中編

 魔王城の最奥、玉座の間。

 そこにおわすは、もちろん、我らが魔王陛下だ。

 俺は門番に取り次ぎ、陛下の許可を得て玉座の間に足を踏み入れた。


「カスージョか、何の用だ?」


 物憂げな、けれども威厳に満ちた呼びかけ。

 ただし、その声音は幼く、か細い。


 魔王陛下は、玉座の上で頬杖をつき、脚を組んで俺を見下ろしていた。


 ――うおおぉぉぉ、ナマ魔王サマやあぁぁぁ!!??


 その麗しき御姿が目に入った瞬間、俺の意識はブッ飛んだ。


 ヤバい、鼻血出る!

 魂抜けかけたわ!


 魔王アジュラザード様。

 幼い少女のようなお姿だが、頭から生えた雄ヤギに似た二本の角と紫がかった肌の色が、彼女が魔族の長であることを物語っている。


 その容姿は華奢と呼ぶにも余りあり、ヒトの幼年期と比べてさえ小柄で幼い。

 触れれば砕けてしまいそうな、瑠璃のようなお姿ながら、眼差しは魔の王にふさわしい威厳に満ち、鋭い光を放っている。


 何を隠そう、このアジュラザード様、前世の俺のイチ推しキャラクターである。

 主人公サイドの勇者パーティーもカッコ良くはあるが、魔王様の魅力は俺にとって別格だった。


 幼さと威厳、残虐さと繊細さ、強さともろさ。相反するはずの特徴を同時にあわせ持ち、ひれ伏したいほどのカリスマ性がありながら、全力で守ってあげたくなる庇護欲もかきたてる。


 何よりも、人智を超えたこの美しさ。

 原作マンガも、もちろん素晴らしい作画ではあったけれど、目の前でホンモノの魔王アジュラザード様がフルカラーで生きている感動は、言葉では言い表しきれなかった。


 尊い……。あまりにも尊すぎる……!!


 自分カスージョの姿を鏡で見たときはなんの感慨も湧かなかったけど、この感動は天にも昇るほどの思いだった。


 何も、俺の感性が特殊というわけじゃない。

 魔王アジュラザード様は読者人気投票でも、主人公の勇者とヒロインの魔法使いに次ぐ、堂々の三位だ。

 敵役でありながらも、多くの読者に愛されたお方なのだ。


「何の用か、と余は聞いているのだカスージョ。早く答えぬか」


 はっ……!

 再び魔王陛下に呼びかけられ、俺は我に返った。


「も、申し訳ありません……」


 二度も最推しに呼びかけられ、俺の声は感動に震えてしまう。

 残念ながら『勇者ディアンの冒険』は俺の生きているうちにアニメ化はしなかった作品だけど、アジュラザード様の声は、俺の脳内で描いていたイメージそのままだった。


「ふん。おおかた、また小ざかしい策でも弄していたのであろう」

「早く問いに答えよ。陛下はキサマなぞに長らくかまっていられるほど、おヒマではないのだぞ」


 玉座の両脇から、険悪な声が聞こえてくる。

 魔王様のお姿に心を奪われて意識してなかったけど、そこにはふたりの偉丈夫の姿があった。

 雷獣帝レアオンと暗黒騎士団長タルタロス、カスージョと同じ六魔将軍の地位にあるものたちだ。

 レアオンはプロレスラーのようなムキムキの体格に、立派な金色のたてがみ、獅子の顔を持った獣人の魔物だ。

 いかにも武人肌といった男で、原作の最後まで魔王軍に忠誠を尽くし、最後には壮絶な死を遂げる。

 タルタロスは全身に漆黒の金属鎧をまとい、顔も同色の兜で覆った騎士の姿をしている。

 魔王軍の中でも彼の姿を見た者はなく、その正体には重大な秘密が隠されているのだけど、とりあえずいまは、それは置く。


 ふたりはいかにも魔王陛下の側近という感じで信頼も厚く、だいぶカスージョとは格差を感じる存在だった。

 ナマで動く彼らの姿も感動ものだけど、再び意識がぶっ飛ぶほどじゃなかった。


 というか、彼らの言うとおり、早く陛下にお答えしなければ、失礼過ぎる。


「魔王陛下に申し上げたき議がございますッ!」


 俺は玉座の前に身を投げ出し、そのまま平身低頭ひれ伏した。

 THE DOGEZAである。

 

