第46話 悲鳴


 翌早朝、女性の悲鳴が宮殿内に響いた。


 驚いて目を覚ました。起き上がろうとした私を、隣で寝ていたレインがベッドに押さえつけた。



「この部屋から出るな。俺は様子を見てくる」


「でも、着替えくらいならいいでしょう?」


「それならニナの部屋にいなさい」


「はい」



 レインは素早く起き上がると、わたしの部屋を確認してから、レインの部屋に消えていった。


 一体何が起きたのでしょう?


 不安に思いながら時計を見ると、いつもよりも二時間ほど早い。


 外はまだ日の出前のようだ。


 薄暗く、微かに白くなってきている。


 この宮殿はかなり大きい。


 その宮殿内に響いた悲鳴は、一体何が起きたのでしょうか?


 瞬間的に感じたのは襲撃。


 でも、もう戦争は起きないはずだ。


 平和条約がむすばれたのだから。


 それなら、また盗賊が出たのだろうか?


 私はクロークルームに入ると、私も戦えるように看護師の制服を着る。


 宮殿の中は、意外と冷える。


 窓を開けて、外の空気を入れていれば暑くなってくるが、窓を閉めていれば冷えるのだ。


 看護師の制服の上に濃紺のカーディガンを羽織った。


 看護師の正装だ。


 誰も文句は言わないだろう。


 ポケットにはナイフを入れて、突然の襲撃に備えた。


 腕を上げると、傷が痛むので、左右に三つ編みをして下の方で纏めて見栄えをよくした。


 腕を上げる練習をしなければ、いつまでも痛みが続くのは分かっているが、素早く着替えをしてしまいたいときは、練習は後回しだ。


 一体誰の悲鳴だったのだろう?


