第34話 旦那様はお怒りです 4


セルシスフィート伯爵領と王都の境にある王立図書館、の隅にある書庫が私の仕事場。

城から離れた書庫に来れば、やはり誰もいなくて、セイルの勤めている王立図書館まで行くと、まばらな司書たちの中に、セイルがいた。

そのセイルのそっと呼びかける。


「セイル」

「ティアナ? どうしたんだ? こんなところまで……」

「セイルに、少し用事があって」


よく昼食を誘いに来てくれるセイルは、貴族の子息。でも、三男のために爵位は得られない立場だ。


「最近仕事に来てないみたいだから、心配したんだ」

「少し忙しくて……」

「その……この間の男は……」

「だ、旦那様なの……その、結婚していて……」

「本当に結婚していたんだ……言ってくれれば良かったのに……」

「ごめんなさい。いろいろ事情があって……」

「怖そうな人だったけど、もしかして酷いことでもされているのか? それなら、相談にものるけど」

「ち、違うわっ、怖い顔だけど、悪い人ではないの……ただ、ずっと会ったことがなくて、最近隣国から帰って来たの。それで、一緒に暮らし始めて……」

「でも、変な男だったら」

「大丈夫。その、彼はこのセルシスフィート伯爵様なのよ。身元はしっかりしているから」

「セルシスフィート伯爵……?」


セルシスフィート伯爵の名前に驚くセイル。身元はしっかりしていると言いたいだけだったのに、彼をひどく驚かせてしまっている。


「セルシスフィート伯爵様っ……あのセルシスフィート伯爵!?」

「知っているの?」

「竜騎士団でも、怖いと有名だぞ……本当に大丈夫なのか? 無理やり結婚させられたんじゃ……」

「顔は怖いけど、優しいところもあったのよ。子猫も拾ってくるような方だし……それに、感謝しているわ。結婚のできない私と結婚してくださったの」


そんな噂があったとは!?

