帰る場所(斎藤+沖田+土方)
「いつも、すまない」
不謹慎かもしれないが、俺はこの人のこういった顔が、結構気に入っていた。
本当はとても優しい癖に、だけど組の為には本当の自分でいられないと思っていて、非常な鬼の役割を必死で演じている。
無表情で冷静な仮面の底に、ほんの少しだけ隠れ見える、泣きそうになるのを懸命に耐えるような、悔しそうな、申し訳なさそうな。
代われるのなら、自分がやりたい。そう、言い出してしまいそうな顔。
命を下した後、ほんの少し俯いて零されるその言葉と表情は、きっと俺だけに与えられた特権だ。
「いえ」
「頼んだ」
「では、失礼します」
「そんな顔、しなくてもいいんです」そう言って、年上のこの人の頭を撫でてしまいたくなる衝動を抑えて、一礼し部屋を出る。
誰からも恐れられる、新選組の鬼副長。
そんな二つ名を持つ年上の男を、可愛いと思ってしまう瞬間が来るとは、思っていなかった。
苦笑して障子を閉め、歩き出そうとした途端。目の前に、全開の笑顔が広がる。
予想もしていなかった存在とその近さに、思わず一歩飛び退くと同時に、無意識の内に刀に手がかかった。
気配に気付かない程、浮かれていたとでも言うのだろうか。
自分の不覚さに腹立ちを覚えつつ、病人にしておくにはもったいなさ過ぎる、目の前の剣豪と向き合う。
笑顔を崩さないその顔を見て、大きなため息をつきながら、刀から手を離す。
殺気を放っている訳でもなく、ただ微笑んでいるだけの男に対して、どうしてこんなにも自分の身体は、怯える様な反応を取ってしまうのだろう。
「お疲れ様です、斎藤さん」
「沖田さん……寝ていなくていいんですか?」
「寝てばかりでは、お布団に溶けてしまいます。大丈夫、今日はずいぶん調子が良いんですよ」
「そうですか」
「ふふ、斎藤さんのそういうところ。好きですよ」
「意味がわかりません」
「みんな私が出歩いていると、最近は「部屋に戻れ」としか、言ってくれませんからね」
「俺も、そう思ってますが?」
「でも、言わないでしょう」
「沖田さんに、俺の言葉が通じるとは思えませんから」
「酷いなぁ。そんな事ないですよ、ちゃんと通じてますって」
「では……」
「あ、でも。「部屋に戻れ」は、お聞きできません」
「…………」
「お気遣いには、感謝しますよ」
俺がこの男に、口で勝てるはずもない。
そしてなにより、ずっと寝てばかりいたくないというその気持ちは、わからない訳ではなかったから。
再びのため息と共に、話題を変えてしまう事した。
「副長に、御用ですか」
「そういうつもりじゃ、なかったんですけど。斎藤さんを見ちゃったので、用が出来ました」
「どういう事です?」
「深い意味はありませんよ」
「そうは思えません」
「本当ですよ。でもそうですね、ひとつだけ言うなら」
沖田さんは一度そこで言葉を切って、唇を俺の耳元に寄せる。
先程までの茶化したものとは全く違う、真剣な言葉。
だからこそ、胸の奥深くに響いた。
叶えなければならない、願いだと思った。
すぐに元に戻った笑顔で、俺が閉めたばかりの副長の部屋へと続く障子を、伺いも入れずに開け放つ。
そのまま、遠慮なく飛び込んでいく沖田さんの後ろ姿を見送って、ゆっくりと足を踏み出した。
*****
「君が賛同してくれれば、これほど頼もしいことはない」
新撰組参謀、伊東甲子太郎。
この肩書きは、後ほんの少しで、違うものに変わるのだろう。
本当に嬉しそうに、俺を迎え入れてくれるこの人が、悪い人だとは思わない。
理想もあるし、間違った事も言っていない。
少々強引なところもあるが、夢へと向かうその力に惹かれたりはしない、と言えば嘘になる。
副長が心配するほど、無茶な事をしでかしそうな人物には思えないが、これから先もずっとそうであると言えない事も、理解はしていた。
だから、俺は俺の仕事をするだけだ。
今までも、これからも。
「よろしくお願い申し上げます」
「そんなに堅苦しい言葉はよしてくれ、我等は同志なのだから」
「は……」
これからの未来に馳せる熱い視線と、力強く肩に置かれた両手に、副長の勘が今回ばかりは外れて欲しいと、そう願わずにいられない。
けれど、その願いとは裏腹に予感もする。
遠くない未来、この人の手を振り解く日が来る事を。
『土方さんを、よろしくお願いします』
その一言に込められた重さを、俺は知っている。
消え行く灯火。明るく足元を照らすその光を失った時、あの人を支えてあげられる存在は、多くはない。
代わりの光は、容易く見つかるとも思えないし、自分がその光になれるはずがない事も、わかっているけれど。
副長から、珍しい表情を引き出せる存在であるという事実は、蝋燭の欠片位にはなれる可能性を、秘めているのではないだろうか。
それでも、俺ではあんな風に、遠慮なく障子を開け放つ真似はできない。
『大丈夫。わかっていますよ』
そうやって沖田さんと同じ様に、笑って言える日が来るまでは。
一人で抱え込んでいる荷物を、本人に気付かれぬように、そっと自然に軽くしてあげられる日が来るまでは。
どうかその火を、消さないでいて欲しい。そう、切に思う。
*****
苦々しい表情で立つ、副長の隣。
今日も相変わらず言うことを聞かず、無理矢理起きてきたらしい寝巻き姿のまま、微笑む視線と自分のそれが絡み合う。
わかっていると視線だけで返事をして、そのまま副長へと視線を移し、誰にも気づかれないようにほんの僅かだけ頷く。
副長が、同じように小さく頷きを返して────。
「いってらっしゃい」
沖田さんのその声によって、一瞬俺と副長の間に流れた違和感が、完全に打ち消された。
何も知らない振りをして、屯所を出て行く一行を子供のように見送る、無邪気な笑顔。
一番の策士は、副長ではなくこの男かもしれない。
そんな風に思いながら、見送る同志達に背を向け歩き出す。
大丈夫、うまくやれる。
俺の帰る場所は、決まっているのだから……。
終
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