 部屋から出るなといわれたので、部屋から出てはいけない。


 疲れてしまうので、ドレッサーの前に座っている。


 扉がノックされて、私はポケットの中に手を入れて、ナイフを持ったまま扉の近くに寄った。



「どなたですか?」


「リリーよ」



 私は溜息をつく。



「リリーに私の部屋を教えていないわ」


「いいじゃない。開けてもいいでしょう?」


「駄目よ」


「どうして?」


「リリーを私の部屋に招くのが嫌なの。ご用件はなんですか?」


「悲鳴が聞こえたから、怖くて」


「少しお待ちになって」



 私は便箋に「リリーとサロンに行きます」と書き置きをして、扉に向かった。


 リリーにこの部屋を見せたくはないのだ。


 この部屋は宝の宝庫と言ってもいいほど、よい物が置かれている。


 飾り棚に入れられたティーセットだけで邸が一軒建ちそうなほどの価値がある。


 それを見られたくはない。


 他にも新調された家具も安物ではない。


 リリーにその価値が分かるかどうかは別として、触られたくはないのだ。


 私は扉を開けた。


 リリーはまだネグリジェ姿をしていた。



「着替えはどうしたの?」


「だって、ここは辺境区よ。女性の悲鳴が聞こえたら緊急事態よ」


「まず、着替えに行きましょう。それからサロンに行きましょう」


「お姉様の部屋でもいいのよ。ドレスを貸してくださってもいいのに」


「リリーに合うドレスはないわ。さあ、行きましょう」


「ケチね」


「文句があるなら、一人で行きなさい」


「お姉様は相変わらず、性格がきついのよ。そのうちレインに嫌われてしまうわ」


「一つ、言っておきますわ。レインの事をリリーがレインと呼ぶのは不敬ですわ。きちんとレイン辺境伯とお呼びなさい」


「ケチね。お姉様のものは私のものよ」


「私は認めてはいないわ。その考え方を変えるまでは、私はリリーと姉妹の縁を切るわ」



 私はくるりと行き先を変えた。今まで歩いてきた廊下を戻っていく。



「お姉様、ごめんなさい」



 リリーは私の腕にしがみついてきた。



「怖いの。一緒にいてください」


 私は一つ溜息をついてリリーの部屋に向かう。


 確かに、この宮殿は薄気味悪い。


 建物が古くて、石を積んで造られた要塞だ。


 初夏でも、寒く感じるだろう。



「お父様やお母様やお兄様の部屋に向かった方が近いでしょうに。どうしてわざわざ私の部屋に来たの?」


「だって、お姉様の部屋の方が安全だと思ったのよ」


「レインは直ぐに、宮殿を見に行ったわよ」


「お姉様と抱き合っていると思っていたわ」


 はぁ~と木枯らしのような、溜息が出てしまった。

 私はリリーとは違うし、レインは普通の男性とは立場が違うのよ。



「あのね、レインはこの宮殿の中で一番偉いのよ?」


「そうしたら、お姉様は二番目に偉いの?」


「とんでもないわ。私は二番目でも三番目でもないわ。この辺境区を守って戦っている戦士達が続くわ。私は最後の方だと思うわ。自惚れるのもいい加減にしないとこの辺境区で生きていけないわ」



 私はリリーの額を、指先で少し弾いた。



「痛いわ、お姉様」


「大袈裟よ。さあ、部屋に到着したわ。着替えていらっしゃい」


「お姉様も一緒に来てください」


「いつまでも子供ね?」


「だから、ここは怖いのよ」



 この部屋は私が使っていた部屋だ。


 風景も住み心地もよかったのに、何が怖いのかしら?


 私は扉を開けて、リリーと一緒に部屋に入っていった。




「早く着替えていらっしゃい」と背を押した途端に、リリーは「お人好しね」と笑いながら、クロークルームに入っていった。


 クロークルームから出てきたのは、お兄様とハルマ様でした。


 どうして二人がこの部屋にいるの?


 驚いたけれど、それを顔に出してはいけない。



「お兄様、ハルマ様、おはようございます。悲鳴を聞いて、リリーを気にかけてくださったのですか?リリーは私の部屋に来ました。あの悲鳴は何だったのかしら?」


「あら、お姉様、妹の声も忘れてしまったのですか?」


 クロークルームから出てきたリリーは、可愛い水色のドレスに着替えていた。


「あの声は、リリーの声だよ」とお兄様も言った。


「知っているか?ニナの存在は一部の人間しか知らないんだよ。ニナもリリーも社交界デビューはしているが、ニナの側にはいつもリリーがいた。アイドリース伯爵の娘はリリーだけだと思われているんだ。リリーの存在は強烈だからね」



 お兄様はクスッと嗤った。



「どうして?私、学校も行っていたし、卒業もしたわ。友達もいるわ」


「その友達は、ニナのことをリリーと勘違いをしていたんじゃないか?ニナの親友だと言っていたマリアッタ令嬢から手紙の返事は来たか?」


 来てないわ。


 でも、どうやって?



「派手にリリーが騒いで、印象を強く植え付けていたんだよ。ニナは内気で、自分から他人に声をかけたりしない。髪の色も白銀だ。自分から派手に振るまえば目立つ色だが、人陰に隠れていれば、その存在は影に消えてしまう」