何だか、ロクな噂のない夫婦に思えてきた。


「ティアナなら……結婚できないことはないだろう」

「……セイル。セルシスフィート伯爵の結婚相手が誰か知らないの?」

「知っている。確か、ウォールヘイト伯爵家と結婚したと……」


そう言うと、セイルがハッとする。


「まさか……ティアナは、ウォールヘイト伯爵家のご令嬢なのか?」

「そうよ。軽蔑する?」


私の身元を知ったセイルが再度驚いた。セイルも、私を見下すのかと思うと悲しくなる。


「軽蔑はしない。驚いたけど……俺は、セルシスフィート伯爵領の人間ではないんだ」


知っている。セイルは、王都に住んでいるのだ。セルシスフィート伯爵領よりだから、王都の中心ではないけど。


「でも、驚いているわ……」

「驚いたのは、そうじゃない。確かに、ウォールヘイト伯爵家に驚いたけど……」

「他に驚くことがある?」

「その……夜会で、セルシスフィート伯爵夫人を見たことがあるんだ。でも、ティアナではなかった」

「夜会で見た? セルシスフィート伯爵夫人のティアナを? 私は結婚してから夜会には出てないわ」


セイルは、夜会に参加した時にセルシスフィート伯爵夫人に会ったことがあると言う。

私と同じピンク色の髪に小柄な女性。でも、派手な化粧に派手なドレス。

セイルが挨拶を交わしても、相手はセイルを知らないし、何よりも私を知っているセイルが違うと言うのだ。


「ウソの噂を流されているだけじゃなかったのね……」

「噂?」

「セルシスフィート伯爵夫人であるウォールヘイト伯爵家のティアナが、男と遊んでいるというふしだらな噂よ」

「あれはウソではなくて……でも、ティアナではないなら……」


誰かが私のフリをしていると言うことだ。

その誰かに、アリス様が浮かぶ。彼女は何度も夜会に出ていたし、夜も出かけていた。


「でも、髪色はティアナと同じピンク色だった。だから、ウォールヘイト伯爵家の令嬢だと誰も疑わなくてだな……」

「髪色なんか、魔法でも変えられるわ。それよりも、お願いがあるの」

「お願い?」

「そのためにセイルに会いに来たの」


夜会での様子を調べようと思って、貴族であり独身のセイルのところに来た。

そして、ありがたい情報まで聞けて、噂だけではないと知った。


「セイル。お願いです。秘密の夜会に行きたいの。招待状を下さらないかしら」



独身の貴族のセイルなら、絶対に秘密の夜会の招待状を手に入れられると思った。

予想通り、セイルは知り合いから手に入れて、セルシスフィート伯爵邸まで持って来てくれた。


「セイル……その格好はどうしたの?」

「あのな……一人で行く気か? あんなところに令嬢一人で行くと、大変なことになる。セルシスフィート伯爵も王都に行っていると言っていたし」


セルシスフィート伯爵邸の玄関先で、夜会の盛装姿になっているセイルが呆れたように言う。


「奥様。馬車の準備が出来ました」

「ありがとう。ハルク」


馬車を玄関外に準備させて来たハルクが、セイルに挨拶をすると、御者らしく馬車の扉を開けた。


「奥様付きのハルクです。どうぞよろしくお願いいたします」

「本当に伯爵夫人なんだな……」

「ウォルト様が、私付きの御者を付けて下さったのよ」


セイルがそう呟く。ブランシュは一緒に行きたいのか、必死でルドルフから抜け出そうとしていた。


「みゃあーみゃあー」

「ブランシュ。あなたはルドルフと待っていてね。ルドルフ、夜には帰るから、ウォルト様には、心配ご無用とお伝えしていてください」

「はい。それと、アリス様もすでに、外出中です」

「そう……ふふふ」


現行犯で捕まえてやります。

私のフリをして、秘密の夜会まで参加して、ふしだらな噂を流すのは看過できません。


「ブランシュ。あなたの快適な生活はもうすぐですよ」

「みゃっ、みゃぁっーー!!」


ブランシュの鳴き声を背後に、にこりとして馬車に乗り込んだ。

コンコンと、馬車に置いてあった杖で天井を叩くと、馬車が出発する。

ルドルフは、鳴いているブランシュを抱いたままで見送っていた。

馬車の中では、セイルと二人で並んで座っている。彼は、理解が追いつかないところもまだあるようだが、秘密の夜会に女性一人では行かせられないと言って、心配気だ。


「ティアナ……本当に行くのか?」

「ええ、絶対に私のフリをしているわ」


アリス様が私のフリをして、遊んでいる。もしかして、お義父様も知っていたのだろうか。だから、私をセルシスフィート伯爵夫人だと公にしないで、アリス様の好きにさせてた可能性がある。


「偽物は、なぜ、そんなことをするのだろうか……」

「貴族の邸には、愛憎が渦巻いているのですよ」

「愛憎かな……?」


なぜ、そんなことをする?

理由として考えられるのは、ふしだらな妻を理由に私と別れさせることだろうか。

もしかしたら、三年契約結婚を務めたお金も減らす気だったのかもしれない。


それなのに、その噂を聞いたウォルト様は、離縁どころか、予定よりも早くに帰還してしまった。これは、誰もが予想外だっただろう。

しかも、離縁の延長かと思っていたら、私を好きだと言ってくれた。


離縁するつもりだった。そのうえ、ロザムンド様がいたから、セルシスフィート伯爵邸のことには我関せずだったけど、今は違う。


ブランシュもいるし、セルシスフィート伯爵夫人でいると決めたからには、敵がいる邸で過ごすことはできないのだ。


「とりあえず、よくわからないが、ティアナは俺から離れないように。秘密の夜会は出会いの場だ。一夜限りの社交の場として使われることが普通なんだ。しかも、その名の通り、秘密の出会いだ。決して、男性と二人きりにならないように」

「わかってます。でも、秘密の出会いの場なのに、噂が漏れるなんてずさんね」

「それくらい、遊びが激しかったんだろう」


アリス様は恋人がいると、ウォルト様が言っていた。でも、ウォルト様。アリス様は、恋人ではなくて、不特定多数でしたよ。


「……首筋。隠しておけよ。噂のティアナだと勘違いされる」


思わず、自分の首筋のあとを手で隠した。セイルは、少しだけ頬を赤らめている。


「か、髪色も変えますね。何色にしようかしらっ……」


ウォルト様の痕が残る首筋を隠したままで、上ずった声で目を反らした。


「魔法も使うのか……」

「護身用にも、必要なの」


魔法も使うことを知らなかったセイルが、少しだけ寂しそうにする。

横髪に指を絡ませ魔法を使うと、瞬く間に髪色が茶色に変わっていく。


「どうかしら?」

「いいんじゃないか」


恥ずかしながらも聞くと、セイルが笑みを零し、馬車は秘密の夜会へと進んで行っていた。











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