第29話 可愛い旦那様

「ずいぶんと、スッキリしたな」


 私の部屋のクローゼットの中を見て、ニコロがしみじみ呟く。

 正直なところを言うと、私もちょっと驚いてるくらい。


「むしろこんなにたくさん、いらないドレスがあったなんてね」


 そう。今日ようやく、ダミアーノ殿下の隣に立つために作られたドレスを、全て処分できた。

 そうして手元に入ってきた大量の使い道のない金貨と、もはやすっからかんになってしまったクローゼットの中身に、私たちは二人して驚き立ち尽くしてしまっていたというわけ。


(思ってた以上だったかも)


 いらないと言ったのは私だし、それは今もそう思ってるし本心だったけど。

 まさかここまで、いらないものに占領されていたとは思わなかった。


(というか、むしろ)


 私の持ち物のほとんどが、あのバカ王子と隣り合って立つための物だったなんて。

 なんか、こう。今さらながら、ちょっとだけ腹が立ってくる。

 あんな男のために着飾らされていたなんて、バカバカしくて仕方がない。


「どうする? 君に使う予定があるのなら、クローゼットはこのままにしておくが」

「ん? どういうこと?」


 そもそも他に使い方があるということ?

 物置にするには、私の部屋だからニコロも勝手には入れないだろうし。


「使わないのなら、片方を潰して部屋を広くすればいいだろ?」

「……ん?」


 それは、つまり……。


「魔術で?」

「そうだ」

「部屋を広く?」

「そうだ」

「できるの?」

「もちろん」


 即答どころか、なにを当たり前のことをと言わんばかりの顔で、ニコロはアンバーの瞳をこちらに向けてくるけど。

 知らないから! 魔術でなにができるとか、私はなんにも知らないからね!

 でも。


「じゃあ……お願いしても、いいですか?」

「なぜ敬語?」

「なんとなく?」

「……まぁ、いい」


 これ以上追及してもムダだと分かったんだと思う。というか、本当になんとなくでしかなかったと理解したのか。

 どっちにしても、疑問を解消することを早々に諦めたニコロは小さくため息だけついて、扉から遠いほうのクローゼットに向き直った。


 かざした手の先に、以前のような魔法陣が現れる。

 最近見てなかったから、思わず見惚みとれちゃうけど。淡く光を放っているようにも見える魔法陣は、何回見てもキレイだと思う。


 そして、みるみるうちに形を変えていき。

 いつの間にかクローゼットのあった場所は、完全に部屋の一部と化していた。


「こんなもんか」


 今は何も置かれていないから殺風景だけど、かなりのスペースが確保できた。これだけの広さがあれば、本棚とティーテーブルとそれ用のチェアを置いても、まだかなり余裕がある。

 でも、それよりも。


「はぁ。何度見ても、魔術ってすごいね」


 思わずため息まで零れちゃったけど。このビフォーアフターは本当に、何回見ても感心する。

 これを生で見られることに、価値があると思うんだよね。


「魔導士なら誰でもできる、簡単な魔術だけどな」

「魔術を扱えない人間からしたら、ものすごいことだよ!」


 そもそも家の改築とか工事って、結構お金も手間もかかるんだよ。それがまさか、こんな短時間でできちゃうなんて。

 専門職の人たちのお仕事を奪うようなことだから、必ずしもこれがいいことだとは言えないけど……。

 でも自分の家くらいなら、好きにしていいと私は思う。本人が簡単だって言うのなら、なおさら。


「そう、か」


 少しだけ恥ずかしそうな、でもまんざらでもなさそうな表情が見えたのは、ほんの一瞬で。

 ふいっとそっぽを向いてしまったニコロの耳と頬は、ちょっとだけ赤くなってた。


(褒められ慣れてないのかな?)


