第19話 誇りの爪痕

「――っ! セトっ!!」

【ッ、ボケカスが! テメェはテメェの心配だけしてろッ!!】


 セトはアポピスの上顎を掴みながら、イスメトに怒声を浴びせる。


【言っただろう! テメェが死ねば、この戦いはしまいなんだッ!!】


 その叱責はもっともだ。アポピス本体に有効な手札を自分は持っていない。

 仮に持っていたとしても、セトには何度も助けられている状況だ。足を引っ張るのが目に見えている。


「……っ、クソッ!」


 階下へ落ちたイスメトを追って、ヌシが駆け下りてくる振動を感じる。

 イスメトは頬を叩き、立ち上がった。

 己の至らなさに対する苛立ちも悔しさも、今は端に追いやって。


【ハッ。それでいい】


 セトは下に気を配りながらも、己を挟む大蛇の上顎を両腕で押しとどめる。

 鋭い闇の牙に手の平を貫かれても、その力は緩まない。

 むしろ、呑まれた足で下顎を押さえつけ、徐々にその咬合力こうごうりょくを押し返していた。


【クッ……ハハッ! そんなに俺が、憎いかよ!】


 その間、ずっとにらみつけてくるアポピスの目。

 セトは虚空のようなその瞳の奥に揺らぐ、確かな情念を感じ取っていた。


 アポピスの姿がまたも変化を始める。

 蛇の顔から鼻が伸び、長い耳と牙が生え、いのししうさぎとが合わさったようなシルエットを形成していく。


 その姿が、先の問いに対する何よりもの明確な答えだった。


【ハッ……まァ、そうだろうな】


 直後、顎を強引に押し開き、セトは敵の咥内こうないから飛び出す。


 血の代わりに飛び散る赤い光は、神の魂そのものとも言える神力。

 その光が全て失われた時、神はこの世から消滅する。


【だからこそテメェに、喰われてやるわけにゃいかねェなァァァ――ッ!】


 再度召喚した戦杖ウアスを掴むセトは、不敵な笑みを崩さず。

 物質的しがらみの無い世界で、すでに幾戦目ともつかぬ攻防を再開した。


(よ、良かった……思ったより元気そうだ)


 再び頭上で響き始めた轟音ごうおんにむしろ安堵しつつ、イスメトはヌシを見据えていた。


 階下へ降り立ったヌシは、相変わらずの闘争心で前足をき鳴らしている。


 足場が広くなった分、お互いに動きやすくなった。

 これが吉と出るか凶と出るかは、やってみなければ分からない。


(まずは神器を――取り戻す!)


 イスメトは壁際に陣取り、突進してくる巨体をぎりぎりのところでかわす。

 壁に激突したヌシの動きが鈍ったところへ肉薄。この隙に、背後からその背に飛び乗る作戦だった。


「ぐあ――ッ!!」


 だが、むちのごとくしなる尾にはじき飛ばされる。

 その尾は複数に枝分かれし、先端には蛇の頭が付いていた。


(後ろにも目があるのか!?)


 さらに振り返ったヌシが、突き上げによる追い打ちをかける。

 イスメトは盾を構えて受けるしかない。


「ぁ、ぐゥゥ――ッ!!」


 神術の補正がない状態で受ける一撃は、まさに骨が砕けんばかりの衝撃だった。

 体重は元に戻ったはずなのに、体はやはり宙へ軽々と放り出される。


(でも、これなら!)


 イスメトはとっさに空中で盾を振りかぶる。そしてヌシの上へと落下しながら、渾身こんしんの力で叩き付けた。

 ヌシの背には、かつてヌシに挑んだ戦士たちの爪痕が――無数の武器が刺さっている。


「ピギィィィアァァァァ――ッ」


 ヌシが痛みにもがく間に、神器を抜き取りその背から飛び降りる。

 深追いは禁物。まずは距離を取って神術を体にかけ直すべきだ。


「う――っ!?」


 だが、突き上げを受けた際のダメージは確実に響いていた。


 右肩から背中にかけて、きしむような違和感と痛みが走る。

 どこかの骨がずれたか。あるいは筋肉の損傷か。

 いずれにせよバランスを崩し、イスメトは想定した距離の半分も走れずに床へ倒れ込む。


 そこへ再度、突撃してくるヌシの巨体。


「――っ、〈上昇気流アク・アエリオ〉っ!!」


 なんとか間に合わせた詠唱と、やけくそで蹴り出した右足。

 イスメトは巨大なひづめにすり潰される直前で脇へと逃れる。


 だがそれだけでは終わらない。

 立て続けに襲い来るのは突進時に生じた風だ。

 本来の重量すら失ったイスメトの体は入り口へ続く階段までたやすく吹き飛ばされ、転がり落ちていく。


 神術によってその衝撃はかなり緩和されていたものの、圧迫された肺からこみ上げる咳を吐き出す間、イスメトは動けない。


(いけない……! 早く移動しないと、ヌシが外に!)


