【第一章:田畑太一郎(1)】

八月もなかばがぎようとしているこの日、田畑太一郎(たばた・たいちろう)はB市を上下に分けるC川に沿って歩いていた。


ジメジメとした日本の夏とはちがい、ここアメリカ東海岸ひがしかいがんの北の方に位置いちするB市はカラッとした気候きこうで、八月でも夜中や早朝は少しはだざむく感じることがある。しかし、このときの時間は午後二時にかろうとしていて、さすがのB市でも外を歩くとあせばんだ。


田畑太一郎が目的地もくてきちのドーナッツ屋に到着とうちゃくすると、いつものクリーム・ドーナツとアイスコーヒーを注文した。ぶっきらぼうな態度たいど店員てんいんからそれらを受け取ると、お世辞せじにも綺麗きれいだとは言えない店内を軽く見回して、空いているテーブルせきすわった。クーラーが少しきすぎているように感じたが、外を歩いてきた田畑太一郎にとってはそれがぎゃく快適かいてきだった。


このドーナッツ屋はB発祥はっしょうのチェーン店で、B市に住んでいる人ならだれでも知っているような有名なお店だ。日本で言えば、さしずめ『Y野家』あたりであろうか。しかし、ここのコーヒーの味はうすい。三ヶ月前にアメリカに来て、はじめてここのコーヒーを飲んだとき、田畑太一郎はそのあまりの味の薄さにおどろいた。


そのときは、こんな不味まずいコーヒーなんか飲めないと思ったが、人の味覚みかくとはいい加減かげんなものである。今ではすっかりこの薄いコーヒーが気に入ってしまい、一週間このコーヒーを飲まなかったら、なんとなくさびしい気持ちになってしまう。


そんなくだらないことを田畑太一郎が考えていると、その日に彼が会うべき男がけの悪いドアを開けてドーナッツ屋の中に入ってきた。その男の名前は渡邊哲郎(わたなべ・てつろう)。渡邊の邊は難しい字だ。手書きでは書けないだろうな、と田畑太一郎はこの男にメールをするときはいつもそう思う。


渡邊哲郎は年齢不詳ねんれいふしょうの男である。パッと見は四十歳後半くらいに見える。どことなくつかれていてうすくなり始めたかみが、その男の見た目の年齢ねんれいを押し上げているのだろう。しかし、表情や話し方を見ると、もしかしたら意外と若かったりもするのかもしれないとも思う。田畑太一郎は今年二十五歳になるが、実は自分とはひと回りもはなれていなかったりするのだろうかと感じることもあった。


田畑太一郎に気づいた渡邉哲郎は近寄ちかよって挨拶あいさつをしてきた。


「ごめんごめん、待ったかな。途中とちゅうで人に道を聞かれてしまってね。すまないね、いそがしいのに待たせて。」


その日の待ち合わせの時間は午後2時で、田畑太一郎がドーナッツ屋に入ってきたのは2時よりも数分前だった。田畑太一郎がせきについてからは、おそらく5分も待っていないので、渡邊哲郎は実質じっしつ時間通りに来たと言ってもよい。


数分のおくれは遅刻ちこくではない。自分がこのように考えるようになったことを認識にんしきしたとき、田畑太一郎は自分自身のそのような変化に少し驚いた。日本は本当に時間にきびしい。田畑太一郎が所属しょぞくしている日本の研究室では、毎週の月曜日と金曜日に行われる研究室のセミナーに一分でも遅れると研究室のスタッフやポスドクから嫌味いやみを言われる。


特に、そこの准教授じゅんきょうじゅは時間にうるさく、午後二時からのミーティングであったなら、その時間を一秒でも過ぎると遅刻したというあつかいをしてくる。そこまで極端きょくたんに時間に厳しい人間は日本でもそう多くはないのだろうが、日本は本当に時間にうるさいんだな、とアメリカに来てから田畑太一郎はそう強く思うようになってきた。


しかし、日本ではセミナーにしろなんにしろ、終わりの時間にはうるさくない。逆に、アメリカは終わる時間にはうるさい。こういった国民性の違いに気付くたび、田畑太一郎はアメリカで研究をすることにして良かったと思う。自分の視野しやが広がったように思うからだ。


