第二章 二人目のジュリエット(1)

 乞来祭のあと、恵令奈を家まで送り届けた俊斗が帰宅したのは、午後一〇時をとっくに過ぎたころだった。

 花火大会とはいえさすがに遅すぎたな……。

 そっと鍵を開け、家の中に入る。――と、玄関で待っていたらしい。

「遅いぞ、甘えさせろ~~!」

 舌っ足らずな声を響かせ、部屋着姿の少女が飛びついてきた。妹の小町だ。

 俊斗が結んでやったポニーテールがアグレッシブに揺れている。ポニーというか、もはや暴れワンコテール状態。かまってほしさMAXでブンブン乱れている。

「お前なぁ、人が帰ってきたときはまず『おかえりなさい』だろ?」

 靴を脱いで家の中に上がった俊斗は、甘えん坊の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。

 色素の薄い小町の髪は、光に当たるとピンクに輝いて、いちごミルクティーを思わせる。

「へへへ、よくぞ帰ってきたシュントよ」

 撫でられていくらか満足したらしい、小町が心地よさそうに目を細めた。

「つーか、小学生がこんな時間まで起きてんなよ」

「む、シュントが遅いからだぞ? せっかく一緒にお風呂しようと思ったのに」

「約束したろ、もう一人で入るって。小学三年生にもなりゃレディの仲間入り、一緒にお風呂は卒業だって」

「甘いぞシュント、レディだからこそだ!」

 くりくりの瞳を勝ち気に光らせた小町が、ドヤっと平らな胸を張る。

「この高貴な髪や体を丁寧に洗い清める専属の使用人が必要だろう!」

 誰が使用人だ、そこは嘘でも『大好きなお兄様と入りたい~』とか言ってくれ……!

「とにかく、一緒にお風呂はもうダメだ」

 両腕でバツを作って、改めて断る。

 もっとも、小町とは一〇才近く歳が離れてるせいか、生意気なワガママも許せてしまう。

 まだまだ子どもだし、風呂くらい入れてやっても……とも思うが、このまま甘やかし続けてヨソの兄貴の膝でゴロゴロするようになっても困るしなぁ。

 兄の親友に甘えまくり――恵令奈のバグり気味な距離感を思い出して、フッと苦笑する。

 でも恵令奈ちゃんの場合、もはやいろいろ別モノか……。

 俺に対して『兄の親友』以上の想いを寄せてくれてて、それどころか――。

 花火の中の抱擁――腕に残る『フィオナ』の感触を思い出していると、

「おい、今誰のこと考えてた?」

 俊斗を見上げる小町の顔が、不服そうに歪んだ。

「シュントのウソつき、今日のはデートじゃないって言ってたくせに」

「や、それは……うーん……」

 小町には今日の花火参戦を『友達の妹と行くんだ。や、ただの保護者役だし……!』と説明していた。

 家を出る時点でそこに嘘はなかったし、後ろめたくなる必要もないが、『友達の妹』が実は『前世の恋人』だったわけで、結果的にデート的な雰囲気になったのも事実。

 とはいえ、どこまで話しゃいいんだ……?

 沈黙していると、びたん――!

 床に仰向けに転がった小町が「ぬわぁぁん、こんなことなら小町もついてけばよかったぁ~!」と、暴れワンコのごとくジタバタしはじめる。

「つーか、小町も母さんたちと行ったんだろ?」

「当然だ! でもホントは家族みんなで花火を堪能したかったんじゃぁぁ! 『小町は綿あめ食べてても絵になるわぁ』とか『クレープもなかなか似合ってるぞ』とか『じゃあ次はいちご飴もいっとくぅ?』とか四方八方からいろいろ勧めてほしかったんじゃぁぁ~!」

 それ家族で花火を堪能っつーか、お菓子系の屋台制覇したかっただけじゃねーか?

 ハァと嘆息して、小町に「ほら」と手を貸してやる。

「シュントのせいでいろいろ食べ損ねた~」

 文句たらたらで立ち上がった小町は、だがどこか弱々しげにボソリ。

「カノジョができても、シュントの妹は私だけだぞ……?」

「ったりめーだろ、そんなもん確認すんな」

 兄が離れていくと思って、寂しくなったのだろうか。生意気な暴れワンコだけど、こーゆーとこはやっぱ可愛いよなぁ。

「つーかその本、ロミオとジュリエット?」

 小町が手にしていた本を目で指す。恵令奈が読んでいたものとは違い、小学生向けの漫画チックな表紙ではあるが、大きな文字で『ロミオとジュリエット』とある。

「シュントを待ってる間、暇だから読んでたんだ。帰ってくるの遅いから、最後まで一気読みになったぞ?」

「へぇ、内容どうだった? バッドエンド……なんだよな?」

「うーん、そうだけど、思ってたのとは違うかなぁ。悲恋っていうし、死んでゾンビ化したロミオたちが街中で大暴れ……的な展開を期待してたんだが」

「逆にそれどんな悲恋だよ……ってか、その本借りていい?」

「いいけど、シュントが読んで楽しい話かなぁ。ゾンビとか一ミリも出てこないぞ?」

「や、ゾンビはいらねぇって。なんつーかほら、いろいろ参考になるかもしれないし?」

「さ、参考って悲恋だぞ!?」

 小町のくりくりした瞳が、きょとんとさらに丸くなる。と――

「あら俊斗、帰ってたの……って小町、あんたいつまで起きてるの!」

 リビングから出てきた母・美津子(みつこ)が、鬼の角を生やした。

「ひぇぇぇ、ママ! ごめんだよ、甘えさせろぉぉぉ!」

 母の元へ謝りにいったんだか、甘えにいったんだかよくわからない小町は、俊斗を振り向いてかなりのムチャ振り。

「おいシュント、悲恋の末に命を絶つとか絶対やめろよ? そーゆーのは私を死ぬまで甘えさせてからにしろ、あと二〇〇年は甘えさせろぉぉぉ~~!」

「へいへい、大丈夫だから早く寝ろっての」

 手を払うように振って、母に引きずられていく小町を見送る。

 言われなくても、今度は悲恋なんかじゃ終わらせないし……って『今度は』ってなんだよ、前世の結末も知らないのに――。

 自室に向かいながら、思わず苦笑してしまう。

 というのも、レオたちがどんな最後を迎えたのか、肝心な記憶がスポッと抜け落ちてたりする。というか、前世については思い出せないことの方が多いような――?

