第8話 豊芦原中つ国の豪族

 今日も日が山へと沈む。

 早夜と速風は広場での仕事を終えて、自分たちの小屋へと帰る。

 大きな濃緑色の着物と、薄い紺色の着物をきた二人が、並んで家路を歩く。

 速風の頭に巻いた布も、汗で汚れている。そんな中でも速風の首飾りは、一際輝いて見えた。


「明日は洗濯したほうがいいな」

「ああ、そうだな。頭にまいているものも大分汚れてきてしまった」

「ひさしぶりに風呂にでも入るか」

「風呂か。早夜の小屋にはないようだが、村のどこかにあるのか?」

「山に温泉が出てる」


 そう言って早夜は目腺で、海辺とは反対に連立する山々を見上げた。

 もうすぐ山へと日が隠れようとしている。


「ああ、いいな、温泉は」

「そうだろ? だから明日は行こう」

「ああ。楽しみだ」


 速風は本当に楽しみな様子で満足気に口元をあげた。


「それと……」


 家路への道すがら、早夜は速風に聞いてみた。


「なあ、おみって知ってるか?」

「知っている。この国のこの地方を治めている偉い役人だろう」

「それは知ってるのか」


 早夜は歩きながら少し考え込んで速風を見た。

 ほとんど何も覚えていない速風も、臣のことは知っている。

 それが、早夜にやはり一つの確信を持たせた。


「速風、俺は速風が豪族の一族だと思ってる。そうじゃなきゃ、そんな高価な首飾りなんて持てないと思うんだ。だから、こんど臣たちが来たら、俺が速風のことを知っているか、聞いてやるよ」

「早夜……」

「臣は速風のことを知っているかもしれない。知らなくても聞くだけなら損なことじゃない」

「ありがとう」


 早夜が速風の方を見ると、彼はとてもいい笑顔で笑っていた。


「でも臣はこの豊芦原中つ国の王である大君おおきみの親族だ。きっとわたしとは縁がないと思う」

「臣が大君の親族? それは俺が知らなかった。それだけ詳しいならやっぱり繋がりがあるんじゃないか」

「さあな」


 ゆっくりと歩いて早夜の小屋を目指す。


「早夜は優しいな」


 速風は呟いた。


「そうか? 俺はあんまり自分が優しいとか考えたことないけど」

「優しいよ。得体も知れないわたしを助けてくれたばかりではなく、こうして村で生活させてくれている。小屋も食糧も快く提供してくれた」

「食べ物は速風だって働いているんだから、食べていいんだよ」


 早夜は速風の厚い胸板を拳で小突いた。


「そうか」

「そうだよ。速風はもう村の一員だ」


 早夜は速風を見て笑う。

 その笑顔に速風の胸はきゅっと締め付けられるように切なく疼いた。


「早夜」

「なんだ?」

「わたしは早夜のそういうところが好きだよ」


 無意識に人にやさしく出来る早夜が。


「な、何言ってるんだよ、照れ臭い」


 突然言われたことに早夜はうろたえる。

 速風はまたにこりと早夜に笑顔を向けた。




 時は少しさかのぼる。

 臣の館。

 先日の嵐にも負けずに臣の木造の館は、壊れずにきちんと建っていた。

 しかし、都の家や小屋は、先日の大嵐で甚大な被害を受けたのだ。

 日雫村のように小屋は吹き飛ばされ、木々は倒れた。


 それを憂えながら、ひのきの柱が幾本もたった廻廊を、伴をつれて臣が歩いている。

 朱色を基調とした衣装は、この地方の誰よりも贅をこらした装いだった。


 臣が向かうのは、占い師の巫子がいる部屋だ。

 巫子は老女で最近足が悪くなってしまったため、こうして臣自身が出向いて占いをしてもらう。

 この豊芦原中つ国では、占いによる吉凶が、国の政治をも動かす。


 巫子の部屋に入ると香が焚きしめてあり、おもわず臣はその強い香りにむせそうになった。


「臣、ようこそいらっしゃいました」


 しわがれた重々しい声が室内に響く。


「うむ。話は聞いているか」

「はい。すでにみそぎも済ませてきております」


 白い着物を来た巫子はふかぶかと臣に頭を下げる。

 臣は巫子の前に設えてある一段高い板張りの、敷物のある場所にあぐらをかいた。


「もう一度確認する。このたびの数々の嵐の原因を追及せよ、という占いだ」

「はい。承知しております。天照大神あまてらすおおみかみに伺ってみましょう」


 巫子はそう言うと、自身の前の布の上に色つきの小石をいくつか投げだした。

 その布には、臣がみたこともない文字だろうものが、沢山かかれ、図形も描かれていた。

 巫子は歌をうたうように祝詞を唱えながら、その上に小石を投げる。

 小石をなげながら、うーんと唸り声をあげて、目をつむり、また小石を投げた。

 かたん、かたん、と小石同士が打ち合う音がする。

 床に落ちる、ことん、という音も。

 暫くそうしていた巫子は、ふと目をあけて石の落ちた形を見た。

 静寂がこの館の一室を包む。


うらは出たか」

「はい」

「どう出た」


 落ち着いた、威厳のある声音で臣は巫子に聞く。

 すると巫子は恭しく頭を下げて、しわがれた声で結果を口にした。


「嵐の元凶は、ここから南に行った漁村にあると、天照大神はおっしゃっておられます」

「その漁村の名は?」

日雫村ひだむら、だと」

「ほう」


 臣は目を細める。


「その日雫村に入った何かが、ここのところの嵐を引き起しているようです」


 それだけを聞くと、臣はすくっと立ち上がり周りの家臣たちを見た。


「聞いたか。我が巫子は日雫村に嵐の元凶があると見た。太陽神、天照大神の託宣だ! 至急、出立できるように用意せよ!」


 そう宣言した臣に、家臣たちは息をのんだ。一番ちかくにいた者が臣に伺いを立てる。


「何も臣自身が出向かれなくてもいいのではないのですか?」

「なに、私もこの目で嵐の元凶とやらを見てみたい。その魑魅魍魎を退治するのだ。さすれば嵐も治まるだろう」


 臣は家臣を見て不敵に笑った。

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