スマホが鳴った。恵令奈からのメッセージだ。


〈先輩、ちゃんとお家に着きました? 先輩と――それからレオ様と花火を見られて、今日は人生最幸の日です♡〉


 やっぱり、どう考えても恵令奈ちゃんが『正解』だ。

 前世の記憶だって持ってるわけだし――。

「ミリュビルのやつ、故意に惑わせて楽しんでるだけじゃないか? 人をからかうのが趣味みてぇだし……」

 それにしても――前世のこと、断片的ではあるけど思い出せてよかった……。

 記憶が戻る前は恵令奈ちゃんのこと、『妹』としか見てなかったもんなぁ。

 あのまま妹扱いして、他の誰かと付き合うなんてことになってたら、契約違反で恵令奈ちゃんは――。想像しただけでゾッとする。

 とはいえ、突然の前世情報に頭の整理が追いつかない。恵令奈ちゃんのこと、『前世の彼女』として見るのはまだ慣れないっていうか、違和感の方が大きかったりする。

 もちろん、現世で再会できたことは嬉しいけど――


〈明日先輩とラブラブ登校したかったのに、朝から演劇部の練習なんです、しょんぼり。

 あ、でも放課後は練習ないし、帰りはデートしましょーね♡〉


 こういう急な恋人ムーブには、戸惑いを隠せないってのが本音だ。

 こっちはまだ『妹』フィルター外せてないのに、恵令奈ちゃんの方はかなり盛り上がってて、なんか申し訳ないっつーか、罪悪感すらある。それでも――


〈そうだ、髪飾りありがとうございました♡ 嬉しくってお風呂入った後、また付けちゃってます♪〉


 そんなメッセージとともに送られてきたのは、彼女の自撮りだ。

 フリフリのラブリーなパジャマ姿で、リップもなしの、あどけない素顔。

 美しいプラチナブロンドの髪はお風呂上がりでかなりラフ――なのに例の髪飾りがキラリと輝いていて、

「ったく、寝るときまで付けるとかどんだけ気に入ってんだよ、可愛すぎか!」

 こういうとこは純粋に愛しく思うし、今は『妹』感が強いけど、これからゆっくり恋になればいいな、と素直に思う。

 そうだ、急がなくていい。現世でもじっくり恵令奈(フィオナ)と愛を育んでいけばいいんだ。何の心配もいらない。

 そう思っていたのに――。


 翌日、事態は急変する。

 朝のホームルームで、担任の更紗(さらさ)先生が転校生を紹介したのだ。

「今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。さ、どうぞ――」

 先生に促され、スッと教室に入ってきたのは、息を呑むほどの美人だった。

 けれど華やかというより、静謐な闇夜の気配がする。

 漆黒のストレートヘアに、温もりを感じさせない白肌。

 アメジストのような瞳はどこか物憂げで、薄い唇はニコリともしていない。

 転校初日なら、普通はもっと愛想よくしたり、でなきゃ緊張でおずおずしてそうなものなのに――。

 前の学校のものだろう、他校――それも名門女子校の制服を着ていることもあって、明らかに異質な感じがする。

 キチッと締められたネクタイに、清く正しい膝丈のスカート。

 優等生然としてるのに、ブレザーの袖からは校則違反な銀のブレスレットが覗いていて、そのチグハグさが彼女の異質さをより際立てていた。

 だけど――だけど今はそんなこと、どうだっていい。

 だって異質なはずの彼女からは、くるおしいほどに懐かしい波動がして――

 外見はまるで違うし、性格もわからないのに、

 まだ声も聞いてなくて、名前さえ知らないのに、

 問答無用で確信せざるを得ない。


 ああ、彼女こそがフィオナの生まれ変わりだと――。

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