 ひとたびその姿勢を取ると、魔王陛下のお姿の尊さと、自分のやらかしたことの申しわけなさで、とても玉座に目を向けられなくなる。

 床に這いつくばったまま、自分の失態を報告した。


「……すべては功を焦ったあたしの浅はかさが招いた事態。申し開きのしようもございません。かくなる上は、いかなる罰も甘んじて受ける所存にございます」


 最後に、全力の謝罪で俺は報告を締めくくった。

 しばらくのあいだ、なんの反応もなかった。


 魔王陛下も、レアオンもタルタロスも何も言ってこない。

 それでも、俺は土下座の態勢を崩さなかった。


「……おもてをあげよ」

「はっ」


 魔王陛下に、威厳に満ちた声で呼びかけられ、俺はおそるおそる顔をあげる。

 陛下は目をかすかに細め、俺を見下ろしていた。


 その表情から受ける印象は、意外なほどに柔らかい。

 数えきれないほど原作を読みかえしまくった俺も、魔王アジュラザード様のこんな顔は初めて見た。


「近う寄れ、カスージョ」


 えっ、ムリっ!?

 これ以上、最推しに近づくなんて、尊さで焦げ死ぬ。

 最側近のふたりならともかく、カスージョごときが近づいていい存在じゃない。


「し、しかし……」

「何をしておる。はよう」

「……恐れ多きことにございます」

「いかなる罰も受ける、と申したのは偽りか?」


 優しさの中に威厳を込め、魔王陛下は重ねて俺を呼ぶ。


「はっ、ご命令とあらば……」


 そこまで言われて、ためらうわけにもいかない。

 俺は腰が砕けそうになりながらも、なんとか立ち上がり、吸い寄せられるように玉座に近づく。


「もっと……もっと近くだ」

「は、はい……」


 や、ヤバい。マジでムリ。

 もう手を伸ばせば届く距離に、魔王様がいる。

 近くで見れば見るほど、神々しすぎる美少女だ。


 たとえ、このまま魔王様の手で首をひねられ絶命したとしても、一片の悔いもない。

 と、思っていたら陛下は手を伸ばし、俺の頬にそっと触れた。


 う、おおぅ!?

 触れられた頬がカッと熱くなり、俺は激しく混乱した。


「勇者打倒は我らが魔王軍の悲願。動機がどうあれ、おまえの行動になんの咎があろうか」

「はっ、はいッ……!」


 もっと気の利いた言葉をと思うものの、上ずった声で返事をするのが精いっぱいだった。


「奇襲も大いにけっこう。だが、次は成功させよ」

「はっ! か、必ずや……ッ!」


 陛下の小さなお手は、まだ俺の頬を撫で続けている。

 俺はもうガックガクに緊張しまくりで、頭の半分は白く飛びかけていた。


「……すまなかったな」

「えっ、あっ……はっ?」


 幻聴か?

 魔界の神にして至上のお方である魔王陛下が、俺に……謝った?

 そんなバカな……!


「余は当初、おまえの忠誠心を疑っていた。いかに美辞麗句を並べ立てようと、内心では己の保身しか考えられぬ信用ならぬヤツだ、とな」

「そ、それは……。陛下にそのように思わせてしまったこと、こちらこそ申し訳なく存じます」


 ほんとになぁ。

 カスージョ、おまえ、よくこの魔王陛下を裏切れたものだな。

 原作ルートの未来を思うと、いくら謝っても足りない気がした。


「うむ。だが、お前の先ほどの申し開きには、たしかな忠義と熱意が感じられた。魔界の王と恐れられた、余の心を熱く溶かすほどにな」

「も、もったいなお言葉にございます」


 いかん。

 感極まってちょっと、涙が出てきた。


 アジュラザード様のこんなセリフは、原作には無かったお言葉だ。

 本来、カスージョは自分の失敗をひた隠そうとするのだから、それも当然のことだ。


「魔族の長き生をかけ、これからも余のために身も心も尽くせ。罰というなら、それが罰だ」

「の、望むところにございます。あたしのすべては魔王陛下のもの。陛下の本懐を果たすまで、モノとも思い、使い果たしてくださいましたら、本望でございます」


 混じりっけない本心から、俺は答えていた。

 アジュラザード様のまなざしからは、たしかな信頼が感じられる。

 側近の二人は、まだ疑わしそうだけど、そんなことはどうでもいい。


 魔王様さいおしのために尽くせるなら、それ以外何がいるだろう?

 この方のためなら、喜んで死ねる。


 俺は、本気でそう思い始めていた。

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