窓際のダウナー系美少女と曖昧で都合のいい関係に

白井ムク

第一部 「セフレになる?」と訊いてくるわけのわからない女子

第一章 クラスメイトの不思議系女子と関わるようになって…

第1話 今の自分に満足?(※一部改稿済)

「——べつにセフレでもいいよ?」


 いつも無表情な彼女が、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。最初はからかわれているだけなのだと思ったが、やがて、そうではないと知った——




  * * *




「——よし、できた」


 朝の七時三十分。

 三人分の弁当がキッチンの調理台に並ぶ。


 三人分つくるのは二日目だったが、昨日よりは効率よくできたほうだった。


 キッチンが狭い。そうなるとやはりシンクも狭く、コンロはひと口で魚焼きはないとなると、いかに効率よく調理するかが重要になってくる。


 そういうプロ意識のようなものがいつの間にか芽生えてしまったのを自嘲するように、「玄人くろうとと苦労人は似ているな」などと苦笑いで言いながら、滝沢律たきざわりつは換気扇の紐を引っ張った。


「にしても、そろそろ家電も買い替えないとなぁ……」


 律は困ったように軽く頭を掻いた。


 姉が知人から譲り受けたという電子レンジとオーブントースターはまだまだ健在。ただ、中古で買った単身者用の一二〇リットルくらいの冷蔵庫は、夏に近づくにつれて冷えなくなってきている。


 そろそろ買い替えなければいけないが、いかんせん金がない。


 フリーターの姉の稼ぎだけでは、二人で暮らしていくにもやっとの状況だ。姉は一生懸命働いているが、しかし……この夏を越せるかどうか。冷蔵庫が天寿をまっとうされたら、いよいよ死活問題に発展する。


 そんな、冷蔵庫一台買えない世知辛い生活だが、今に始まったことでもない。せめて姉と知恵を出し合って、


【貧乏暮らしをエンジョイしようぜ!】


 という前向きな結論までは至っている。

 ……心まで貧しくなったらいよいよオシマイだろうから。


 もちろん、家電は貰い物や中古品だとしても、ちゃんと新たに購入したものもある。百均で買い揃えたカラフルなキッチン用品がきちんと整理整頓されており、築三十年のボロアパートのそこだけは、律が唯一自慢できる彼の城だった。


 そんな生活に、律はある一定の満足感を覚えていた。ちょっとしたことでも素直に喜べることが彼の良いところでもある。


 ただ、ある意味で問題なのは——律には欲がない。


 容姿は悪くない。

 性格も良いほうだ。

 運動も勉強もそれなりにできる。髪形をちょっと遊ばせたら、それなりに女の子からモテたりもするだろう。


 しかし、『知足安分ちそくあんぶん』とはよく言ったもの。


 律は分相応のところで満足してしまう……というより、これまでずっとセーブしてきた。願望や欲求があったとしても「自分は今幸せだ」とみずからに言い聞かせてきた。それが癖になると、高望みをしなくなったのだった。


 今は貧しいが、少しでもまともな生活を送れたらいい。

 普通であることが幸せであるなら、それ以上に望む必要もないか。

 彼女が欲しいかって? ……フッ。


 ——とまあ、けっきょくのところ。


 彼が今ひとつ他人よりも抜きん出れない原因はそれであった。いわば「モブ」であることが良いのだ、現状維持で満足なのだと、律は知らず知らずのうちに自分を戒めていたのである。


「おっと……そろそろ出ないと」


 キッチンの洗い物が終わったあと、律は三つ並んだ弁当のうち、一つは保冷剤と一緒に包んでスクールカバンに入れ、残り二つは冷蔵庫に入れた。


 ——これにて朝のミッション終了。


 律はエプロンを外し、カバンを持って静かに廊下を抜けた。

 玄関で靴紐を結んでいたところで、




「——律、もう行くのぉ?」




 大きなあくびをしながら、腫れぼったい目蓋をこすり、ふらふらと自室から出てきたのは律の姉、滝沢音葉たきざわおとはだ。


 今年二十二歳のフリーター。

 見た目はギャル。

 度重なるブリーチで傷んでしまった金髪は、根本だけが黒くて、プリンのようになっている。……これでも元美容師だ。


 そんな寝起きでボサボサになっているプリン頭を、音葉はがしがしと掻いた。


 ついでに姉の自慢のHカップがタンクトップからこぼれそうになるくらい揺れるのを見て、律は「はぁ」とため息を漏らした。身内の巨乳ほど関心を引かないものはない。


 これでも今朝はマシなほうだ。


 律の前だと下着姿でも平気だし、風呂上がりはバスタオル一枚でウロチョロする。滝沢家の情操教育はすっかり破綻していて、律が同世代の女子に対して「清潔感」や「清楚感」を求めるのも、致し方ないことだった。


「……姉さん、もう起きるの?」

「ううん、トイレ……ふあぁあ〜……」


 音葉は大きなあくびをしながら、くたびれたスウェットの上着に下から手を突っ込んで、今度はボリボリと腹を掻いた。


 スウェットのズボンはゴムが伸びきっていて、今にもズルりと落ちそうだ。かろうじてショーツの紐が見えるくらいで止まっている。


 音葉の寝起きはだいたいこんな感じである。身内の前だととにかくだらしがない。彼氏ができたり、結婚したりしたらどうするのだろうか——そんな考えなくてもいい心配を弟がしていることを、この姉は知らない。


 それともう一人。

 まだ寝ているのがいるのだが——


「……紗耶さやは?」

「まだ寝てるよ〜」

「じゃあ今日も?」

「行かないってさ、学校。……ま、帰ったらあんたからもあの子の話、聞いてやって?」


 律はやれやれと思いながら「わかった」と言って、薄っすらと苦笑いを浮かべた。


「二人の弁当、冷蔵庫に入れといたから。飲み物は自分たちで用意して」

「わざわざありがとね?」

「残り物がほとんどだけど……あ、そうだ。冷蔵庫なんだけど、そろそろ限界かも」

「うぅ〜、マジかぁ〜……。わかった、なんとかできないか考えてみる〜……」

「まあ、俺がバイトすれば——」


 すると音葉は急にむっとした。律は、しまったと思った。


「それはダーメ! バイト禁止!」

「でもさー……」

「約束したじゃん? 冷蔵庫は姉ちゃんがなんとかするから、あんたは気にせず勉強に専念するっ!」


 音葉に気圧され、律はしぶしぶといった感じで、納得するふりだけしておいた。


「……じゃ、行ってきます——」

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