第19話 不和の秋②
萩原アカネと直接言葉を交わしたのは、夏休みが明けて始まってすぐのこと。休み明けに行われた三日間の前期期末試験が終わった翌日だった。
「お金、貸してくれない?」
昇降口で呼び止めてきた萩原アカネのあまりにも唐突な要求に、僕は思わず固まってしまった。
「えっ、どうして?」
「お金がないから」
一拍おいてから明らかな驚きと共に尋ね返すと、端的な答えが返ってくる。
ま、まぁそりゃそうだよね。お金があるのにお金を借りるわけがない。
戸惑いながらも平静を取り戻した僕は、再び尋ねた。
「ちなみに用途を聞いてもいい?」
「ゲームに決まってるでしょ」
萩原アカネは僅かに眉を寄せ、口を真一文字に結んだまま、やはり端的に言った。何をそんな分かりきったことを聞いているのか、と言いたげな口調だった。そこまで迷いなく言い切られると、いっそ清々しい。
と、そこで萩原アカネがリストデバイスを見て何かを確認する。
「あんた、家は?」
「第四だけど」
「バス?」
「徒歩」
顔を上げず、やはり端的に。
そう尋ねる彼女に同じく端的に返す。
彼女は返答を聞くや否や歩き出し、しかし数歩歩いたところでこちらを振り返って眉根を寄せた。
「なんで付いてこないの? 人に聞かれたくないし。駅まで歩きながら話す」
「え……あ、あぁ。うん」
早くしてと言わんばかりの彼女に、僕は大人しく従う。半ば急かされるように彼女の隣に並び、歩調を合わせて歩き出す。校門を抜け、綺麗に舗装された駅までの道を行く。一緒に並んで歩くのは構わないのだろうか、と僕は内心で気になった。
確かに昇降口で立ち話をするのも目立つし――と言っても他の〈四季〉ほどではないが――、公衆の面前でする話の内容でもないだろう。しかし異性と一緒にいると、それを騒ぎ立てる人間というのは、いつの年代でも一定数存在する。僕も一応男性である。そのあたりはどうなのだろうと考えるが、当の彼女は気にした様子もなくホロディスプレイを少し弄って、閉じる。
「いいね。新しくて綺麗なシェルターに住めて。学校までは遠そうだけど」
「小さい頃に第一から引っ越したんだって」
そう応じると、萩原アカネは無感情に「あぁ」と言葉で頷く。
「あんた、第一崩壊の被害者だったんだ」
同情も憐れみもない、事実のみを淡々と確認する声だった。
第一崩壊。それは僕らのシティで十数年前に起きた、第一サブシェルターの事故の通称だ。
始まりは、あまりにも突然だった。
その日、その時間。シェルターを管理する包括システムが、突如として全機能を停止した。
交通システムの停止により、多くの交通事故が起きた。電気水道ガスが止まり、真っ先に亡くなったのは、命を繋ぐために介護設備を必要とする人々だった。
しかし悲劇はそこで終わらなかった。
空調システムの停止に、メインシェルターへ繋がるリニア鉄道の隔壁の閉鎖。隔壁は一切の操作が不可能となり、多くの住民が直径三㎞ほどの、小さな第一サブシェルターに閉じ込められた。
外側から見ればシェルターは、遮るものが何もない灼熱の日差しに晒された密閉空間だ。機械による気候管理がなければ、シェルター内部はあっという間に地獄の蒸し風呂と化す。
救助隊が手動で隔壁を解放し、中に突入したのはおよそ三十二時間後。その時点で、多くの人が熱中症で死亡していたという。
最終的に、当時第一シェルターにいた人間の半数が死んだ。包括システムの停止原因は不明。システムの復旧は不可能と断定され、第一シェルターは放棄された。
そして生き残った人は、当時建設されたばかりの第四シェルターを中心に、各サブシェルターに移り住んだ。
僕もその部類だ。当時、僕の家は第一にあって、シェルター放棄に伴い第四に引っ越した。
「被害者って言うほどじゃないよ。僕の家は誰も死んでないし」
「そうなんだ」
「そう。両親はセントラルで働いてて、その都合で僕もセントラルの保育園に預けられてたんだ。あともう死んじゃったけど、おじいちゃんもセントラルの施設に入ってたから」
だから、僕を被害者というのもどうなんだろと思う。僕を被害者と呼んでしまうと、本当に亡くなった人や、親族や大切な人を亡くした人をなんて呼んでいいか分からなくなる。
僕は『とばっちり』ぐらいだ。
「そうなんだ」
萩原アカネは、良かったねとも悪かったねとも言わなかった。
変に同情されるよりもよほど気が楽な気がした。
形在る物はいつか壊れる。
