第4話 第4章
化け狸とは、名前通りのたぬきだ。残念ながら未来から来たタヌキ型ロボットではない。
ヌウは2メートル近い身長があるが、それと比べても、同じくらいの高さがある。タヌキだから、自然とお腹周りも大きい。顔もでかい。どこからみてもその辺のタヌキではないことがわかるほど、大きく異様な体裁をもっていた。が、その顔は、愛らしくどこか親しみを持てる。そんなわけで、化け狸は妖怪と人間の仲介役として、小さな商いをしている。
人間からの要望にあわせて、山や人里に住む妖怪に声をかけては、物品を調達し、また、妖怪から注文があれば、人間界で調達するといった商いをして、生計をたてている。
「よおっ」と化け狸が小屋の扉を開けた。
ギィと戸のきしむ音がして、パラッと砂埃が落ちる。薄暗い小屋の中を様子を探るように、顔だけ前へぐっと押し出している。
「いらっしゃい」嫁が奥からしわがれた声で返事をしながら、戸口へと歩いて言った。
化け狸の毛が足元から、背中、顔と逆立つのが見えた。慌てて口を押さえているところをみると、悲鳴をあげるのを必死でガマンしているようだ。
化け狸は、土産の岩魚と栗を嫁に渡すと、ヌウの隣に腰掛けた。
嫁は、えらく喜んで、早速料理を始めた。
「嫁はあいかわらずだな」小声で化け狸が言った。
ヌウは、笑いたいのをこらえながらうなずいた。嫁がざっくりと料理したものが運ばれてきた。
岩魚はそのまま、皿に乗っており、栗はいがをとってあった。
三人は喉を鳴らすと、岩魚を頭からばりばりと食べた。
「やっぱり、山の魚は美味しいねぇ」と嫁が満足そうにうなずく。
「すまねえなぁ。土産もらって」とヌウ。
「いやいや。たまたま、狐の若頭がそろそろ冬篭りの挨拶にきてな」
「へー。もう、冬支度か?」
「この辺じゃ、まだまだ暑いのにねぇ」
「山はもう、秋なんだなー」ヌウは遠くを見やるような目をした。
「山の暮らしが、懐かしいか?」
化け狸は二人の顔をみた。
「もう、随分山には帰ってねえなぁ」
返事とも独り言ともつかない風にヌウはつぶやいた。
「狐の女将さん…げんきかなぁ」
「ああ、すっかり妖怪も板についてきてなぁ。最近じゃ若い狐達を束ねてるよ」
「そっか。」ヌウは嬉しそうにうなずいた。
「妖怪になった当時は、結構悩んでたもんな。長生きなんかしたくないとかいってさ。あんまり嘆くんで、もう少しで、九尾の旦那に挨拶に行くのを忘れっちまうとこで、あんときは、焦ったなあ。ヌウさんがとりなしてくれなかったら、大変だったよ。ま、どっちにしても、なっちまったもんはしかたないさ。俺もそうだし…嫁もそうだろ。な」
嫁はキョトンとした顔をした。嫁は、妖怪になったときの記憶が朧げでしかなかった。
「あんたみたいに、生まれながらの妖怪とはやっぱ勝手が違うしな」
ヌウは黙ってうなずいた。化け狸は一人でひとしきりしゃべると、栗を一つ、口に放り込んだ。
「ところで、俺になんのようだ?」
突然、話を振られて、ヌウは「はて?なんのようだっけ」と考えた。
嫁が「もう、やだよ。あんたは」
と言って笑った。
口が耳まで裂け、白い歯が光った。ヌウと化け狸はおもわず口を押さえた。
「選挙権ができる?」
化け狸は腕を組み、天井を見上げた。真っ黒で、年季の入った柱が見える。
化け狸は、たどたどしいヌウの説明を聞きながら、これは、商売の幅が広がるかもしれないと考えた。
化け狸の商店の床下には、商売で儲けた金をツボに入れてしまってある。銀行に預けようとしたのだが、妖怪では身分の証明をしようがなく、結局あきらめた経緯があった。あの金を銀行に預けて利回りの良い運用をして、それから、あっちこっちにも支店をだして。
外国か…海外支店というのもいいな。外国の珍しいものを、他の妖怪たちに売ったら、いくらになるだろう。
妖怪たちには、時間がたっぷりある。外国旅行を企画してもいい。
