第195話 手芸店にて放課後デート② ~拗ねるクールさん~
「へーっ、こういう感じなんだね」
初めて足を踏み入れる手芸店の店内を桜彩は興味深そうに眺めていく。
「とりあえず生地からだな」
「生地だけでもこんなにあるんだ」
やはり手芸店ということで生地だけ見てもかなりの種類が置いてある。
そのうちのフェルトコーナーへと足を向けて生地を確認する。
「フェルト……いや、ナイレックスのが良いかな……?」
生地の種類と色、それに金額まで考えて素材を吟味する。
基本的に材料の選定は怜に一任されているとはいえ、部費は無限にあるわけでもない。
節約出来るところではちゃんと節約を心掛ける必要がある。
「ぬいぐるみはこの生地で作るの?」
「まあ生地は何でもいいんだけどな。前に俺は廃材集めて作ったこともあったし」
数年前にいらないシャツを合わせてぬいぐるみの生地として作ったことを思い出す。
とはいえ部活で使うにあたってはやはり使いやすい生地の方が良いだろう。
「今回はフェルトとナイレックスにしとくか」
「うーん……私はこういうのは分からないから力になれないなあ……」
少しばかり肩を落として残念そうに桜彩が呟く。
「こうして一緒に来てくれるだけで充分だって。俺一人じゃ中に入るの難しかったからな。それに、こうして桜彩と一緒に色々と選んでいるのだって楽しいし」
「ふふっ。怜、ありがとね」
「何か気付いたことがあったら言ってくれよ」
「うんっ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ひとまず生地については目途が立った為に、次のコーナーへと移動する。
ぬいぐるみに取り付ける目や鼻のパーツ選びだ。
これに関しては桜彩もウキウキとしてパーツに手を伸ばして吟味している。
「あ、これなんて良いんじゃない?」
「確かにそれも良いかもな」
桜彩の選んだ目のパーツを怜も手に取って見る。
「あ、あとこれも!」
「それだったら黒猫と合いそうだな」
「うんっ! やっぱり怜もそう思うよね!?」
「そりゃもちろん!」
猫好きの二人として、こういった選定はそれだけでかなり楽しい。
まだぬいぐるみ作りに取り掛かってすらいないのだが、どのような完成になるのか頭の中で想像が膨らんでいく。
「これも良いんじゃないか?」
「あっ、そうかも! だったらお鼻はこっちの方が合うんじゃない?」
「となると目は……」
「そうだね。だとすると色も……」
「どうせなら全種類買ってしまうか。それぞれ各人が別のパーツを使って作っても良いし」
「ふふっ。そうだね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そういえばさ、結局桜彩は家庭科部には入らなかったんだよな」
商品を見ながらふと思ったことを隣の桜彩に聞いてみる。
少し前、新入生に対する部活紹介に奏の紹介で訪れた桜彩だが、結局家庭科部に入ることはなかった。
奏としてはそれを少し残念に思っていたようだが。
「あ、うん。あの時は怜にお礼をしたいなって思ってただけだからさ」
桜彩の言う通り、あの時は日頃お世話になっている怜にお礼としてマドレーヌを送りたいと思ったからこその参加だ。
特に部活自体に興味があったわけではない。
「あの時は驚いたよ。まさか怜に教えて貰うことになるなんてね」
「まあな。俺も桜彩がいるとは思わなかった」
当時のことを思い出して二人でクスリと笑い合う。
「でも怜は家庭科部には毎回顔を出してるわけじゃないよね?」
「ああ。家庭科部は基本参加自由だからな。桜彩の言う通り俺も毎回出てはいないぞ」
怜としては一人暮らしでやることが多いわけだし、それに加えて今は桜彩と一緒に過ごしている。
その為、桜彩と買い物のある日は不参加だし参加率は五割程度だ。
そもそも怜としては家庭科部への入部は半強制的であり、自分の意志で入部したとは言い難い。
「ていうかさ、宮前の奴にも言ったけど、俺が参加出来ないときは何をやってるんだろうな?」
家庭科部の活動は基本的に怜が講師をやっている。
その怜がいなかったら誰が中心になって進めているのだろうか。
「あっ、そういえば昼休みにそんなこと言ってるのが聞こえたよ」
その時のことを思い出す桜彩。
(そういえば、怜、また宮前さんに抱きつかれるようになってたよね)
その顔がなんだか面白くなさそうに膨れてくる。
(怜が悪いわけじゃないんだけど……でも、前にも同じようなことがあったし……)
合コン騒動の時も、怜からスマホを奪おうとする奏が後ろから抱き着くような格好になっていた。
(そもそも宮前さんはそれ以外にも怜とのスキンシップが多いし……)
家庭科部で怜のエプロンを摘まんだり、写真を撮る時に怜を引き寄せたり、今日も頬をつついたり。
正直桜彩と蕾華を除けば怜に一番近い女子は奏だろう。
(むぅーっ……!)
