【短編】ガリ勉優等生・山本博士の霊障事件手帖

淡雪みさ

変人優等生・山本博士




 降り続く雨が終わりかけていたはずの夏の蒸し暑さをぶり返していた。

 霊冥高等学校弓道部の出場した全国大会が終了して間もない九月上旬、人知れず部を引退した元レギュラーの三年生山本博士やまもとひろしは、窓際の最前列で今日も変わらず挙手をしていた。


「では、ここ、分かる人いるかな」

「はい」


 教室内によく通るしっかりとした声で自分の存在を強くアピールし、耳の横で肘を曲げずピーンと腕を伸ばす模範生博士。

 しかし、教卓の向こうに立つ化学教師は少し困った様子で「……山本くん以外で」と彼から視線を逸らした。


 それもそのはず、この博士という男子生徒が挙手をするのは本日で既に十三度目。

 十回を超えた辺りから化学教師は博士を当てなくなったが、彼は気に留める様子もなく何かある度にその手を挙げる。

 多くの生徒は高校生になると恥じらいや照れを身に付け目立たないことに美徳を感じ始めるが、この博士は小学生の頃と何ら変わらず、冷ややかな教室の空気を打ち破るように思い切った挙手をするのだった。

 化学教師に当てられずとも挙手を続けるその姿勢。鋼のメンタルの持ち主であることは間違いない。



 チャイムが鳴った。

 優等生らしく授業後の疑問点を教師に質問し早々に解決した博士は、中庭のベンチで紅茶を飲みながら読書に勤しもうとランチボックスを持って教室を出た。弁当袋が多少ファンシーなのは、彼の妹が家庭科の授業で作ってプレゼントしたものであるためである。

 彼には些か英国に染まる自分に陶酔しているきらいがあり、最近ではイギリスから取り寄せた紅茶を水筒に入れて昼休みに楽しんでいるのだが……しかしそんな彼の優雅なティータイムは予想外の来訪者によって妨げられた。


 博士が廊下に出るとすぐそこに立っていた、すらりと背の高い硬式テニス部の部長。名は佐藤健一。クラスの女子に大人気の、博士の幼なじみである。


「佐藤くんではありませんか」


 愛想良く笑いかける博士。腕組みをして博士を見上げた佐藤は、その胡散臭い笑顔を見て大きな溜め息を吐いた後で、言った。


「――できれば頼りたくなかったんだけどな」


 彼が博士にわざわざ会いにきたのには理由がある。


「お前の力を借りたい」

「やれやれ……また事件ですか」


 右手の中指を使って愛用眼鏡のブリッジを上げた博士は、波乱の予感に胸を踊らせるように、フッと口角を上げたのだった。



 ◆



「ねえ、博士くんって眼鏡外すとカッコよくない? この前体育の授業で外してるとこ見ちゃったんだよね~」

「分かるぅ~。あのクソ真面目な性格じゃなけりゃねえ」

「ええ? そこがいいんじゃん」


 前の席で机同士を合わせて昼食を取っている女子生徒たちを前に、私は一人で購買で買った焼きそばパンをもそもそと食べていた。


 今日もクラスは山本博士の話題でもちきりだ。

 県内有数の進学校である我が霊冥高等学校。その中でも彼は一際目立っている。


 勉強では全国模試一桁をキープ、数学オリンピックでもメダル組、部活でも全国大会に出場し記録を残したのだとか。

 幼い頃イギリスに住んでいたらしく英語もペラペラだ。なぜか中国語も喋れるらしい。本当になぜなんだ。


 とにかく山本博士という男は、同級生ながら私とは生きる次元の違う超人である。

 できすぎていて嫌味の一つでも言われそうなものだが、クラスで彼の悪口を聞いたことはほとんどない。


 おそらく彼がそれ相応の努力をしているからだろう。

 彼は何もしなくても元から天才な嫌味な奴というわけではなく、努力の天才だ。


 部活では誰よりも練習していたと聞くし、授業も無遅刻無欠席、居眠り一つせず、毎度同様の高い意識と熱意で取り組んでいる。学校にも毎日朝一番に来て勉強しているらしい。


(あんなに一生懸命生きる気力、私にはないな)


