54 申合《もうしあわせ》と急行
いつも鍛錬に使っている空き地に村長とライナルト、主だった男たちが集まり、ブリアックの話を聞く。
牧場主の証言を聞き、周囲の柵などを調べてきたという。
「話では、魔獣はヤギを咥えて北の森方向へ走り去ったという。そのヤギとの比較で、大きさは
「うーーむ」
村長が唸る。
巌牛は体高で成人女子を超えるほどの大きさだ。その四つ足なら体重は熊を上回り、先の大猿魔獣に迫るかもしれない。
「柵に破られた箇所はなかった。つまりそいつは、二ガター超の柵を跳び越えて侵入したと考えられるわけだ。口に下向きの牙が見えたということだから、正確に現存の目撃者はいないが昔の記録に残る
「大きなヤギを軽々と運ぶ力、二ガター以上を超える跳躍力、走るのにもかなり速度がありそうだということだな」
「そういうことになりそうだ」
ライナルトの確認に、兵士は苦い顔で頷いた。
そうしてやや申し訳なさげな顔を、村長に向けた。
「すぐ駐留隊に伝書鳩を送るが、正直なところ監視兵の俺は目視としては未確認、一村人の証言、という記述になる。即座に兵を動かしてもらえるかは微妙、しっかり確認を行えという指示になるかもしれぬ」
「ああ」ホラーツは渋く頷いた。「ありそうなことだな」
「兵が派遣されたとしても一日程度かかる、明日中に到着するかは何とも言えないしな。一方でその魔獣としたら、よく言われることだが、牧場の家畜の味が気に入ったらまた狙いに来る可能性が高い。奴らの食事なのだから、連日現れて何の不思議もない」
「そうさな。牧場に来たら確実に獲物がいると覚えたら、まちがいなくそうするわな」
「ここに来る前に俺はそうした記録をいくつか調べてきたんだが、その限りで大牙狼は夜行性ではない。もし夜に行動するとしても、この時間に大きなヤギを食ってまた今夜引き返してくるとは考えにくい。俺は明日の朝から、あの牧場を張り込もうと思う」
「そうか」
「一人では心許ないのではないか」
「牧場には申し訳ないが、相手が手強いと判断したら今回は確認観察止まりにする。もしもの場合を考えて、伝令のためにケヴィンにつき合ってもらおうと思う。ライナルト殿は村のこちらに被害が及びそうな危機に備えて、待機していてくれ。その危険があれば、即伝令を走らせる」
「分かった」
「そうだ、あれがあったではないか」
思い出して、村長が手を打った。
村の山側での異変に備えて、柵の近くに設置しようとヨッヘム爺さんが作成していたものだ。遠くから伸ばした紐を引くとこちらにある木の道具が打ち合わされて高い音を立てる、鳴子というものだ。
本体を村長の家近くに設置し、紐を異変のありそうな地点まで伸ばそうと話していた。それを何とか、牧場の近くまで伸ばそうと言う。
聞いて、マヌエルが乗り気になった。爺さんと相談して、明朝にも設置に動こう、と。
そういう相談をして、その日は解散になった。
翌朝早く、ブリアックとケヴィン、マヌエルが牧場に向かう準備を整え、村長とライナルトがそれを見送る格好になった。
兵士の話では、今朝早く伝書鳩の返答が来た。それによると、現在駐留隊から他の村にヤマネコ魔獣対策の人数を出しているので、こちらにはとりあえず三名しか送れない。この朝に出発させ、次の日午前に到着の見込み、という。
もしかすると援軍の到着前に一~二回は牧場が襲われるかもしれない。さらに三名の兵だけではその阻止に十分とは到底思われない。
難しい顔で、ブリアックは出ていった。
マヌエルは鳴子本体をこちらに設置し、長い紐を伸ばしながら牧場方面へ出かけていった。それから間もなく戻ってきて、設置完了を報告する。