「そんなことあり得ないわ」


「それなら、レインフィールドはニナの事を知っていたか?」


「知らなかった」



 お兄様は口角を上げて、笑みの形を作った。



「父上と母上は、特殊な色を持って生まれてきたニナを隠した。


 国王陛下にも極秘にした。


 俺とレインはどちらも王族になれる資格があった。


 ニナの存在を知られれば、国王陛下は、ニナをレインの妻にして、ブルーリングス王国の再建だと言うだろう。


 どちらも、ブルーリングス王国の国の色をしていた。俺の許嫁はなかなか決まらなかった。


 ニナほど完璧にブルーリングス王国の色を持った乙女がいなかったからね。


 でも、いたんだ、ハルマの妹のサーシャは、完璧な白銀ではなかったが、薄茶がもっと薄くなった白っぽい色をして、瞳の色はニナより薄いブルーアイを持っていた。


 父上はシュラハト伯爵に許嫁の申し込みをしたが、サーシャはニナより5つ年下だった。


 まだ15才だ。学校に通っているが、珍しい色をしていることで、虐めに遭い、学校は籍だけ置いて、自宅で勉強をしているそうだ。


 そんな乙女を国王陛下は最初はレインの許嫁にした。だが、国王陛下は、とうとうニナのことを見つけてしまった。


 ニナを見つけた国王陛下は、レインの伴侶に決めたのだ。年齢もレインに近い。


 俺が国王になるためには、俺がニナと結婚するかサーシャと結婚するしかない。


 またレインの伴侶はニナかサーシャか?リリーかだ」



 お兄様は喉を潤すために、紅茶を一口飲んだ。



「両親はニナを早めに違う血族と結婚させて、血を穢そうとした。そうしなければ、俺は王になれない。


 だが、俺は王になれないと思っていたのだ。


 レインはニクス王国という後継者がいる。


 俺自身も国王になりたいとも思ってはいなかった。


 せっかくニナは完璧なブルーリングス王国の象徴を持って生まれたのなら、レインと結婚すればいいと思っていた。


 リリーにニナの身を守って欲しいと頼んだのは俺だ。


 相応しくない者は排除してくれと。


 友達も厳選させた。碌でもない者ばかりが、皆、ニナに寄ってくる。男


 の排除もリリーに頼んだ」


「盗んだんじゃないの?」


「お姉様は、まともな友人の作り方も知らないし、好きになる男性も碌でなしばかりで、ウンザリしたわ」


「そうしたら、フェルトとも?」


「お姉様は清い身だったはずよ?今は知らないけれど」


「守ってくれていたの?」


「レイン辺境伯も、なかなか辺境区から戻って来ないし。お姉様が看護師になって、自分で辺境区に行くと聞いたときは、運命だと思ったわ」


「リリー、今まで守ってくれてありがとう」


「別に私はお婆様の言葉を聞いて、お姉様を王子様のところに連れて行かなければと思っただけよ」


「ありがとう」


「せっかく清い身で守ってきたのに、背中に刀傷を受けるなんて、私の苦労は何だったのかしら?」



 リリーは私の背中を優しく撫でた。


「ごめんなさい」


「危篤と聞いて、どれほど焦ったか。お姉様の為に守り続けていた私がどんなにショックを受けたかご存じ?」


「ごめんね、リリー」


「生きていたから許すわ」


「ありがとう」



 私は初めてかもしれないリリーに抱きしめられていた。

 リリーも温かい。

 毛嫌いしていた私は、リリーの何処を見ていたのだろう。

 お兄様も優しげな面持ちだ。

 嫌われていたと思っていたことは、私の思い違いだったのだ。


「そこで、問題だが」とお兄様。


「両親だ。俺は王にはなりたくはないが、血は穢したくはない」


「ビストリは怒るかもしれないが、サーシャが大人になるまで、待ってくれるなら応援したい」


 今まで黙っていたハルマ様が言った。


「ハルマ、本当にいいのか?ビストリはサーシャが好きなんだろう?」


「相手がいなかったから、そう言っていたのかもしれない」


「それなら、正式に許嫁の申し込みをするぞ」


「ああ、リックの容姿を見たら、大喜びするだろう。あいつ、リックの様な容姿の男が好きなんだよ」とハルマはクスクスと笑った。


「お姉様は片付いたから、今度は私は自分の幸せのために生きて行きたいわ」


「リリー、私にできる事があったら、手伝うわ」



 私は今まで私を守ってくれていたリリーに、心から感謝していた。



「お父様とお母様に毒を盛られないように、気をつけて」


「お父様とお母様は、私を本気で殺したいの?」


「やりかねない」とお兄様は、眉を寄せた。



「リリー、俺と付き合わないか?嫌いじゃなければ」