 鮮烈に思い出したのは例の建国祭の記憶だけで、その他のことは断片的で曖昧――全体的に靄のかかった状態だ。

 シャニール王国の騎士だったレオが、敵国ランブレジェ帝国の聖女フィオナと愛し合っていた。それは確かだけど、許されぬ二人の恋がロミジュリ的な悲劇を迎えたのか――その結末までは覚えてない。

 とはいえ、悲恋説が濃厚なんだよなぁ……。


『俺たちって、結局どうなったんだっけ……?』


 それは感動の再会後、丘の公園で恵令奈にぶつけた質問だ。

 前世のこととはいえ、どうしても二人の『結末』が気になってしまって。

 ずっと前から前世を思い出してたんだ、彼女なら当然知っているだろう。

 そう思って軽い感じで聞いてみたが、恵令奈にとっては重々しい問いだったらしい。

『答えないと、ダメ……ですか……?』

 ひどく青ざめた顔で首を振る彼女に、それ以上は聞けなくなってしまった。

『あの日のこと、思い出せないなら思い出さない方がいいと思います……』

 そう続けた彼女の唇は小刻みに震えていて、口にするのもためらわれるほどの悲恋だったのかもしれない。

 そうだ、あの声だって――。


『ごめんね、来世では絶対幸せになりましょう……』


 いつも聞こえていた少女の――フィオナの声も別れ際のセリフみたいだし、二人の最後は決してハッピーなものではなかったんだろう。

「思い出すのも辛い恋だからこそ、俺の記憶も曖昧なままってことか? とはいえ気持ち悪いんだよなぁ、思い出せないの……」

 耳に水が入って取れないような不快感? 一度気になると、是が非でもスッキリさせたいっていうか……。

「でもまぁ、今日のところはいっか……」

 自室に入った俊斗は、小町に借りたロミオとジュリエットをそっと机に置く。

 二人の『結末』は気になるけど、とりあえず今は現世で再会できた奇跡を噛み締めよう。

 あのフィオナと同じ国に生まれて、それも平和な世の中で――そうだ、焦らなくていい。

「前世がどんな悲劇だって、今度こそフィオナを――恵令奈ちゃんを幸せにしてみせる!」

 意気込んでいると――


「おやおや、そんなに早く答えを出していいのですかな?」


 酷くしわがれた老婆の声が響いて、背筋がゾクリとなる。

 この声、確か露店の――?

 慌てて部屋を見回すが、老婆の姿はない。

 そりゃそうだ、こんなところに老婆がいてたまるか。

 今日はいろいろあったし、疲れてんのかもなぁ……。

 気のせいだと首を振るが――

「ここですよ、ここ」

 再び聞こえた声は俊斗のズボン――のポケットから響いていた。

 この中に入ってんのって、釣りの代わりに渡された石、だよな……?

 石がしゃべるわけないし、まさか妙な機器だったりして……。

 発話もできる盗聴器的な――?

 気味が悪すぎるが、確認しないわけにもいかない。恐る恐る手を入れると――

「どんなマジックだよ……」

 ポケットに入っていたのは黒い石だった。が、石というより宝石と表現すべきだろう。

 公園で見たのとはまるで別物。五百円玉サイズの石ころは、黒い宝石の輝くペンダントに姿を変えていた。

 美しくも妖しいそれは、ファンタジー映画に出てくる魔法のアイテムにも思える。グッズ化されたちょっとお高いレプリカ。そう言われたら信じてしまいそうだけど――

 ――違う、これはそんなオモチャじゃなくて……。

 見覚えのあるペンダントに、ズキリと頭が痛む。が、その正体までは思い出せずにいると、

「おやおや、この状態でもおわかりにならない? さすがに薄情すぎやしませんかねぇ」

 ペンダントから聞こえた老婆の声は、だが急に中性的な子どもの声になって――

「ヒドいなぁ、キミのワガママを叶えてあげた共犯者なのに――」

 クスクスクス。既視感のある、人を食ったような笑い声にゾクリ――記憶を刺激された俊斗は、手にしていたペンダントを思わず投げ捨てる。

 カンッ。机に当たって床に落ちたペンダントが、

「なんだよ、随分な扱いじゃないか」

 不満げな声とともに、カッと眩い光に包まれる。

 光の中でペンダントが形を変え――現れたのは紫のウサギだった。

 いや、正確に言うとウサギじゃない。

 ウサギのような体に、黒い蝶の羽が生えたコイツは――――。

「ボクとの契約、忘れたとは言わせないよ?」

 にまぁっと不気味に笑うウサギもどき。

 つぶらな瞳は、愛らしいというより不穏なくれないで、

 いつか見た不吉な笑みに、ピシリ――。

 遠くの方で、何かにヒビの入るような音がした。

 だが、それを気にする間もなく、青い蝶の群れと白い花びらがぶわぁぁっと視界を埋め尽くして――


 ――カチャリ。


 鍵の開く音がした刹那、意識が前世の記憶へと引き込まれていくのを感じた。

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