「いえいえ、渡邊さんもお忙しいのにすみません。今日は平日へいじつですよね。お仕事しごと大丈夫だいじょうぶですか?」


田畑太一郎は年配ねんぱいである渡邊哲郎を立てて、そう返事をした。


「いや大丈夫だよ。僕はいつも大したことしてないからね。それより田畑君の方こそ実験は大丈夫なのかい?」

「ええ僕は大丈夫です。けっこう適当てきとう研究室けんきゅうしつなんで。僕は土曜日も日曜日も実験することあるんで、ときどき平日にちょっと外に出るのは全然大丈夫なんです。それに、ここは研究室からそんなにはなれていないですし、たまにはウォーキングなんかも必要なんで今日は良かったです。」

「そうか、それは良かった。じゃあ早速さっそく本題ほんだいに入ろうか。」

「そうですね。ではインタビュー記事きじの方からゴーオーバーしましょうか。」


ゴーオーバー(Go Over)とは英語の慣用句かんようくの一つで、こちらの人間はよく使う。


たとえば、研究プロジェクトを複数ふくすうの研究室で共同きょうどうで行ったりする場合、『まずはこれまでの経緯けいいをざっと見直みなおしましょう』というようなときにゴーオーバーが使われる。田畑太一郎はGo Overと聞いて最初は「どこに行くんだろう?」と疑問ぎもんに思ったのだが、今では逆に自分がこの慣用句をよく使うようになってしまった。


渡邊哲郎は長くアメリカにいるようで、田畑太一郎のこのような英語慣用句まじりの日本語にも気にせず会話を続けてくれる。渡邉哲郎とはじめて会ったとき、田畑太一郎は「えないオッサンだな」と思った。しかし、会う回数をかさねるたびに、田畑太一郎は渡邊哲郎に興味きょうみを持つようになった。


渡邊哲郎はごく普通の平均的な日本人である。立ちいも普通だし、話し方も普通だ。ただ、「何かが違う」と渡邊哲郎と会うたびに田畑太一郎は感じ、それは会う回数が増えるにしたがって確信かくしんに変わっていった。何かをかくしているし、何かを知っている。しかも、形容けいようしがたいかしこさのようなものもよく感じる。そのような渡邊哲郎のおくの深さに田畑太一郎はかれ、今ではこの男と会える日を毎回楽しみにするようになった。


「『論文著者ろんぶんちょしゃによる文献紹介ぶんけんしょうかいコーナー』の方は順調じゅんちょうに進んでるね。これからもこんな感じでたのむね。」


田畑太一郎の思考しこうがふいに現実げんじつもどされる。


「で、留学体験記りゅうがくたいけんきの方はどう?問題はない?」

「えっと・・・そちらのコーナーは今のところ、こんなリストになっています。」


田畑太一郎は、持って来たタブレットの画面がめん執筆者しっぴつしゃ候補こうほのリストを出して渡邊哲郎に見せる。


「十二人に執筆しっぴつ依頼いらいを出して二人がオーケーで、六人がノーか。で、残りの四人が音沙汰おとさたなし、と」と、そのリストを見ながら渡邊哲郎が言う。


「あんまり執筆者が見つかっていなくてすみません。」

「え?いやいや、これだけ書いてくれる人がいるんなら上出来だよ。」

「でも、十二人のうち二人しかオーケーをくれなかったんですよ。しかも、返事すらくれない人が四人もいますし・・・。」

「そんなものだと思うよ。十二人のうち八人が返事をしてくれたというだけでもすごいことだと思うよ、僕は。」

「でも、編集長へんしゅうちょうおこってませんか?」

「そんなことないよ。田畑君には編集長もいつも感謝かんしゃしてるよ。」

「はあ、そうですか・・・。」


そう言いながら、これは社交辞令しゃこうじれいなんだろうな、と田畑太一郎は思う。


最初に田畑太一郎が渡邊哲郎に会ったとき、渡邊哲郎は自分のことを大道芸だいどうげいとかそんなことをして適当てきとうらしてます、と言った。その証拠しょうことして、ポケットからボールを三つだしてきて軽くお手玉のようなものを見せてくれた。


しかし、それは明らかにうそだと田畑太一郎は確信かくしんしている。これだけ医学いがく生物学せいぶつがく分野ぶんや研究けんきゅう業界ぎょうかいに明るい大道芸人だいどうげいにんはいるはずがない。別に大道芸をしている人間をバカにしているわけではない。しかし、事実として、渡邊哲郎の医学生物学の業界ぎょうかい動向どうこうや研究内容に関する知識ちしきは驚くほど広く深い。田畑太一郎はおろか、田畑太一郎の日本の教授よりもはるかに研究業界にも実験技術じっけんぎじゅつにもくわしい。こんな大道芸人なんててたまるか。それが田畑太一郎のいつわらざる本音ほんねであった。


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