第37話ココットとフルオリーニ、それぞれの想い.8


 せめて端のほうで踊ってくれれば良いのに、ご主人様は広間のほぼ真ん中で立ち止まる。近くにいるのは皇族の方々と三大侯爵家の方々。どうやら身分の高い人ほど真ん中で踊るらしいし、それならご主人様のこの場所は正しい。正しくないのは私がここにいることだ。


 公爵家の方なら皇族と顔を合わせることも多いでしょう。ご主人様なんて第三皇子の護衛なんだし。でも、私はデビュタントの時に国皇陛下と皇弟に一度会ったっきり。


 もう、それでなくても覚束ないステップが緊張で無茶苦茶に。


「フルオリーニ様、また足を踏んでしまいました」

「落ち着け。俺がリードするから合わせるだけでいい」

「それができれば苦労はしません。それに、視線が突き刺さる気がするのですが」

「そりゃそうだろうな。俺が令嬢をエスコートするだけでも珍しいのに、ファーストダンスを踊るのだから」

「先程もファーストダンスにこだわっていましたが、何か理由があるのですか?」


 はて、と首を傾げながら聞いてみると、信じられないという目で見返された。なんですか? その気の毒な子を見るような目つきは。憐れみ、蔑み、失望?


「お前がここまで貴族世界の常識に疎いとは思わなかった」

「基本侍女、たまに学園の用務員。貴族として過ごしていませんから、フルオリーニ様が夜会に出席しないのであれば侍女として学ぶ機会はありません」

「なるほど、では俺のせいだと」

「はっきりと言わないでください。せっかく婉曲してお伝えしたのに」


 私の気遣いを打ち砕く、歯に衣着せない言葉に眉を顰めると、お前がその顔するなと怒られた。理不尽だ。


 でも、いつもと変わらない会話にいつの間にか緊張はとけ、最後の方はダンスを楽しむことさえできた。


 踊り終えるとご主人様は私を食べ物の前まで連れて行ってくれる。


「どれが食べたい?」

「フルオリーニ様が取ってくださるのですか?」

「あぁ。おっ、この肉は美味そうだな。それからサンドイッチと、ケーキにドーナツもあるぞ。どれだけ食べれそうだ」

「ううっっ。全部食べたいけれど、コルセットが」


 眉を下げ悩む私に小さく吹き出しながら、一口ぐらいの大きさにカットされた食べ物を中心にお皿に並べてくれる。


「どうして今宵はそんなに優しいのですか?」

「まるで普段が優しくないようか言い方だな」


 目の前に差し出されたお皿が、ツツッと頭上へと遠ざかる。肉! 果物! ケーキ!!


「ああっ! 私の食事!! いつもお優しいですが今日は特に優しくて格好良くて、ドキドキします」


 お皿が宙でピタリと止まったので、それを背伸びで奪い取る。うん、どうしました?


「フルオリーニ様、お顔が赤いですよ」

「うるさい! とりあえずそれでも食っておけ。それからココットも少しは自覚を持って言葉を発しろ」


 自覚とは? ご主人様は時々はっきりとした言葉を避けられる。貴族間では匂わすような曖昧な表現も多く、それに慣れているのかも知れないけれど、私は無理。ずばっと言ってくれないと分からない。


 きょとんとした私を見てご主人様は深くため息をつき、今度は言葉を噛み締めるようにゆっくりと口にする。


「王命ゆえ俺はここを離れる。仕方なく、不本意だが。でも、すぐに戻るからココットは食べ物だけを見ていろ」

「分かりました」


 力強く頷く私の頭にポンと手を置き、立ち去ろうとしたところでご主人様は振り返った。そして、私の手を掬い上げると指先に唇を落として、ハチミツのような甘い笑みを残し人混みの向こうへ。


 

 そっと口づけを落とされた指を胸に当てる。


 ドクドクと早鐘のように鳴り響く心臓を持て余しながら見つめた後ろ姿は、人混みに見え隠れしながらナターシャ様へと近づいていった。


 ぎゅっと目を閉じる。

 身分差。

 侍従関係。

 歳の差。


 ありとあらゆる理由を胸の中に並び連ねる、大きく深呼吸をしてから瞳を開ける。私は侍女だ。間違えるな。


「……さて、食べますか」


 お皿にはご主人様が取ってくれた料理。

 私は言われた通り、踊っている人達に背を向けて美味しく食事を頂く。それなのに。


「あまり美味しくない。期待しすぎたのかな」


 ローストビーフはもう少しレアな方がいい。大好きなケーキもやけに甘ったるい。文句を浮かべながらフォークを口に運んでいると背後からふいに名前を呼ばれた。聞き慣れた声に反射的に答える。


「はい、旦那様。なんでしょうか?」

「なに、少しお前と話をしようと思ってな」


 旦那様は持っていたグラスを一つ渡してくださる。小さな気泡が浮かぶピンク色のカクテルは若い令嬢がいかにも好きそうなもの。


「恐れ入ります」

「気にするな。お前は今、令嬢として出席しているのだから」


 私は渡されたグラスを口につけながら次の言葉を待つ。華やかな空気は消し飛び冷たく重い空気が身体に纏わりついてくる。


「しかし、侍女ココットとして少し話をしても良いか」

「もちろんでございます」

「うむ。話の内容は分かっているだろうがフルオリーニのことだ。今宵ここに来たのはあいつに言われたからだろう?」

「はい」


 私のご主人様はフルオリーニ様だけれど、旦那様に嘘をつくわけにはいかない。素直に頷くと、旦那様は大きくため息を吐かれた。


「ナターシャ令嬢との婚約はまだ決定したものではない。しかし、断るのが非常に難しいのも事実だ。ナターシャ嬢の父親は外交に明るく、この国だけでなく異国とも関係が深い。この縁はコンスタイン公爵家だけでなく国にとっても重要なのだ。それに対して、ココット、お前は男爵令嬢だ。この言葉の意味が分かるな?」

「……はい」

「フルオリーニは若い。若さゆえの行動力や熱意は素晴らしいがそれが常に正しい方向に向かうとは限らない。それでも、自分が正しいと思う道を進もうとするのなら、周りを説得するだけの力をつける必要があると儂は思う」


 旦那様はどんな時も冷静で、情より常識と秩序を重んじる。騎士道のトップに君臨するには自分にも他人にも厳しく清廉潔白で無ければならないと思っているお方。


「自分の立場は分かっております」

「そうか……それなら良い。ココット、あれを見ろ」


 旦那様の目線の先には華麗なステップで舞うご主人様とナターシャ様。人目を引くご容貌の二人の周りは一際輝いているように見える。


「とてもお似合いのお二人だと思います」

「そうか」


 私の答えに満足そうに頷いてから、旦那様は眉を下げ眉間に皺をよせた。


「じゃが、時折思うのだ。あいつの幸せとは何だと」

「……旦那様?」


 普段厳しいその瞳に父親としての憂いを浮かべそういうと、旦那様は「食べすぎるなよ」とだけ仰って立ち去って行かれた。

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