好奇心が旺盛なやつらだから、喜んで参加するだろう。それに選挙権ができるということは、俺にも政治家になれるチャンスがあるってことだ。テレビなどで見てると、みんなが頭を下げ、威張っていられる。たいした仕事もしていなさそうに見えるのに、権力と金を握っている。それも莫大な金を…。
化け狸は、自分の背広姿を想像してみた。
オーダーメードのぱりっとしたスーツを着て、みんながぺこぺこ頭を下げ、高級なクラブへだって飲みにいける。若いお姉ちゃんも…それに俺は人間より長生きだから――――どれくらいの儲けになるか頭でそろばんをはじき、ニンマリした。
「化け狸の旦那。よだれ」そう言って、嫁がタオルを差し出した。
「直接その若杉先生という、物好きな人間に会ってみたいんだけど」
嫁から貰ったタオルで口を拭きながら、化け狸はヌウに聞いた。ヌウは、着たきりの半纏の袖から、小さな紙切れを取り出して、化け狸に渡した。
ヌウが差し出した紙には、若杉先生の肩書きと連絡先が書いてあった。裏には携帯電話の番号が手書きで書いてあった。
化け狸は小さくうなづくと
「偉い先生なんだな。これ、貰ってもいいか?」と聞いた。
ヌウは、ちょっと考えて
「良いと思う」とあやふやな答えを返した。
「偉い先生なの?」と嫁がきいた。
「ああ、すっげぇぇ、偉い先生だ」と化け狸は力を入れて言った。そして、またニンマリと笑った。
「旦那。よだれ」
数日後、若旦那が、ふらりと風呂焚場にやってきた。
ヌウはびっくりした。昔、若旦那はよくここにきて遊んだが、先代の女将さんから、「将来、跡継ぎになるものが、そんなところで遊んではいけない」ときつくしかられ、ヌウも一緒にしかられた。
それ以来、若旦那がヌウに会いたいときは、女中が呼びにきるのだった。突然、現れた若旦那をみて、ヌウは、周りをそっと見回した。
若旦那はそんなヌウをみて笑った。
「ヌウさん大丈夫だよ。先代の女将はとうの昔になくなってしまったし、今更、ここの私が来たって、とがめるものもない。」
「だけんど…」と言いよどむヌウに若旦那が言った。
「もっと早く、こうしてここをたずねればよかったよ。なんとなく、習慣づいてしまってたけど。母さんが亡くなって、怒るひともいなくなったのにね」
ふたりは、ススで汚れた、長いすに腰掛け、若旦那は手に持っていたお饅頭の包みを開いた。
「ヌウさん、若杉先生がまたきたよ。ヌウさん、友達を紹介したんだって?」
「おら、酔っ払って約束しちまったようで…化け狸に、若杉先生に貰った名刺を渡した。」
「化け狸?ヌウさんの友達なんだね」若旦那は嬉しそうに笑った。
「おらは、まったく忘れていたが、嫁が覚えてた。それに化け狸もおらのこと覚えてた」
「ヌウさんは友達のこと、忘れてたのかい?」
ヌウは、ちょっと頭をひねった。そして、黙ってうなずいた。
「はははっ」若旦那は愉快に笑った。
「その友達が、若杉先生の話を断ってくれるといいねぇ」
だんなはそう言って、饅頭をほおばった。こんな風に、若旦那とのんびり饅頭を食うのは、久しぶりだった。ヌウは、懐かしい思いにとらわれ、ふと、胸の中で何かが痛んだような気がした。
「ヌウさん、正直だよね。若杉先生との約束なんか、知らん振りしたってよかったのに」
「そりゃ、ダメだ。約束は約束だ。守らないと。おらは嘘つきになっちまう。嘘ついたら、仲間から相手にしてもらえねえ。嫁にも嫌われる」
「相手は人間だし、良く知らない人だろう。知らん振りしても誰も、嫌いにならないよ」
「でも、やっぱ嘘つきにはなりたくねえ」
「ヌウさんは、真面目だね。」
「まじめ?」
「ほめてんだよ。」
「へへ、そっか。」ヌウは顔をほんのり赤くして、照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「昔、ここに来ては、母さんに怒られたね。」