 イスメトの背後、数キュビト先には開け放たれた扉がある。

 このまま追い打ちの突進を仕掛けられでもしたら、自分はもちろん、外にいる皆にも被害が出る可能性がある。


(あれ――でも、待てよ?)


 そこまで考えて、イスメトはふと疑問を抱いた。


 なぜヌシは八年もの長きにわたり、ずっとこの塔の中にいたのだろうか?

 あんな貫木かんぬきなど吹き飛ばして、とっくに外へ出ていたっておかしくないのに。


 その答えは、目の前にあった。


「ピギュルルル……ピギィヤァァ――!」


 つっかえている。

 体の至る所に突き刺さった槍や刀剣が、一階の床を構成する石材にぶち当たって、ヌシはこの細い階段を降りられずにいた。


(これなら……)


 体がつっかえているにもかかわらず、こちらへ来ようと頭を突っ込んでは、ままならずに暴れるヌシ。

 図体ずうたいだけで頭脳はあまり働かない。

 それがコイツの大きな弱点。


(これなら――外さない!)


 イスメトは立ち上がり、神器を構えた。

 体には変わらず違和感がある。恐らく、もうまともに走ることすら難しい。

 だが動けないのは相手も同じ。奥の手を使うなら今だ。


(使えばロクに動けなくなる……使うなら、一度で決める!)


 イスメトは盾を捨てた。

 刻印の線は残り三本。〈上昇気流アク・アエリオ〉であれはあと三回ほど使える。

 だが、この技はそうはいかない。昨夜の訓練時と同じなら、恐らく全ての刻印を消耗してしまうだろう。


 それほどまでに制御が難しい。

 だがその分、強い。

 正真正銘の最後の切り札だ。


「――は吹き荒れる砂漠の一陣。力偉大なる者にして、嵐と暴風の領主――」


 左手の刻印がひときわ赤く輝き、イスメトの体をまばゆい光で包み込む。

 同時に風が周囲を取り巻きだした。


 身からあふれ出た神力の一部が、赤い稲妻となってパリリッと弾ける。


 石の階段は、イスメトが踏み込むと同時にひび割れ。

 蹴りつけた時には、砕け散る。


 そして少年は、嵐となった。


「――〈暴嵐神の豪腕セテフ・グロゥシア〉!!」


 力の奔流は、突き出した腕から槍へと伝播でんぱする。

 それは赤き光をまとう暴風の渦となり、単純にして爆発的な破壊の力を対象へと流し込んでいく。


 ヌシの巨体は襲い来る豪風にまくれ上がる。

 その強靱な皮膚を食い破る、燃えるような緋色の切っ先。

 まるで果物でも切るかのように、輝く刀身は軽々とヌシの身を貫く。


 遅れて、轟音。


 赤雷せきらいに全身を焼かれた獣の声が、雷鳴のようにけたたましく周囲にとどろいた。


 背中から壁へと叩き付けられたヌシの腹には、大きな穴が開いている。

 そこから血とも混沌ともつかぬどす黒い粘液を垂れ流しながら、巨体は力無く四肢を投げ出した。


「や……った……」


 それを見届けた後、イスメトもまた石の床に崩れ落ちる。


「父、さん……、僕、は……」


 声がうまく出ない。

 全身の感覚も分からない。

 だが、これだけは分かる。


 僕は、父の仇を――


【――ッ! まだだ! 退けッ!!】


 その時。

 ヌシの目に再びまがまがしい光が灯るのを、セトは見逃さなかった。


「ピギイィオオォォォ――ォォン!!」


 ヨロヨロと起き上がったヌシは、血に濁ったたけびと共に体液をまき散らし、その巨体を激しく揺さぶる。

 イスメトの奥の手はしくも、ヌシの身をいましめる数々の武器をその肉からがした。


 よって身震いをしただけでそれらは吹っ飛び、凶器の雨となってイスメトを襲う。


【チィ――ッ!!】


 左腕をアポピスに喰いつかれながらも、セトはとっさに階下へ突風を送り込む。

 だが、降り注ぐ鋭利な雨からイスメトを守るには、ヌシとの距離が近すぎた。


「うぐ――っ!」


 咆哮ほうこうの衝撃にあおられ、イスメトは床の上を転がる。

 そこへ飛来した、一本の古びた槍。


「ぐッ、ああああぁぁ――ッ!!」


 それはイスメトの左肩を貫き、その身を床に縫い止めた。

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