第3話 えんぴつを持って、ランドセルは置いて



 僕は、その子に一目惚れをした。

 生意気な魔法使いへの対抗心で、たまたま重なっていた世界を覗いて。

 その子を見たらわかった。

 この子は、僕のもの。

 気がつけば、僕は次元と世界を超え、その子の近くへと飛び込んでいた。禁忌を犯すことも気にならなかった。


 攫うにはまだ幼い。いずれ存在を丸ごと手に入れるとして、まずは人にならって順当な方法で、あの子の近くで時を待とうか。

 子のない夫婦に暗示をかけ、あの子と同じ学年に転入した小学校。あの子にばかり話しかけて仲良くなったが、欲求は膨らむばかり。

 ただ、彼女の困った顔だけが、僕を僅かに落ち着かせたから。

 持ち物を隠し、友人との仲を邪魔し、髪を引っ張り、囃し立てて揶揄って、眉を下げながら抗議してくるあの子を眺めて、凶暴な僕の執着心を宥め暴発を防いでいたのに。


 運動会の日に、あの子は消えた。この世界から。

 僕の魔法は擬態に使い果たしていたから、追いかけることはできなかった。


 大きな騒ぎになったが、子供達にはろくな情報は知らされなかった。

 それでも、クラスメイトが突然消えたことに怯えた僕たちは、その後も特に仲の良いクラスになった。

 転入以来浮いていた僕は、あの子が消えたことによって、溶けるように学校に馴染んだ。世界にも。

 あの子への執着も、幻のように消えた。


 あの子は何も持たず消えたはずだけれど。

 僕の心を持っていってくれたのだろうか。





 先ほど口座の解約に来た客、あの子の母親だ。気づいた瞬間、十余年前のあの日が鮮やかに甦った。

 あの子に向けていた、飢えや渇きも。

 失ったはずの執着心に煽られ、持ち場を離れて客を追いかけた。

 すぐに見つけた。解約済みの通帳を胸に当て、まるで違う世界に憧れるように、空を見上げていた。


 彼女は娘のクラスメイトを覚えていた。


「手紙をもらえて、やっと区切りがついたから、あの子のために貯めていたお金で、えんぴつを買って寄付しようと思って。あの子、一本しか持って行かなかったの。それだけが残念で。ランドセルは、どうしたのかしらね」


 詳しく聞き出すわけにもいかない。

 けれどその顔は晴々としていた。

 僕は胸が塞いで、会話を早々に切り上げた。






 誰もいない独りの部屋。

 棚の奥に、あの日取り上げて隠したランドセルがある。

 大きくなったあの子も、こうして閉じ込めたかったのに。


「残念だ」


 自分の底に隠れていただけの執着心をランドセルに入れて、蓋をした。

 二度と開けることはないだろう。

 好きだったのに、と呟いた。


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