秘拳の二十八 ツカサへの報告
ティンダは額に汗を掻きながら黙々と積荷作業に没頭していた。
場所は数十隻の船が停船している浜辺である。
相変わらず日の光が差さないほど天気は悪く、海人が漁に出る際に使用する小舟などはすぐに転覆するほど海は荒れていた。
海岸沿いに弾ける波飛沫の勢いは尋常ではなく、迂闊に近寄れば人間など一瞬で海に攫われてしまうだろう。
だが大量の工芸品を運ぶ大型の船は違った。
海が荒れた程度で転覆するほど柔な造りではない。
そのために石垣島の職人に多額の金銭を与えて頑丈に造って貰ったのだ。
理由は簡単だった。
ティンダを初めとした交易に従事している男衆たちは、海が荒れようとも芭蕉布で織られた着物や陶器などを大型船でまずは石垣島に運ばなくてはならない。
当然である。
根森村の富を根本的に支えているのは、農耕で収穫した米でも漁で取れる魚介類でもなかった。
女たちが織った着物や職人が作った陶器などの工芸品なのだ。
これらを売らなければ根森村の生活水準は百年前まで衰えてしまう。
なのでティンダたちは織物や工芸品を大型船に次々と積み込んでいたのだが、そんな折に飛び込んできたカメの命令に男衆たちは一様に度肝を抜かれた。
やがてカメの勅令を伝えに来た男衆の一人を押し退け、根森村の統括者であるカメの元へ脇目も振らずに疾駆した男がいた。
緋色地の芭蕉布で織られた着物を纏っていたティンダである。
仕事を途中で放り出してカメの家にやってきたティンダは、戸口付近に集まっていた島人たちを無視して戸口を開けた。
土で汚れた足も洗わずに屋内へと上がり、畳張りの床の間へ一直線に向かう。
「ナズナが倒れたって本当か、カメバァ!」
ティンダは大声を張り上げて乱暴に床の間の戸を開け放った。
「静かにしな。今のナズナは大量のセジ(霊力)を消耗して極度に疲労しているんだ。だからこうしてゆっくり寝かせてやるのが最良の治療なんだよ。それに私のことはカメバァじゃなくツカサ様と言いな。まったく兄妹揃って末恐ろしいよ」
心配と焦燥で頭に血が昇っていたティンダに説明したのは、ナズナの枕元で落ち着き払った表情で正座していたカメであった。
ティンダは床の間に足を踏み入れると、布団で寝かされていたナズナに視線を落とす。
カメの言う通り、ナズナは呼吸を荒げながら眠っていた。
風邪を引いたときのように額からは薄っすらと汗を滲ませ、高熱のせいで色白の肌が朱色に染まっている。
そのとき、ナズナの枕元に置かれていたミンサー(帯)に目が留まった。
神聖な代物を触るような仕草で無地ではないミンサー(帯)を手に取る。
末永く二人の愛が育まれますように、という意味が込められた白と藍の二線が入った丁寧な作りのミンサー(帯)であった。
「だったら命の心配はないんだな?」
「ああ、それはツカサの名に賭けて誓う。肉体にセジ(霊力)が満ちれば勝手に元気になるさ」
「そうか。じゃあ一先ずナズナの件は置いておくとして」
ティンダはここからが本題とばかりにカメを睨みつけた。
「トーガを罪人として捕縛しろとはどういうことだ!」
そうである。
ティンダが一目散にカメの元へ訪れた理由は、男衆の一人が伝えに来た速やかに男衆全員はトーガを捕縛しろというカメの命令に納得がいかなかったからだ。
「そのままの意味さ。ここ数日に起こった島の異変の原因はトーガにある。ならばトーガを捕縛してしかるべき処置を取るのは当然」
「島に起こり続けた異変の原因がトーガにある? 誰が言ったかは知らないが、そんな世迷言を信じられるか!」
「その世迷言を言ったのが自分の妹だとしてもかい?」
ティンダの視線を真っ向から受け止めていたカメは、憂いを含んだ眼差しで寝込んでいたナズナに顔を向けた。
「セジ(霊力)を持たない人間には分からないだろうけど、私たちのように祭祀を司る人間には常人にはないセジ(霊力)という力が備わっている。セジ(霊力)は先天的に持つ者もいれば後天的に持つ人間もいて、中でもナズナは後天的に力に目覚めた人間さ」
「それは二年前のことを言っているのか?」
カメは一度だけ首を縦に振った。
