第45話
私のアパートに戻ったときにはすっかり暗くなっていた。帰り道、私たちは牛丼をテイクアウトした。
「疲れたね。――ケーキ美味しかったけど、牛丼の特盛りより高いっていうのは信じられない」
遊は冗談めかしてそう言うと大きな声で笑った。私は遊の隣に座って、牛丼をつつきながら「また、行きたい」と呟いた。
「もちろん。また近々行くから」
遊は優しく微笑んだ。
牛丼を食べ終えた私たちは会話も無く、ただソファに並んで座っていた。
やがて遊の頭が船を漕ぎ始めた。そして間もなく、遊は私の肩に頭を預け、穏やかな寝息を立てた。私は遊を起こさないように気をつけながら身体を捻り、そっとその顔をのぞき込んだ。無防備な寝顔を浮かべる遊がとても愛おしかった。
どのくらいそうしていただろうか。不意に遊が目を覚ました。薄っすら瞼を開き、焦点の定まらない眼で私の顔を見つめた。遊は、なんだよ? と微笑んだ。私は遊にゆっくり顔を近づけた。
遊の唇に自分の唇を重ねた。
抑えられなかった。舌で強引に遊の唇をこじ開け、 遊の口の中をまさぐった。遊の舌を捉え、自分の舌を絡めた、その時だった……――私は遊に突き飛ばされた。
フローリングに転がり、私は驚いて遊を見上げた。遊はめんどくさそうに大きくため息をつくとソファから立ち上がった。荒々しく私の腕を掴む。
「ごめん……」
私は震える声で謝った。遊は何も答えず、強引に私の手を引いた。私はトイレに連れて行かれた。
「な、なに……?」
口ではそう訊ねつつも、私は遊の目的は分かっていた。――ただ分からなかったのはその理由だった。私は怯えながら遊を見上げた。
遊の手にはいつの間にか私へのプレゼントであるネックレスの入った小袋が握られていた。遊は紙袋の封を乱暴に破り、小箱を取り出すと、紙袋をその場に投げ捨てた。そして小箱から無造作にネックレスを掴み出した。
「な、なんで……? なんでそんなことするの……?」
「手、出して。両手」
遊は冷たい声で私にそう命じた。私が素直にそれに従うと、遊は私の両手を掴んだ。そしてトイレタンクに繋がる水道管に私の手を縛り付けた。ユニットバスの無機質な壁にネックレスがきらびやかな光を反射させた。
遊はトイレのドアを荒々しく閉めた。――それから遊は三日間戻って来なかった。
三日間、私はトイレで過ごした。逃げようと思えば逃げられただろう。ネックレスの強度なんてたかが知れている。引きちぎることなんて簡単だった。
しかし私はそうしなかった。
ネックレスを壊したくなかった。遊との楽しい思い出を壊したくなかった。――遊との関係性を壊したくなかった。
私は水も飲まなかった。私の口の中にわずかに残った遊の唾液がずっと私に話しかけてくれた。
「
私はデートの途中で気がついていた。お出かけは遊が立夏を落とすための下見に過ぎないということに。
それでも私は楽しかった。
そして遊も――私が余計なことさえしなければ――同じ気持ちだったことを知り……―
私は幸せだった。
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