彼女は

1-1


「別れよっか」と私は言葉を吐いた。


 淡々と、感情を含ませないように噛み殺す。それが儀礼的な挨拶だとするように、なんとかそう言葉を紡いだ。紡ぐことができた。


 でも、結局声は震えてしまっていた。音も小さくて、呟きのようなものにしかならない。誰かに対して吐くための言葉なのに、独り言のような呟きにしかならない。


 それはきっと自分自身で呑み込むための言葉。


 もしくは呼吸に紛れてしまった台詞の残骸。


 彼は寂しそうな顔をした。いや、もともと彼は私と顔を合わせたときから、ずっとそんな顔をしていた。そんな表情のまま、彼は私のことを見つめる。


 私が吐いた言葉に、理由を見出そうと思索を巡らせているのかもしれない。沈黙だけが耳元にこだまする。そうして結局彼から言葉が返ってくることはなかった。


 ……いいや、思索せずともわかっているのだ。ただ、彼が沈黙を返すことしかできないのは、その言葉を呑み込めないでもなく、理解できないわけでもなく、本当に言葉が出てこないだけなのだろう。


 きっと、私が彼でも言葉を吐くことはできないだろう。そして、私から言葉を続けることもできなかった。


 彼のことは嫌いではない。好いている気持ちは確かなものだ。


 好意を互いに示しあって、そうして彼と恋人同士になったわけである。それが嫌いに所以することは絶対にない。少なくとも、今の私には彼に対する嫌悪感も、不満も、別れるに足る感情的な理由も存在しない。


 でも、それでも私は彼に言葉を告げなければいけなかった。


『きみのせいだ』


 ──私たちがあの六文字に圧し潰される前に。

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