 正直、私が人生で最も勉強していたのは中学三年生の時だ。

 進学校であるこの学校に入った途端、燃え尽き症候群のように勉強への熱意を失ってしまった。


 高校三年生のこの時期、周りが次々とどこの大学に行きたいとかどこの学部に行きたいとか明確な目標を持つ中で、私には生きる目的のようなものがまるでない。


 そこそこに勉強して、そこそこの大学に入って、そこそこの仕事に就けたらいい。生きる上での高い志なんてない。頑張るのって疲れるし。



 パンを食べ終わった私は立ち上がり、教室の後ろのゴミ箱にパンの袋を捨ててから廊下に出た。クーラーの効いた教室から出た途端むっとした空気が私を包みこんでくる。九月に入ったというのにまるで秋が近付いてくる気配がしない。

 いつまでも続く夏に嫌気がさしながらも高校三年生の教室がある女子トイレに向かっていると、ドタドタと後ろから何かが走ってくる音がした。


 一体何かと思い振り向けば――落ち武者がいた。


 重厚な鎧。片側の装飾が欠け落ち、前立の歪んだ兜。刃こぼれが激しく、鞘の失われた刀。

 長く伸びきった髪は乱れ、乾いた血のようなものや泥が固まって絡みついている。


「……ええ?」


 私はぱちぱちと瞬きを繰り返し、咄嗟に落ち武者の進行方向から逃げるようにして廊下の端っこにずれた。


 落ち武者は私の横を通り過ぎていき、トイレの角を曲がって消えていく。


「――お待ちなさい!」


 その後ろを早足で駆けていくのは山本博士だ。


 育ちがいいのだろう、歩く時の姿勢が異様にいい。

 見たところ急いでいるようだが、絶対に廊下を走らないところが彼らしかった。


 山本博士はトイレの前で立ち止まり、困ったように眼鏡のブリッジを中指で上げる。


「一体どこに……」


 もしや、さっきの超リアルな落ち武者コスプレの男を捜しているのだろうか。

 やけに困っている様子だったので、「……あの」と恐る恐る声をかける。


 その瞬間、山本博士の頭がぐりんッと勢いよくこちらに向けられた。


「おや、真中さん。こんにちは」

「え……。私の名前知ってるんだ」


 一度も喋ったことがないのに名前を呼ばれたことが意外だった。


「当然ですよ、真中まなか 優眠ゆみさん。クラスメイトではありませんか」


 ふふっと得意げに微笑まれ、何だかむず痒い心地になる。

 一年生の時からずっとぼっちで存在感のない私の名前を覚えているなんて、きっとこの人くらいだろう。


「……あのさ、さっきの落ち武者捜してる?」

「落ち武者?」

「さっき走っていった落ち武者のコスプレした人なら、そこ曲がっていったよ。あれって文化祭用の衣装? 準備するの随分早いね」


 受験生ということで今は引退しているが、山本博士は元生徒会長だ。

 十一月に控えた文化祭準備のため、現生徒会を手伝っていても不思議ではない。


 ――途端、いきなり山本博士が私の両肩をガシッと掴んできた。


「貴女、あれが見えるのですか!?」


 山本博士の眼鏡の奥の目が光っている。

 急接近してきた整った顔に戸惑いながら、「そりゃ見えるけど……」と答えた。


 見えるも何も、あんなに目立つ格好をしていたら嫌でも目に入ってくる。

 一体どういう意図で言っているんだと探るような眼差しを返すと、変人山本博士は満面の笑みで頷いた。



「貴女のような方を捜していました。ともに学校の除霊を行いましょう」




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