シェルターが各地に建造されてから、既に早半世紀弱。最近は減ったらしいが、日本全国を見ればシェルターのシステムトラブル自体は何度も起こっているし、老朽化に伴い放棄されたシェルターも少なくない。
そもそも僕らのシティ自体が、各地のシティの中でも古い部類に入る。関東一円に属する中核都市として、東京に次いで建設されたのだ。その中でも第一は、シティ建設当初から存在した最古参のサブシェルターだ。
きっと第一は、寿命だったのだ。
僕は漠然と、そんな風に感じていた。
「話、戻すけど」
「うん」
「お金、貸してくれない?」
「……具体的にはいくら?」
「これくらい」
と言って彼女は、デバイスのメモ機能に表示させた数字を僕の方に投げて寄越す。僕はそれを見て思わず、眉を顰めそうになった。一介の高校生には少なくない――というか、多い額だった。
「こんなに?」
「安い方でしょ」
数字をパッと消して、彼女は新しいホロディスプレイを立ち上げる。映し出されたのは、彩り鮮やかなゲームのメニュー画面だった。下の方にメニューコマンドが並び、画面の中央には3Dホログラムの見目麗しい男性キャラが佇んでいる。AI搭載の男性キャラはメニューを開いたまま操作しないアカネに対して何か呼びかけているのか、身振り手振り口を動かしているが、指向音声モードのため僕にその美声は聞こえない。
「これ。このゲーム。追加キャラを手に入れるのにお金が要るの。いわゆる『ガチャ』ってやつ」
聞いたことがあった。確か『ガチャガチャ』や『ガチャポン』と呼ばれた、カプセルトイという小さなオモチャのランダム自動販売機が由来のゲームシステムだ。販売機の方は、レトロ雑貨屋や古いゲームセンターなんかに行くと、未だに機械が残っていたりする。
萩原アカネはガチャ画面を開きながら続けた。
「別にゲーム自体は買い切りだし、普通に遊ぶ分には問題なく遊べる。ただこれはストーリーモードはおまけみたいなもんで、人気なのはオンライン対戦の方なの。で、新しいキャラを手に入れるには課金してガチャを回さなきゃいけない。新しいキャラは性能良いことも多いし。というか普通に、好きなキャラは欲しいし」
歩く速度は落とさず、すらすらと説明する。普段教室でじっとしている彼女からは想像できない饒舌さで、僕は内心で少し驚いていた。
「別に課金しなくてもガチャ用アイテムは手に入れられるけど、ミッションが厳しかったりしてやたらめったら時間かかるの。お金で時間を買うみたいな感じ」
へぇと僕は心の底から感心の声を零した。
「詳しいんだね」
「別にこの手のゲームやってれば普通だと思うけど」
と言って、僕を見る。
「あんた、ゲームやらないの?」
「うん」
「一切?」
「うん」
「普段何してんの?」
「……本、読んだりとか? あとは普通に勉強?」
言って気付くが、僕とは随分と住む世界が違うなと思った。それがこうして並んで一緒に帰路を歩いているのだから不思議なこともあるものだ。
そんなことを思っていると、隣の彼女は死んだ虫でも見たような顔をした。
「普通に勉強って普通じゃないと思うけど。椿さんじゃあるまいし」
確かに彼女ほどではないなと思う。椿カナデは、暇さえあれば常に勉強している優等生だ。僕は上位三分の一に入るぐらいの成績で、学年トップを走るという彼女の足下にも及ばない。
「まぁでも、一応学生の本分だし」
特に続ける理由もないけど、やめる理由もない。今の成績から上げる理由もなければ、落とす理由もない。
そこが僕のラインだ。
「……陰気」
ボソッと萩原アカネが呟く。
間違ってもない印象だと思う。少なくとも陽気で溌剌とした、それこそ夜桜カレンのようなタイプではない。
気付けば周囲は、高層ビルの建ち並ぶ駅近郊エリアになっていた。この辺りはオフィス街でもあり、ビルの下層には商業施設も充実している。夕時にはまだ時間が早いが、にわかに慌ただしい人の流れが僕らを揉んでいく。
「どうして僕」
少しだけ声量を上げて聞く。
「なんとなく」
彼女もまた、少しだけ声量上げて応えた。
やがて、使い慣れたターミナル駅の入り口が見えてくる。
僕は言った。
「〈四季〉に借りればいいんじゃないの?」
唇を噛んで顔を背け、彼女は言い返した。張り詰めた糸のような、か細い声だった。
「……〈四季〉には借りたくない」
その言葉の意味は分からなかった。僕には借りる相手もいなければ、借りたくない相手もいなかった。
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