第50話 交差点

「まっ、クレジットカードで買い占めれば絶対に当たるんだけど」


「ダメだ詩乃! 屋台でクレジットが使えるわけがないだろ!」


「そうなの? まあ、キャッシュも大量に持って来てるからいいけど」


 詩乃が取り出した長財布はパンパンに膨れ上がっていた。


 まずい、こいつ本気だ。


 こんな薬、きくわけがない。それは分かっているが、詩乃が暴走するきっかけいいわけは摘んでおくに限る。


 色っぽく誘われたら断る理性は俺にはない!


「さ、さすがの詩乃もこんなところで薬を盛らないよな?」


「何言ってるの? 当り前じゃない。おかしなことを言うのね、潤一郎くんって」


「ははは、そうだよなー」


「林の中に連れ込んでから飲ませるから」


「その鋭い眼光やめて! 頼むから本気にならないで!」


「大丈夫。あなたとのデートでは常にゴム持ち歩いてるもの」


「こわい! いつも獣に狙われてる!」


 ダメだ。こうなったら俺が取れる行動はただ一つ!


「おじさん、これ引きます!」


 俺は身を乗り出して、お店のおじさんに三百円を渡す。


 そう、詩乃より先に引いてしまえば問題はない。


 テニサーのやつらみたいに孕ませて、孕んで休学とか勘弁願いたい。


「きゃ~、潤一郎くん男らしい! 女の子に引かせるんじゃなくて、自分から引きに行くのね!」


「俺が引きに行くという意味では合っているが、いろいろと違う!」

 貧乏暮らしの俺が今日ここで使った金額はかき氷で三百円、焼きそばで四百円、ビールで二百円。合計九百円。


 予算は千円までだったが、多少の超過くらいは目をつぶろう。問題はこの一発で引けるかどうかだ。


 そう緊張していると、店のおじちゃんが目配せをしてくれる。


 わかる! スケベな男だけにわかるアイコンタクトだ。


『青年、こっちだこっち』


 おじちゃんはこっそりと、ひとつだけくじを足した。


 そうか、これが例の薬のくじなんだな!


『隣の姉ちゃんとよろしくやるんだろ? 頑張りなって』


 なにか決定的な勘違いをしている! 


 だが、これは好都合だ。


 ようはあの薬を引き当ててしまえば、目的は達成されることになる。


 例の薬の番号は五十八番!


 ありがとうおじちゃん! 俺、引くよ!


「はい、三十四番ね」


「裏切ったなぁぁぁぁ! この禿ぇぇぇぇ‼」


「おっと、なんのことだい青年。まあ、欲しいのがあるならもう一回引いていくんだね」


 クソ! 卑劣、あまりにも卑劣! 


 だが、俺に落ち度がないわけじゃない。


「とりあえず、おもちゃコーナーからなんか取りなよ」


「う、うーむ」


 子供のときならウキウキで選んだ光るブレスレット、スライムとかあるけど……。


「潤一郎くん、スライムにしましょうよ。ホテルで使えそう!」


「なにに使うつもりだよ!」


 右も左も敵しかいない! 


「と、とりあえずこれで……」


 俺が手に取ったのは指にハマるほどの小さなリングだった。


 すこし押しつぶすと光るタイプの簡素なおもちゃだ。


「詩乃、これあげるよ」


 そうさりげなく渡したのだが、それを受け取り指にはめると天川は俯いてしまった。


「……ありがとう」


 そうつぶやくと屋台から離れていってしまい、あとを追う。


「ど、どうしたんだよ」


 人混みをかき分けて追いついても顔を合わせてくれない。


 すたすたと歩いて行ってしまい、俺は詩乃のうしろを歩くだけとなっていた。


「く、くじ引かなくてよかったのか?」


「いい」


 そうポツリというだけで会話が続かない。


 周囲のカップルがいちゃついている中で、俺たちだけは浮いている。まるで他の世界に迷い込んだみたいだ。


 提灯に導かれるように歩いていくと、大きな花火が次々と打ちあがり始めた。


 昨年の傾向からすればクライマックスも目前、もうすぐ夏夜の魔法がとける。


 詩乃はその花火を見上げて立ち止まる。


「なんでこんなことしちゃうかな……」


 彼女の声は……震えていた。


「せっかくさ、あとすこし……あとすこしで、バカだけやって終われるところだったのにさ」


「ごめん」


「たのしい思い出だけで終わるはずだったのにさ」


「……ごめん」


「許せるはずないじゃん」


 顔が見えないのに、痛いほど詩乃の感情が伝わってくる。


 夏の夜空に打ちあがった夢が、彼女の声が、俺の鼓膜を揺さぶり続ける。


「残酷すぎる、あんまりだわ」


「でも、俺の気持ちも伝えておきたかった」


 そのための指輪リングだった。


 一生支えるとか、そんな無責任なことは言えない。俺と詩乃はそうなれない運命にあるのだろうとも思う。


 それでも好きの気持ちを何か形にしたかった。


「ひとりよがりなのはベッドの上だけにしてよ。それだけなら許してあげたのに」


 本当に独りよがりだったと思う。それでも、ロールプレイング実験なんかで誤魔化せるほどの感情じゃなくなっていたし、何もしないで終わりたくなかった。そんな青い気持ちが、ロールプレイングを終わらせて天川詩乃を引きずり出してしまった。


「……ねえ、私のこと好き?」


「大好きだ」


「私も大好き」


 そう言葉で伝えあっても俺たちを隔てる壁は分厚く、高い。


 俺も天川もいっしょにいればまたパーティーの晩のように苦しむだろう。それは目に見えていることだ。


 だからこそ、距離が縮まらない。


 俺と天川を隔てる二歩半の距離。


 近くて遠い、二歩半。


 愛しくて憎い二歩半。


 好きが聞こえてしまう二歩半。


 俺たちは交わらない位置にいる。


「このデートはあなたを諦める作業にしようと思ってた。でも作業になんて出来ない、できるはずなかった」


「俺もだ」


 俺も、そんなことはできなかった。


 天川が俺を好きになってくれた時点でこうなることは決まっていたのかもしれない。


 運命はまるで呪いのように俺たちの関係を蝕む。


「こんな指輪もらったらさ」


 天川は声を振り絞る。


 ちかちかと光る安っぽいリングに彼女の涙がこぼれ落ちた。


「こんなおもちゃでも、島崎くんのことずっと忘れられなくなっちゃうじゃん。一生前に進めないよ。だから……」






「さようなら」

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