九
「いやぁ、マジで焦った」
屋敷内で白に宛がわれた部屋の畳の上に座る莉花は、絶えず稼動する扇風機の風を受けながら、天井を仰ぐ。
「いきなり突っこまれたから、どうしていいかわかんなくてわかんなくて……シロのお祖父ちゃんっていつもあんな感じなの?」
「そういうわけじゃないと思うけど」
布団を敷きつつも、あの時の祖父はやはり変だったな、という印象をたしかにする。
「もしかして、初対面の時になにかやっちゃったのかな」
風が当たる位置を保ったまま、畳の上にごろんと転がった莉花は水色の半袖ハーフパンツのパジャマに着替え終えている。こころなしかシャンプーの匂いが白の鼻先を掠めた。
つい数分前、何の前触れもなく襖をピシャンと開いた莉花は、なにをするでもなくだらだらと部屋の一角を占領している。正直、白の方も午後散策に出てからさほど話せていなかったので、渡りに舟といった調子で歓迎こそしたものの、少女の顔は浮かないままだった。
「なんか心当たりでもあるのか?」
「う~ん、どうだろう……挨拶してほんの少しお話をしただけだしなぁ」
匙を投げたように左に軽く転がってから、また戻ってから逆の方にも体を向ける莉花。そもそもなにかが気に触ったとしても、祖父がそのことをあからさまに表に出す姿というのは、白には想像し難い。
「シロの方こそ、なんかないわけ。血が繋がってるんだし、私よりわかることも多いんじゃないの?」
「って言われてもなぁ……」
たしかに祖父の人となりはそれなりに知っているつもりではあったが、年に数回の長期休みに数日から一週間ほど留まる以外は交流がない。ある程度の理解はあれど、深いところまでわかっているのかといわれると怪しかった。
頭を捻っていると、今日最初に訪問した時の記憶が頭に浮かんだ。
「そういえば今日、リカって響きが聞き覚えがある、とか話してたな。名前がらみの話とかなかったか?」
「なかった……かな」
心当たりは即座に否定される。とっかかりはなくなり、白はどこから話を進めていくべきかの道標を見失った。となれば、残るのは莉花の祖父との会話を中心に掘り進めるしかなさそうだが、さしあたってはどの言葉や振る舞いが引っかかったのかは判断しにくく、解明は困難を極めそうだ、と途方に暮れていると、
「ただ、思い返してみると、はじめて顔を合わせた時からちょっと変だったかもしれない」
新たな推理材料が生えてくる。
「変っていうとどんな風に?」
「変っていうのは、言い過ぎかも。ただ、私が挨拶をして顔をあげたら、シロのお祖父ちゃんが目を見張っていたっていうか。あの時はよくわからなかったけど、あれって、なんか信じられないものを見たときの顔だったのかも」
「信じられないもの、ねぇ……」
単純に考えれば、祖父のいった聞き覚えのある響き名を持つ人物と莉花に関連があるという線だろうか? 更に安直に繋げれば、その人物と莉花が似ていたというあたりか。今の段階ではただの憶測だったが、祖父に確かめれば解きほぐせそうだった。絶対に答えてくれるかどうかまではさだかではないが、足がかりくらいにはなるだろう。とはいえ、今日はもう遅く、さすがにそこまで迷惑をかけるわけにもいかず、明日にしようと決める。
「なんか、わかったの?」
「いや。とりあえず、明日の朝にでもお爺様に直接聞いてみるよ。ところで、話を聞いた時は、揚羽さんも一緒に部屋にいたのか?」
「うん。なんか、私を案内したらすぐ部屋から出ようとしたけど、シロのお祖父ちゃんが、お前も残りなさいって引き止めて」
「そうか……」
だとすれば揚羽もまた、信じられないものを見た祖父を目撃していた可能性が高い。その割には、白が帰ってきた際の報告ではとりたてて言葉を重ねなかった。とるに足らないとことだと思ったのか、ただ単に気付かなかったのか……。おそらく後者はないだろう、と長年の付き合いから判断したあと、敷いたばかりの布団の上に寝転がる。ちょうど、扇風機が運んできた冷たい空気が後方から左頬を掠め、心地良さをおぼえた。
思えば、今日一日中動き回ったのだから、当たり前のように疲れていた。
「シロ、寝るの? お風呂は?」
「後で、入るよ」
「それ絶対忘れるやつだって! 私、朝起きたら、幼なじみが臭いのなんて嫌だよ」
「だいたい、家族の中だと最後に入ってるから気にすんな。たぶん、今だと鹿子姉さんか揚羽さんの風呂の時間だろうしな」
おそらくこの家のルール的に考えれば客が最初で、その次に女性陣、最後に男性陣という順番になる。代変わりする前は使用人である揚羽とその母は最後だったが、そこら辺は食事と同じで漏れなく家族と同じ扱いになったため、今は揚羽もたまにやってくるその母親も通常の女性陣扱いということに相成っている。
莉花は、そっか、と頷いてみせたあと、
「シロは明日、どうするつもり? 今日と同じで散策?」
なんでもない風に尋ねてきた。寝転がり、白の位置からは表情は窺えない。
「夕方には用事があるけど、それまでは特に決めてないな」
闇雲に探し回るのも一つの手ではあるが、用事の主な原因であるところの自称神様であるマツがいる以上、今はそちらに集中した方がいいのではないのか、と白は思う。当たり籤かどうかはさだかではなくとも、とりあえずのあてができたゆえにだろうか。白の心には、これまでの捜索にやってきたどの時よりも大きな余裕が生まれていた。
「良ければ、この辺りの案内するけどどうする?」
「いいの? だったら、その言葉に甘えようかな」
ホッとしたような吐息が耳に入ってくる。
やはり昼から夕食の間まで放っておいたのは良くなかった、と反省を新たにした。
「シロ」
不意に柔らかい声で名を呼ばれる。なに? と聞き返せば、熱い息が耳元に吹きかかる。
「明日は楽しい日になるといいね」
ひっそりとした囁きは、体の芯をじんわりとさせた。
「ああ、そうだな」
辛うじて答えている間、心臓の動悸が大きくなっていく感じがした。直後に立ちあがった莉花は、
「おやすみ」
どこか恥ずかしげに告げると、足早に部屋を出て行った。白は呆然としつつも、自らの耳たぶに触れる。息に込められていたものが移ったような熱は、当分下がりそうになかった。
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