フェミニズムとポリコレをめぐる論争はなぜ醜いのか?
@kuro_shiro_kuro
第1話 埼玉県の男子校の男女共学化について
埼玉県の男女共同参画の苦情処理委員から、なぜ埼玉県には公立の男子校が残っているんだ?男女共学にすべきではないか、という勧告がなされたそうです。ここでは答えを導きだすというより、考えるためのパーツを述べて行きます。
というのは、どうも「そうすべきだから、そうしなさい」というのが多すぎますし無条件にそれに反対するという図式が非常にみっともないです。本当にそうすべきかどうかを考えるための視点と議論がないから、フェミニズム・ポリコレ周辺の言説は下品だと思います。
1つ目。戦後GHQにより「学制改革」なるものが推し進められます。小学区制・男女共学・総合制の高校三原則がこの中で示されます。これは封建的な社会制度から脱し民主主義的な社会にするための改革とされています。
ここで面白いのがこの理念に単線教育というのがあって、男女が一緒に学ぶのはもちろんですが、工業高校、商業高校などの職業別の高校も否定されています。恐らくはフランスなどで見られる早期の職業分離は身分差別につながるということでしょう。
つまり、GHQの理念の延長だとするとその意味では「普通高校」というのもNGです。「高等学校」という単線の教育でその中で職業訓練を行うべきだと考えたようです。
この考えは1949年ごろに崩れたといいます。朝鮮戦争の影響でしょう。GHQがそれどころではなくなったみたいです。男女共学化は南から北に向かって進んでいましたが、東京・千葉のラインで止まってしまったため埼玉以北には高校男子校・女子高がのこったわけです。
この考え方で配置されている高校って教育機関として正しいのでしょうか?どういう判断基準を優先させるべきなんでしょう?必要に応じて公立高校が職業別、男女別、昼間・夜間のような時間帯別の高校を配置してはいけないのでしょうか?
2つ目。小学区制つまり居住している地域で通う高校を決める考え方と、単線つまり教育は区別せず一つの学校でいろんな人を教育するという考え方から言えば、公立高校が高校独自で選抜を行っていいのか?ですね。
少なくとも公立高校という存在は偏差値の差がありますが、基本的には上下・貴賤はなく、公立高校に通える水準の学力の子、高校教育を受けたいという人には、最寄りの高校に通う権利があるのではないか?とも言えます。
公立高校において、平等を目指すなら地理的な平等も考慮に入れるべきではないでしょうか?
今回の件でOBや保護者の署名なども話題になっていますが、そもそ公立高校に帰属意識は必要か?OBにものを言う権利はあるのか?です。公立高校というのは県という単位が設置した高等教育の場所でしかありません。そこに○○高校というアイデンティティを持たせるべきなのかどうかも同様です。埼玉県立高校、第1校舎、第2校舎…第34校舎みたいな制度にすればいいのでは?