そんなことを考えていると、桜彩の胸の中にモヤモヤとしたものが生まれてくる。
そして
「えいっ!」
といきなり怜の背中に抱きつくように密着した。
「わっ! さ、桜彩!?」
いきなりのことに事情が分からず戸惑う怜。
背中に伝わる柔らかな感触に男として意識が持っていかれそうになる。
「む……えいっえいっ!」
桜彩はそんな怜の頬を奏がやっていたようにぷにぷにとつつく。
怜の頬の感触がなんだか気持ち良い。
「え、えっと、どうしたんだ?」
「あ……」
そこで桜彩は正気に戻り、今自分が何をやっていたのかを理解した。
奏の行動を思い出してつい何も考えずに怜に抱きつくように密着して頬をつついてしまった。
怜から離れて申し訳なさそうに今の行為を弁明する。
「え、えっとね……その、お昼休みのことを思い出してさ。怜、宮前さんにこうされてたよね」
「あ、ああ。まあ……」
「そ、その……私も同じようにやりたいなって思ったらつい……本当にゴメンね、変なことしちゃって」
「ああ、いや、まあ別に俺も嫌だってわけじゃないし」
いきなりのことで驚いたが、桜彩にこうされるのは決して嫌というわけではない。
むしろ怜としてはこうやった桜彩との何気ないコミュニケーションは幸せな気持ちになる。
「そ、そっか。ありがとね」
「い、いや、お礼を言われることじゃないっていうか……」
「う、うん……」
「…………」
「…………」
そのままお互いに俯き合ったまま会話が途切れてしまう。
「あ、そ、そうだ! 家庭科部には新入生は多く入って来たの?」
空気を変えようと少し大きな声で話題の転換を図る桜彩。
「多くってか数人程度だな。まあそんなもんだろ」
今年入って来た新入部員は八名。
現在の上級生と比較して多くも少なくもない。
「まあ今の二、三年よりはまともな人が多いかな。少なくとも今のところは」
これ以上奏達のように自分をからかう部員を増やしたくはない。
怜としては切にそう願うのだが、既に何人かは洗脳済みとなっているのが頭痛の種だ。
「あ、そういえば、可愛い子がいるって言ってたよね」
昼の会話を思い出した再び桜彩が不満げな顔をして聞いてくる。
「ん、まあ。客観的に見ればな」
「ふーん……そうなんだ」
「まあだから何だってわけでもないしな」
「あ、うん、そうだよね」
その返事に少しばかり安心する桜彩。
「……と、まあ今日買うのはこのくらいで良いかな。……桜彩?」
「え、あ、うん!」
話しながら今日購入する商品にめどをつけて桜彩へと話しかけると、なにやら考え事をしていた桜彩が慌てて返事をする。
(そ、そうだよね。うん。怜がその子のことを可愛いって思っても、だから何だってわけじゃないよね……)
「どうかしたのか?」
「ううん、何でもないよ」
頭に浮かんだ変な考えを振り払ってにっこりと笑う桜彩。
実際に怜のことだから、相手が可愛いと言うだけではどうということはないだろうと判断する。
「それよりもこれからどうするの? 買ってからすぐに帰る?」
「うーん、そうだな……。こういったお店に来る機会ってあまりないし、せっかくだしもうちょっと見て回るか。個人的に欲しい物もあるかもしれないし」
「欲しい物?」
「ああ。例えばさ、部屋に小物を置いたりとか。テレビ台の上に猫のあみぐるみとかな」
「わあっ! それ、すっごく素敵!」
怜の提案に桜彩が顔を綻ばせる。
「ほら、俺の部屋ってもう半分桜彩の部屋みたいな物だろ? だからさ、色々と内装を変えても良いかなって思ったんだ」
「怜……でも、良いの?」
桜彩としては、いくら自分が怜の部屋にいることが多いとはいえ、怜の部屋は怜の物だ。
そこに自分の都合で自分好みに変えていくのは申し訳ない。
「構わないって。俺はあの部屋で桜彩と一緒に過ごすのが好きなんだからさ。だから、二人共一緒に落ち着けるような空間にしたいなって」
「そっか。ありがとね」
そういって二人で笑い合う。
(ふふっ。やっぱり怜って優しいなあ)
自分のことを考えてくれる怜に桜彩の胸が温かくなっていく。
「それじゃあ桜彩」
そう言って怜は自分の右手を桜彩へと差し出す。
その意図を理解して、桜彩も左手をその上に重ねる。
「ってわけで店内を見て回るか」
「うんっ」
そんな感じで購入する商品にめどを付けた後は、再び二人で手を繋いで店内を見て回る。
手芸店でのウィンドウショッピングデートはその後もしばらく続いていった。
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