おかえりを探す箱の中で

フクロウ

急を告げる電話

 それは、一本の着信から始まった。


 男は手元に置いたディスプレイに素早く目を走らせ番号を確認すると、今まさに飲み干そうとしていたジョッキを机に叩きつけてスマホを手にした。


「美波さんか? やっぱり早く帰ってきてほしいんじゃ──」


「いや、違う」


 電話に出ると、男はアルコールで鈍くなった頭でぼんやりと、相手の声に耳を傾ける。登録されていない番号だ。それに、同僚が心配した声で名前を呼んだ相手から電話がかかってこないのは、わかり切ったことだった。


 電話口から慌てたように声が弾ける。


「お父さん!? お父さんですか!? 泉ちゃんのお父さん!!」


 慌てるにしても、程度というものがある。名乗りもせずに、本人確認をされてもただただ困るだけ。それでもその口調は深刻な何かが、重大な何かが起こったと知らせるには十分だった。


 男は頭を巡らせる。娘の名前を呼び、お父さんと叫ぶような人物に心当たりは一つしかない。年度の始めに一度しか会ったことがなく、それも表面上の簡単な挨拶だけ済ませたのみだから顔が全然思い出せないが、その人は娘の通う保育園の保育士だった。


「交通事故にあって! 泉ちゃんは無事だったんですが、お母さんが! とにかく病院へ!!」


 悲鳴にも似た声が、気持ちのいい酔いを一気に覚ましていく。電話口から聞こえていたのだろう先に飛び上がった同僚を追いかけるように、男は後ろの白壁に寄りかかりながらよろよろと立ち上がった。


 男の脳裏に浮かんでいたのは、ビールがもったいない──会計は誰が払うのか──などくだらないことばかりだった。


 パートナーの顔を思い浮かべたのは、同僚が呼んでくれたタクシーに乗り込んでしばらく経ってからのことだった。


 タクシーがスピーチを上げて煌びやかで賑やかな夜道を抜けていく。


 ただ、車のライトのその先は、男には底が見えない真っ暗闇にしか見えなかった。

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