つまり男女共学のような議論の場合、公立高校ってどうあるべきが合わせて考えに入るべきでしょう。
3つめ。今回の勧告の根拠が国連憲章ですね。この条文が恐らく今回の提言の根拠だと思われます。
第二条
締約国は、女子に対するあらゆる形態の差別を非難し、女子に対する差別を撤廃する政策をすべての適当な手段により、かつ、遅滞なく追求することに合意し、及びこのため次のことを約束する。(項目が列挙されていますが割愛)
第三条
締約国は、あらゆる分野、特に、政治的、社会的、経済的及び文化的分野において、女子に対して男子との平等を基礎として人権及び基本的自由を行使し及び享有することを保障することを目的として、女子の完全な能力開発及び向上を確保するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとる。
ここで定められているのは、機会平等なのか完全な形式的な平等なのか?問題があると思います。
第三条の主旨からいって、機会平等のような気がするのですがどうでしょうか?形式的にまったく一緒にすることが求められているか?ですね。
埼玉県の男子校・女子高は例外もありますが浦和と浦和一女、川越と川越女子、熊谷と熊谷女子、春日部と春日部女子というペアリングで配置されており、機会不平等には当たらないと思われます。形式的な完全平等が必要か?ですね。
機会平等と形式的平等は差別と区別同様、その人が男女平等を考える時、どの説を採用するかの論拠中心に置くべき概念でしょう。
4つ目。そもそも男女に分ける意味はあるのか?です。思春期と思春期以前に男女に分ける意味です。私はこの点で議論がなされるなら、実は男子・女子高って歪だよなあ、と思わなくはないです。
異性がいないところで伸び伸びと勉学・スポーツに励む…もいいです。というか恋愛が華やかだった昔は良かったんでしょう。ただ、今は恋愛が出来ない世の中ですから…特に偏差値だけで埼玉の上位高校の男子校に入った子は、後で後悔しないように。
私が男女共学はいいよなあ、と思うのは「男女で恋愛して早めに愛の喜び(肉体的喜び含む)を知ろうぜ」という意味です。ちょっとフェミニズム界隈の人とは違うとは思います。要するに平等の視点ではなく、分断を排除し、男女の性と恋愛的な意味で相互理解を進めることが理由です。
発達心理学上どうなんでしょう?思春期に男女別れて日常があって本当に恋愛が出来るようになるのでしょうか?健全な精神になるのでしょうか?あるいは社会に出て恋愛が関係ない場面も含めて、男女のコミニュケーションが不自然にならないでしょうか。
ジェンダー論、ポリコレ、フェミニズム、心理学、哲学、政治、理念、伝統、思想、宗教、慣例などのうちどれを優先するか?です。どの概念をどういう順位付けで物事は判断すべきなんでしょう?
5つ目。そうはいっても現状ここまで来ているわけです。これを変えるのに税金を投入するメリットがあるのか?ですね。更衣室やトイレの設置などが必要となります。男女平等なんだから同じトイレでいいじゃないというのが新宿の高層ビルの例でありましたが、それでいいでしょうか?税金もったいないし、どうせジェンダー論で男女の区別を否定しているんだから、トイレも更衣室も現状のままで。そうしたら女子で入学する人はいなくなるのでは?(女子高はすごい偏差値になりそうですけど)
税金を投入しても男女共学化を実現するのが重要だということに説得力があるかですね。となった時に、民意ってどうやって計るか?です。民意を図るには現状は選挙しかありません。特定の個人の集まりである苦情委員はどういう立場の人でしょう?
本来この論点を県議会選挙や市長選に入れてもらって投票するのが正しいと思いますが、それが無理でも議会で審議すべきでしょう。もちろん勧告する機能はいいんですけど、行政の枠組みでコチョコチョって決めないで、税金を投入する以上、民意を反映することを考えるべきでしょう。
多数決が民主主義ですが、現在の民主主義は大きな意見を吸い上げる一方で、少数派の意見は民意ではないという制度になっています。多数決が正義だ、正しい意見は少数意見にもあり得る。さて、どっちでしょう。
こう尋ねると少数派の意見にも正義が…云々が出てきてそれが多様性の様に聞こえますが、民主主義は多数決が健全性を保つ仕組みになっています。
そんな中で「正しい判断」を一部の人が判断していいのか?そもそも正しいという基準は何か?が論点になりそうです。少数派の意見が通る仕組みができればそれは民主主義ではなく、独裁に近づきます。