途中の木の枝などを使ってうまく渡し、川を越えて牧場の柵際まで紐を繋げることができたという。
他の村人たちはますます急いで、収穫を進めた。狼魔物は肉食で畑には見向きもしないかもしれないが、侵入を許したら踏み荒らされかねないし、人々は大至急家の中に避難しなければならない。
自分の畑の始末は済ませたライナルトは、人手の減ったケヴィンの畑を手伝った。
鳴子が高らかに響き渡ったのは、午近くになってのことだった。
「危険の報せだ!」
「みんな、家に避難しろ!」
口々に呼びかけ合って、家の方向へ走る。
ライナルトは娘を抱き上げ、ロミルダに手渡した。
「済まん、頼む」
「あいよ、頼まれた」
「イェッタ、大人しくしてるんだぞ」
「……あい」
不満満杯の様子ながら、娘は了解の声を返す。
向こうがどんな被害か分からないので、ライナルトは急いで確認に走らなければならない。その際今回に限ってはイェッタを負っての行動は不都合だ、ロミルダのところに預かってもらう、と昨夜十分に話し合っていたのだ。
急いで行動しなければならないのでできるだけ身軽に、というのが一つ。
さらに今回の相手は、桁外れに動きが敏捷だと考えられる。まずまちがいなく、レンズは使えない。口や鼻に水を、というのもまず難しいだろう。と考えると、イェッタの活躍の要素はほぼ考えられない。
それよりもとにかく、逃げるだけにしても速い動きが必要と考えられ、少しでも身軽な分だけ助かる可能性が強まりそうだ。
そう言い聞かせ、何とか娘を納得させたものだ。
その泣き出しそうな瞳に後ろ髪を引かれる思いながら、ライナルトは走り出した。
川を越えたところで、向こうから走ってくるケヴィンの姿が見えた。
「どんな様子だ、ケヴィン?」
「大変だ、ブリアックさんがやられた!」
「何だと!」
「悪い。俺は手当ての仕方が分からねえ」
「急ごう。何が起きたか、説明しろ」
二人で柵の外で見張っていると、突然森の中から巨大な茶色の獣が現れた。あっという間に駆け抜け、柵を跳び越えて牧場に入っていった。
ややしばらく待つと、ヤギを咥えた巨体が再び跳び越えてきた。
その着地の隙に一太刀浴びせようと、ブリアックは駆け寄っていったという。
「観察だけにするって言ってたんじゃないのか?」
「知らねえよ、止める暇もなかった」
走りながら説明を聞き、ライナルトは怒鳴った。
答えるケヴィンも、訳分からないと言う様子だ。
続きを促すと。
その一太刀は素速く避けられて届かず。魔獣は即座に獲物を足元に置き、ブリアックに襲いかかってきた。目にも留まらない左右に動きながらの強襲に、ブリアックの槍も躱され、大きな牙に刺し飛ばされた。
そのまままた素速く、魔獣は獲物を拾って森に駆け入っていった。
ブリアックは右上腕を深く抉られる大怪我だ。
「何てことだ」
「俺にも分からねえよ、何であんな無茶したんだか」
「たぶん、駐留兵の到着がこちらの被害阻止に間に合わないと思って、責任を感じたんだろうな」
「そうかあ」
走る先に、牧場の柵が見えてくる。
それに沿った右手の先に、血まみれの男が凭れているのが見えた。
ライナルトが駆け寄ると、弱々しく苦笑の顔を上げる。
「済まん、へましちまった」
「口を聞くな。血を止めるのが先決だ」
話の通り右上腕に深い裂傷が走って、出血が続いている。
携帯していた布を傷の上部にきつく巻きつけて、とりあえず血を止めようと図る。
全力で押さえていると、次第に血の染み出しは減ってきた。
「ケヴィンは牧場に状況を説明してきてくれ。俺はこの人を担いで村に戻る」
「分かった」
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