「どの代の女将さんも怖かったけんど、先々代が一番こわくて、先代が二番目に怖かったぁ」
「確かに、おばあちゃんは母さんよりずっと怖かったね。私も、怖かったよ」
若旦那とヌウは顔を見合わせて笑った。
ほんの一瞬、幼いころの日々にもどったような気がしていた。ヌウおじちゃん、ヌウおじちゃんと、ヌウの後を着いてきた子供が、いつのまにか随分年をとった。
「私はね、ヌウおじちゃん。」若旦那が昔のようにヌウを呼んだ。
「この旅館が嫌いだったよ。古い風習でしばられ、好きなヌウおじちゃんとも遊べない。どれだけ、お母さんや、おばあちゃんを恨んだことが。お父さんは養子だったからおばあちゃんやお母さんに頭があがらなかったしね。
だから、こんな旅館なくなっちゃえって、何度も、思ったものだよ。そのせいかね。息子たちには旅館の跡を継いでほしいとは思わなくて、それぞれ別の土地で働いて、結婚して…私には兄弟もいないし、この旅館も私の代で終わりだろうね。」
「なんか淋しい話だなぁ」ヌウは、若旦那が持ってきた饅頭を食べながら言った。
「そうだね。だんだん、淋しくなるよ。」
二人の上を、飛行機が飛び去っていった。
そのあとに白く細長い雲が残った。
ヌウが、ぽつりと言った。
「鳥、最近みないなぁ」
「ヌウさん、人間は死ぬんだよ。」出し抜けに、若旦那が言った。
「ヌウさんたちは死なない。ヌウさんたちが、人間として戸籍ができたって、死なないんだ。人間になんてなれないんだよ。人間になって、得も損もない。ヌウさんには、何もないんだよ。」
「得はないのか?」
「そうだよ。」
「損もないのか?」
「そうだよ。」
「何もないんか?」
「そうだよ。たぶんそうだ。」若旦那は何かを噛み締めるように言った。
「人間になれば法律や慣習に縛られる。ヌウさんみたいに自然に生きているものには、窮屈でしょうがないよ。
例えばだよ。今までヌウさんは、道で立小便しても人間でないから警察に捕まることもなかったし、税金や年金や、社会保険も支払わなくてもよかったし…それにどこで、何をしても誰もとがめなかった。そうだろ。」
「ガイコツ…外国にいける。」
「行って見たいのかい?」
ヌウは首を左右に振った。
「おらは興味ない。そうだ。電車に乗れる」
「電車?ヌウさん、電車嫌いじゃなかったけ?」
ヌウは、空をみた。さっきの飛行機雲が横に広がりつつあった。
そうだ。電車はうるさいだけだ。
「冷蔵庫があれば、冷たいビールが飲める」
「冷蔵庫なら、人間にならなくても私が買ってあげる。必要な電気だって、私がちゃんとしてあげる」
ヌウは、若旦那の目を見た。優しい目だ。
「ヌウさんは、人間になりたいのかい?」
ヌウは視線を足元に落として、「わかんねえ」と小さくつぶやいた。
「おら、ここにもやもやしたものがあるんだ」と胸を触った。
「これが、気持ち悪くてしかたねえ。人間と暮らしたら、もやもやがなくなるかと思ったけど、全然、かわんねえ。ここが、痛いんだ。ここが…」
ヌウは、激しく自分の胸を叩いた。叩いた弾みに手に握っていた饅頭を握り潰してしまった。
若旦那は、握りつぶした饅頭で、ベタベタになたヌウの手のに自分の手を重ねた。
「人間になったら、なにかかわるか?」ヌウは、涙を浮かべた目で若旦那をみた。
若旦那は小さく首を左右にふると
「私にはわからないよ。ヌウおじちゃん。でもね、これだけは判るよ。人間も、妖怪も、鳥も…それ以外の何者にもなれないんだよ。
人間は人間に、妖怪は妖怪に、鳥は鳥に。自分の器でしか生きられないんだよ。他の何かにとって変わるなんて、できないんだ。自分を受け入れて、認めて、そして…そして」
若旦那が苦しそうに倒れた。
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