という感じでしょうか。今回通った「男女共同参画社会基本法」は国連憲章に近いのと、なぜこれが今世界的に思想として正しいとされているのかを考える必要があるので、今回は割愛です。
私見追記 24年6月現在
まだ、この問題は報道されていますし議論中なので私見です。埼玉県の公立高校の最大の問題はなにか?それは大宮高校がある学区以外だと、一番上の偏差値の高校が共学ではない、ということです。
つまり、成績がトップクラスの人で公立進学希望で男女共学に行きたい人の選択肢がないのです。成績がいい人は公立の男子高・女子高に行くか、私立の男女共学しか選択肢がありません。今は親の収入によりますが一部学費免除があるので以前よりましですが、中途半端に親の収入があると困ってしまいます。それに私立は学費がある程度免除になっても、そのほかの経費が莫大です。
(訂正 埼玉県って学区が無くなったんですね。調査不足ですみません。以前はあった記憶があったのでこういう結論ですが、20年ほど前に全廃になったとのことです。まあ、通学可能な距離を考えれば私見は大きくは変わらないです。それと熊谷女子・春日部女子の偏差値が下がってきているようなので、女子の方が共学志向あるいは都会志向が高いのかもしれません。大宮高校が人気になったのも交通機関と偏差値が高い男女共学が必要ということかもしれません。)
この場合、どうすべきでしょう?私としてはやはり男子高、女子高という特殊な選択は私立に任せるべきではないかと思います。
逆の視点です。公立で男女別を置くならトップ偏差値ではあってはなりません。今の埼玉県の状況だと、公立の男女別に行きたい人はトップクラスの成績でないといけない理屈になります。
偏差値50の子が公立の男子校に行きたいと思ったらどうすればいいのでしょうか。男女別が必要という理屈ならこういう配慮は必要です。
偏差値が偏らない、要するに学科試験ではなく、なぜ男子高・女子高を選ぶのかなどの論文とか面接で選ぶべきでしょう。最低限の成績の確認ならそれこそ内申で劣等生でなければいい、というような選抜をすればいいでしょう。
そもそも私は公立高校に選抜試験はいらないと思っています。ほぼ全入の時代ですし、多様性を理解するには選抜試験なんてない方がいいのです。高校という大人になる時期にいろんな人と交わった方がいいです。
それに入学試験に使う労力は相当なものです。それが日本の学力レベルを支えている側面も否定しませんが、あまりに負担が大きすぎます。日々の授業レベルを上げてそこで適性を見極めて、進路を一緒に考えてあげるほうがよほど大事でしょう。
それとOBのアンケート集めて…とかやってますけど、税金で運営されている高校です。OBの意見ではなく民意であるべきでしょうし、もっと言えば、来年以降の受験生と、もし準備が2年かかるなら在校生…1年生くらい?に聞く問題でしょう。
偏差値が高い公立に行きたい子は共学と別学のどちらを望む子が多いでしょうか?それこそ中学生にアンケートを取るべきでしょう。なぜ、OBがしゃしゃり出るのでしょうか?
公立の共学に行きたい成績の良い子に、あるいは男女別の高校に行きたいいろんな偏差値の子に選択肢がないというのが問題だと思います。つまり、男子校・女子高が必要というOBOGの意見は、自分の母校を伝統の名のもとに氷づけにしています。学校の発展を願うなら、幅広く受け入れる度量を持ちましょう。
フェミニズム的ジェンダー的な文脈ではありません。あくまで男女が男女として思春期に一緒に過ごすことを推奨したいです。少子化対策や分断対策になります。協力して学業やスポーツ、恋愛にいそしみましょう。
再度追記 NHKの特集を見て
NHKでこの問題をやっていました。熊谷女子に仙台第一高校の女子団長ですか。ニュートラルに見せて、ジェンダー論・フェミニズムよりな番組作りだったのはまあいつもの事です。
男子高の意味はないけど、女子高の意味はある…と言っているように見えました。あの19時30分からのNHKの特集は、TBSの報道特集よりも全然ましですが、うまく中立に見せかけて思想がはいるんですよね。それだけに潜在的な誘導に気が付かないこともあり、かえって怖い面もあります。
ただ、広島の教育委員関係だったという女性の意見はなかなか冷静でニュートラルな意見だったので、好感が持てました。慌てないで時間をかけて見極めようとも言ってましたし、心理学的な影響にまで言及していました。
で、埼玉県の対応として、広くアンケートを取って参考にというのも、本当に多数決を尊重することもあれば、結論が決まっている場合の言い訳に使うこともあります。「参考にしました。共学にします。以上」の気がしますけどね。