 だとしたらこれ以上この話題を続けるのは、逃げられる可能性があるからやめておこう。

 それに今は、この空いたスペースをどう活用するのかを考えるのが先だと思うし。


「どうしようかなー。何を置こう」

「必要なら作るか?」

「それはやりすぎだと思う」

「そ、そうか」


 ちょっとだけ、ニコロがしゅんってなっちゃったけど。

 でもこれ以上職人さんたちのお仕事を取っちゃうのは、さすがにダメだと思うんだよね。

 それに使い道のない金貨とかは、こういうところで活用するべきだし。


「ニコロの力が必要になったら、その時はまたお願いするね!」

「あ、あぁ」


 やっぱり恥ずかしそうにそっぽを向いちゃうニコロ。

 こういうところが可愛いと思うんだけど、たぶん口にしちゃいけないと思うから心の中だけで叫んでおく。

 ニコロ可愛い! 私の旦那様が可愛い! って。


「残ったクローゼットの中も、ほとんど何もないしなー」


 いっそもっと小さくしてもらうのも手かも?

 なんて考えてた私に、遠慮がちにかけられた声。


「その、なんというか……」


 もちろんその声の主はニコロしかいないんだけど、普段とは全然違う感じでちょっとビックリした。


「どうしたの?」

「いや、あの……一応、俺も爵位持ちだから、その……」


 ニコロがこんなに歯切れが悪いなんて、本当に珍しい。

 そんなに言いにくいこと、なのかな?


「男爵夫人である君は、その……ドレスを数着、持っていてもいいと思う、んだが……」

「え? あ、うん。確かに」


 何らかの形で招集をかけられた場合に備えて、持っていてもいいとは思う。

 とはいえ、バカ王子に合うように仕立てられたドレスなんて、着る気が起きないし。

 でもだからって、今からあの労力をかけて新しく仕立てるなんて、疲れるだけだしなー。


「だから、その……」


 私が元も子もないことを考えている間も、ニコロはどこか言いにくそうにしていて。

 でも意を決したのか、ちょっと顔を赤くしたまま私に向き直って。アンバーの瞳が、真っ直ぐ見つめてきた。


「ど、ドレスは今度一緒に見に行こう!」

「まぁ。いいの?」

「あぁ!」


 女性の買い物というのは、とにかく時間がかかる。

 既製品のドレス一つでも、体形に合わせるためにしっかりと採寸をする必要があるから、男性よりも長くなるのは当たり前。

 ニコロがそれを知っているのかどうかはともかくとしても、そう言ってくれた事実が嬉しい。


 だって誰かと一緒に、個人的な買い物をしに出掛けるなんて。

 そんな経験、私には今までなかったから。


「だからっ、君にこれをっ!」


 何もない空間から彼が取り出したのは、上等な布を使って作られた女性物の服のセット。

 しかも明らかに、令嬢のお出かけ用にもできるような普段着。


「これは……?」

「君の手元に残っている服は、平民用の物ばかりだったからっ……!」


 確かに、いつ何時ダミアーノ殿下に会ってもいいようにと、毎日のようにドレスを着せられてきた。そのせいで私には、今の体形に合う普段着は一着も持ち合わせがなかったのも事実。

 ニコロはドレス類を運ぶのを手伝ってもらった関係で、私のクローゼットの中身を何度も見てるし。

 だから、気がついたのかもしれない。


「言われてみれば、この格好でドレスを買いに行くのは無理かも」

「必要になるかもしれないと思って、一応用意しておいたっ……!」


 なんて手際のいい……! そして気が利く!!

 高級ブティックというのは、人を見た目で判断することもあるらしいからね。

 お金を持っていなさそうな、しかも平民の格好をした小娘じゃあ、お店に入れてもらえない可能性も確かにある。


「ありがとうニコロ!」


 思わず嬉しくなって抱きついて、そのまま頬に軽くキスすれば。

 耳どころか首まで真っ赤になって、同時に驚いたのか固まってしまう彼は、本当にどこまでも初心。


「ふふっ」


 気か利くだけじゃなく、こんなにも可愛い旦那様だなんて!

 本当に最高!





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