「あのときの興奮は今でも忘れないよ。現世と異界の狭間に住まうマジムン(魔物)を視るのはセジ(霊力)を得た人間でも難しいのさ。私ですら今まで二匹しか視えたことがない。それをナズナは一度に五匹以上も視えたと言ったんだ」
ティンダは要領を得ないとばかりに目眉を細める。
「それほどナズナが授かったセジ(霊力)が高かったということさ。そして、そんなナズナがここにきてオン(御獄)の中で琉球国の創世神であるアマミキヨ様からお言葉を賜った。何十年と繁栄が続いた黒城島に異変を起こした元凶についてだよ」
顔面を蒼白に染めたティンダにカメはきっぱりと言い放った。
「ナズナは意識を失う寸前、私にこう言ったのさ。トーガを捕まえて、とね」
ティンダは平衡を崩すほどの衝撃を受けた。頭の片側にじくりとした鈍痛が走り、甲高い耳鳴り音がさらに偏頭痛を増長させる。
「アマミキヨ様がセジ(霊力)の高いナズナにお伝えになったんだよ。黒城島に起こった異変の原因がトーガにあるとね。だから私はツカサとして男衆に捕縛を命じたのさ」
一拍の間を空けた後、ティンダは腹の底から搾り出したような沈痛な声で尋ねた。
「なぜ、トーガが黒城島に異変を起こす必要がある? それにトーガはカメバァやナズナのようにセジ(霊力)なんて不思議な力はないはずだ」
「そこだよ」
カメは自分の膝を強く叩いた。
「私も冷静になってそこが一番気になったんだ。普通に考えて島全体に異変を起こすような力がトーガにあるはずがない。けれども私が異変の元凶は誰かと訊いたとき、ナズナは間違いなくトーガと答えた。私だけじゃなく他のチッチビたちも証人さ」
「だからトーガを捕まえて事情を訊く腹なのか?」
「それしか今のところ手はなかろう」
ティンダは目頭を押さえて深く嘆息した。
(なぜアマミキヨ様は異変の元凶がトーガにあるとナズナに伝えたんだ?)
そうティンダが頭を悩ませたときだ。
「ツカサ様、大変です!」
突如、サンダが血相を変えて床の間に飛び込んできた。
「まったくティンダの次はサンダかい。そんな立て続けに大声を張り上げたらナズナが起きてしまうよ」
「ですが、どうしてもツカサ様の耳に入れたいことがあるという男衆の人が来ていまして。その内容というのが」
「失礼します!」
身振り手振りで事の成り行きを説明しようとしたサンダを退かし、今年で二十歳になる男衆の一人が床の間に遠慮なく入ってきた。
ゲンシャの取り巻きの一人であったニクロである。
「誰かと思えばニクロじゃないか? どうだい、首尾よくトーガは捕まえられたのか?」
ティンダと同様に遠くから走ってきたのだろう。ニクロは激しく肩で呼吸をしていた。
「ちょっと待ってくれ。まさかカメバァはゲンシャにトーガの捕縛を命じたのか?」
「ゲンシャを含めた男衆全員にトーガの捕縛を命じたんだよ。でも真っ先に行動を起こしたのはゲンシャだけさ。他の連中は何かと理由をつけて動きたがらなかった」
(当たり前だ。根森村の中でどれだけの人間がトーガの世話になったと思っている)
カメは大和人の血を引くトーガを何かにつけて嫌悪していたが、一度でもトーガの治療を受けた人間ならば嫌悪どころか感謝の念を抱くはずだ。
それほどトーガの医術の腕前は達者なのである。
また琉球人と大和人の間に生まれた半端者だと罵られても性根を曲げずに治療を続けた成果が実を結び、今ではトーガを嫌悪する人間など極少数だ。
それどころか罵声を浴びせられても老若男女分け隔てなく治療するトーガの人柄に好意を示し、治療費に加えて米や魚を渡す人間も多く存在している。
特に日頃から肉体を鍛えている男衆は怪我が絶えないため、接骨術にも長けていたトーガを何かと重宝していた。
ならばカメの命令とはいえ素直に捕縛できないことは当たり前だ。
もちろん動かなければならないほどの確たる証拠があれば話は別だが。
「実はそのことでツカサ様に報告にやってきたんです」
ニクロは呼吸を整えると、カメとティンダの二人を交互に見ながら言った。
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