統計・グラフは人をだますためのツールにもなるし、アンケートの設問によっては答えの出方が誘導されることも多いです。それと関心がある人ほどアンケートに答えていると思います。本来は無作為で得ればなければならないので、その辺も要注意でしょう。
全設問と全アンケート結果を公表するかどうかで、アンケートの価値は決まるでしょう。
そもそもジェンダー的な主義思想よりも、本来は教育・教育機関とはどうあるべきか?の議論が先でしょう。その中で多様性とは男女差・違いを理解した上での相互理解がまず大前提です。思想の押しつけが先行しないようにお願いしたいものです。
24年8月追記
共学化を目指すという結論がでました。全国の流れからいってそうなるだろうと思っていました。公立高校の役割からいっても、別学を設置する意味は薄いと思います。どうしても男女別を公立で設置したいなら、機会平等の点から選抜試験がないどんな偏差値の子でも入れる学校にする必要があるでしょう。
今回の結論の不満点は、議論のプロセスが公表されていないことです。あるのかもしれませんが、探しましたが見つかりませんでした。こういう議論ではどういうプロセスでこの結論に至ったかが大事です。
教育委員会が「ジェンダー平等」をどう理解しているのか。そこを広く周知するのが本当は重要です。形式的な平等を実現したところで、真の機会均等になっているのか。偏差値が男女で偏って、結局男性が強く東工大みたいな不自然な女性優遇にならないのか。
まして、アンケートまでとって別の結論がでているわけで、だったら開き直って初めから「時代の流れだからしょうがない」で決めれば手間はありませんでした。
日時の目標も不明確です。つまり、面倒だから次の教育委員会に先送りでしょうか。あるいはこの先は行政の問題だから議員の人お願いしますでしょうか。ビジョンを持てない人の良くある責任回避にしか見えません。
印象として、埼玉県は、市民団体=プロ活動家の言いなりになっている印象がまた強まりました。グラビア撮影のプール利用の水着規制の問題や川口の外国人問題など、行政の思想が偏っているのが目立つなあ、と思います。
一方で、やっぱりOBOGその他の意見が「伝統」「別学も必要」という自分勝手な保守的な意見しかないのもガッカリでした。公立高校の教育の在り方についての意見とか、ジェンダー平等に対して別学が必要な説得力のある意見もだせていません。
下手をすれば今時男女別学を唱えるのは、女性たちだけの街を作るというクラファンと同じレベルで間抜けです。「男女7歳にして席を同じうせず」という戦前の価値観をいつまで引きずるのか。世の中に出れば男女がいるのだから、高校で純粋培養する理屈の理論構成は相当難しいと思います。最高に難しい偏差値の学校の卒業生ならもっとましな意見を言ってほしかった。
ひょっとしたら、私立ですら男女別学は認めるべきでないという結論がでるかもしれません。どちらサイドの意見でも、高校生という思春期の発達心理、教育効果などはどうやって結論に織り込まれたのでしょうか?
私も男子校の出身者です。本音を言うとは私は共学に行きたかったです。思春期に男女別けられた恨みは大きいです。共学に出願するつもりでしたが、教師と親の反対で男子校になりました。結局、偏差値が無駄に高いだけだったと思います。大学受験で高校のレベルはあまり関係はないです。あと2歳くらい年齢が上なら、強硬に共学に行ったと思います。15歳で権威に対抗するには力不足でした。
抵抗として、勉強をさぼって成績の調節までしたのですが…内申が3年後半では変わらないので意味はありませんでした。人生で後悔があるのは、これがほぼ唯一です。共学に行けなかったことでした。別に自分がモテたとか彼女が出来たかもとは思いませんが、そういう女子との関係で失敗の機会すらありませんでした。挑戦と失敗の機会を失い、結果的に我ながらゆがんだなあと思いますし、青春の一部を失ったような気分です。
大学もそれなりのところに行って、大学でもちろん失敗はちゃんと重ねましたけど、高校生と多分痛みとかいろいろ違うんですよね。男子校に行きたいという人は、本当に後悔しない選択をしてください。
そうそう、話題だったアニメ、コミックスの「僕の心のやばい奴」で名言がありました。市川のお姉さんの言葉です。お姉さんも確か早稲田と思しき大学に行っていますので優等生だったんでしょう。「この先、富と権力を手にいれても手に入らないもの…制服放課後デートである」この言葉をかみしめましょう。
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