第18話 イライラするわ
「樹里は宿題大丈夫なんですか?」
陽奈に声をかけられた樹里がVサインを突き出す。
「私は大丈夫。計画的に進めるつもりだし、普段から陽奈に教えてもらってるし。だから今日は……」
ゴソゴソとバッグのなかをまさぐり、タブレット端末のようなものを取り出す。
「あ、電子書籍リーダー。買ったんですか?」
「うん。陽奈に教えてもらったときから気になってたんだ」
樹里が取り出したのは最新型の電子書籍リーダー。軽量で目も疲れにくいと評価の高い製品だ。
「夏休みの宿題に読書感想文があるからさ。今日はこれで読書して時間があれば感想文も書こうかなって」
「なるほど」
電子書籍リーダーを起動した樹里が、白っぽい画面に目を落とす。どのような本を読むのか気になった陽奈が隣からそっと画面を覗き込んだ。
リーダーの画面上部に表示されている本のタイトルを確認する。どうやら、海外ミステリーの日本語訳版のようだ。
ミステリーなんて読むのか、と少し意外に感じながら立ち上がった陽奈は本棚の前に立ち、一冊の本を取り出すと再び樹里の隣へと腰をおろした。
かすかに聞こえるエアコンの稼働音とペンを走らせる音。騒がしいギャルが三人もいるとは思えないほど、静かに静かに時間はすぎていった。
──自動ドアの反応が悪い。町内で一番大きな書店の入り口。自動ドアの前に立った白鳥沙羅は露骨に顔を顰めた。
「ちょっと……センサー壊れてんじゃないの!?」
自動ドアの前で感情を爆発させる沙羅の背後では、取り巻きの盛川由美と原田桃華が顔を見あわせて苦笑いを浮かべている。
自動ドアが左右へスーッと開いても、なお沙羅の顰めっ面は変わらない。由美と桃香を引き連れ、肩を怒らせながらズンズンと店の奥へと歩いてゆく。
「ねぇ、何で沙羅ちゃんこんなに不機嫌なの?」
隣を歩く桃香に由美が上半身を寄せるようにして小声で囁く。
「朝からお母さんに宿題しろってめちゃ怒られたらしいよ」
「ああ……」
背後でコソコソと話す声が聞こえたのか、突然沙羅が勢いよく振り返る。
「何? 二人で何コソコソ話してんのよ?」
「や、何でもないよ」
笑って誤魔化そうとする二人をじろりと睨んだ沙羅は、「ふん」と鼻を鳴らし再び歩き始める。さっきより足早になったため、二人は慌ててあとを追った。
イライラする──
沙羅は思わず舌打ちしそうになった。朝からお母さんに怒られるわ自動ドアの反応は悪いわ。
仲良しの由美と桃香が人の顔色を窺うように接してくるのも、何から何までイライラする。
夏休みだからか、平日にもかかわらず店内には同年代の子どもたちもちらほら見受けられる。
沙羅は目だけを動かして周りを確認しつつ、慣れた様子で目的のコーナーを目指した。
沙羅が足を止めたのは、ファッション誌コーナー。華やかなデザインが施された雑誌がいくつも積まれている。
沙羅が一冊の雑誌を手に取った。表紙には満面の笑みを浮かべてポーズを決める人気モデルの写真があしらわれ、ポップな書体で『Girl & Girl』とデザインされている。
「沙羅ちゃん、ガルガル買いに来たの?」
隣から覗き込む由美を横目でちらりと見た沙羅が小さく頷く。
そう、ガルガルは毎月買っている。特に最近は、推しの読者モデルがよく登場するので楽しみにしているのだ。
ペラペラとページをめくっていき、お目当ての推しを見つける。あった。やっぱりキレイだなー……それにスタイル凄い。
誌面のなかで圧倒的な存在感を放つ一人の読モに沙羅が釘づけになる。
「あ、ジュリだ」
沙羅を挟むように立っていた桃香が誌面を覗き込み口を開く。
「……ちょっと桃香。何呼び捨てしてんのよ。ジュリさん、でしょ?」
ギロッと睨まれた桃香が「あ、ごめん」と肩をすくめた。沙羅がジュリ推しなのは桃香も由美も知っている。
「はぁ……ほんっとジュリさん素敵だわ〜……見てるだけでイライラも薄れていく……」
恍惚の表情を浮かべ、閉じたガルガルを大事そうに胸へ抱く。と、──
「あ、『
サラッと口にした桃香に対し、由美が「余計なことを」と言わんばかりに迷惑そうな目を向ける。ちらりと沙羅を見やると、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべていた。
小さな扱いとはいえキューティーンに掲載され、クラスのヒーローになるはずが神木陽奈のおかげで台無しにされたことは、沙羅にとって忘れたい過去である。
あのときの屈辱と怒りを思い出し、沙羅のこめかみに浮かんだ青筋がピクピクと脈打った。
あー……思い出したらほんと腹立つ。どうしてあの神木が……! ムカつくムカつくムカつく!
「あー……っと。あたしちょっと漫画のコーナー行ってくる」
「じ、じゃあ私も」
不穏な空気を感じ取った桃香と由美がそそくさとその場を離れてゆく。沙羅は目を閉じて大きく息を吐いた。
とりあえず会計してこよう。そう思いその場を離れようとした沙羅だったが、先ほどまで桃香が立っていた場所のすぐ隣で、男性がファッション誌に目を通している様子が目に入った。
パーカーのフードをかぶっているため顔は見えないが、食い入るようにキューティーンを読んでいることだけはわかる。
男は読んでいたキューティーンを戻すと、今度はガルガルを手に取り誌面へ視線を這わせ始めた。
その様子に、何となく不気味なものを感じた沙羅が思わず後ずさる。え、ガルガルって男の人も読むもんなの?
女子向けのファッション誌よね? てか、あの人めっちゃ真剣な顔して読んでない? 何かキモっ。
訝しげにちらちらと男を見ていると、その視線に気づいたのか男が沙羅のほうへ顔を向けた。じっとりと舐めるような視線を向けられ、沙羅の全身に悪寒が走る。
ヤバっ。キモっ。こいつ絶対ヤバい奴だ。直感的にそう感じた沙羅は、ガルガルを胸に抱えたまま一目散にレジへと駆けだした。
慌てて走り去る沙羅を生気の感じられないガラスのような瞳で眺めていた男は、再びガルガルの誌面へと目を落とし、栗色の髪が印象的な一人の読者モデルが掲載されたページへじっとりと視線を這わせ始めた。
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