 ハルマ様はリリーに声をかけた。


 私を好きだといっていたので、心配していたが、ハルマ様がリリーを守ってくれるならば安心だ。




「そうね、サーシャさんのお姉さんになるのも楽しそうね」


「お兄様ともリリーとも親戚になるなんて」



 私は口に出したが、それほど嫌ではなかった。


 今まで嫌いだと思っていたリリーと仲良くなりたい。



「ああ、そうだ。俺達が帰れば、両親も帰っていくのではないか?」と、お兄様。


「それもそうね。それなら、早速、帰るわ」


「あ、俺も実家に帰るよ。サーシャのこともあるし」


「それは助かる」



 大嫌いだと思っていたお兄様は、私を抱きしめて「幸せになれ」と囁いてくれました。


 大嫌いだったリリーは「これからは自分の身は自分で守るのよ。大好きよ、お姉様」と囁いてくださいました。


 私は嬉しくて、ポケットからハンカチを出して、涙を拭いました。


 早朝の三兄妹の密談は、密やかに終わりました。




「お姉様、お部屋に戻れますか?」


「大丈夫よ」


「ところで、この辺境区には、看護師の制服しかないのですか?」


「ちゃんとありますわ。緊急事態で戦うために、動きやすいこの制服が、私の戦闘服なのですわ」



 私はポケットから、戦うためのナイフを出してそれを皆さんに見せました。



「そんな物では、直ぐに殺されてしまうぞ」とお兄様は呆れておりました。


 最後にリリーが私を抱きしめてくれました。



「お姉様、ずっと大好きでした。きっと嫌われていると思っていましたけど、私は心からお姉様を大好きでした」


「リリー」



 私達は暫く抱きしめ合っていました。



「リリー、ありがとう」



 リリーは笑うと、私の頬にキスをしました。



「レイン辺境伯のものになってしまうのが惜しいですわ」


「リリー、私はレインを好きになってしまったの」


「分かっているわ、幸せになってくださいね」


「リリーも幸せになってね。ハルマ様、リリーをお願いしますね」


「ああ」



 パンといきなり扉が開き、呼吸を乱したレインが部屋に入るなり、いきなり剣を抜きました。


 そのお顔は、怒りに染まっています。


 レインに誰も殺させてはいけない。


 私は慌てて、レインにしがみついた。




「レイン、待って。兄妹で話があったのよ」


「ハルマがどうして、ここにいる?ハルマはニナの兄妹にいつなったのだ?」


「リリーとお付き合いをするそうよ」


「はぁ?」


「剣を下ろしてくださいな」



「サロンに行っても、誰もいないから、誘拐されたのかと宮殿中を探し回ったのだぞ」


「ごめんなさい」


 私はレインの頬にキスをして、怒り狂っているレインを別の意味で焦らせた。


 私はレインと手を繋ぎ、お兄様とリリーに手を振った。


「喧嘩をしていたのか?」


「私はお兄様とリリーに守られてきたのでした。リリーも優しいいい子でした」


「そうか」


「お兄様はブルーリングス王国の国王をレインにお願いしたいと言っておりました。ただ、私の両親は欲深く、気をつけるようにと言われましたわ。食事の時に毒を盛られるかもしれないと忠告されました」


「そうか、毒だな。気をつけよう」



 レインは私の肩に触れた。


 私は兄妹で話した事をレインに話した。


 隠し事は、後で喧嘩の元になる。



「ところで、いつも看護師の制服を着ているが、ドレスは気に入らないのか?」


「いいえ、戦うときに動きやすいと思ったのですわ」



 私はポケットからナイフを出して見せた。



「もうナイフはなしだ。ドレスを着なさい。お披露目会は首都でしなさいと国王陛下からの手紙に書かれていた。ついでに、秋冬のドレスも作ってこよう」


「いつ立たれますの?」


「できるだけ早くだな。国王陛下もエイドリックも気が短い」


「まあ、大変ですわ」


「エイドリックも婚礼をするそうだ。一緒にお披露目会をしたいと、エイドリックが言っているそうだ」


「私、踊れるかしら?もう、ずいぶん、踊っていないのよ」


「俺は学校の卒業パーティーが最後だな」


「まあ、足を踏まれそうね」


「それはお互い様ではないか?」


「そうかもしれませんわ」



 私もレインも笑いながら、私の部屋に戻っていった。


 久しぶりに首都に行くことになり、お父様達を連れて帰ることになりそうね。


 少しだけ、日付をずらしたら、危険な旅にはならないような気がします。



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